言葉・おしゃれ・哲学の関係性♪ 感想その3
「言葉の服 おしゃれと気づきの哲学」、
ゆっくりと読み進めています♪
この本は、まるで「言葉の宝石箱」のように
私の心に響きます。
新鮮な知識の波を受けとめながら読み進め
ていくと出会える、やわらかく光る言葉たち。
今日は、「いき」 について。
「いき」ー生き方の理想
神輿を担ぐ男女が、皆で揃いの染め抜きの祭
り半纏をはおり、頭には斜に巻いた豆絞りの
鉢巻、眩しい白足袋姿で現代の街並みに現れ
ると、そこだけ急に江戸時代に戻ったようで
、その姿に思わず「いきだなー!」と惚れ惚
れしてしまう。
それにしても「いき」とはどんな美意識なの
だろう?
いざ説明しようと思っても言葉で表現するの
はなかなか難しい。
誰に聞いても返ってくる答えはまちまちだ。
そもそも身近に「いきな人」がほとんどいな
くなってしまった。
だからそれに憧れることも真似することもで
きない。
「いき」は、かつて江戸の町で生まれた美意
識だった。
しかも芸者や火消し、町人たちのいわゆる庶
民が体現したスタイルだった。では当時はど
んなものだったのだろう。
かつて哲学者の九鬼修造が『「いき」の構造
』(昭和5年)で行った哲学的な解明によれば、
「垢抜けして、ハリのある、色っぽさ」と言
う3つの要素が合わさったものだったと言う。
「垢抜けして」とは、世間の荒波に揉まれて
、良い意味であきらめも知り、酸も甘いも噛
み分けられる大人になること。
湯上がりの姿のようにさっぱりと、余分な飾
りがそぎ落とされて、すっきりと気持ちよく
潔いことだ。
ハリのあるとは、人間関係に良い緊張感を保
てること。近づきすぎず馴れ合いにもならず
、遠すぎてよそよそしくもない。
人間の機微に通じ、自分の矜持=「意気地」
を持って友人や恋人と付き合える人。
色っぽさとはほのかに匂い立つような色気。
露骨な性的アピールではなく、異性も同性も
惹きつけられるような、成熟した人間的魅力
のことだ。
もしこんな人が身近にいれば、今でも確かに
「いき」で憧れてしまうだろう。
とすれば、かつて江戸特有の美意識だった
「いき」は、現代の生き方の理想にもなり
得るのではないだろうか。
神輿の服装や着物の襟の抜き衣紋などは、
形として見える「いき」の名残に過ぎない。
そして今でも通用する本当の「いき」のエ
ッセンスとはその人の心「意気」であり、
おしゃれで色っぽい「生き」方そのものだ
と思う。
外から内から、バランスよく自分磨きを
続けていったら「いき」な人になれるかな
?
道はまだまだ遠そうです♪
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