寺山修司「旅の詩集」別離と萩原朔太郎「沼沢地方ulaと呼べる女に」
寺山修司の本に「旅の詩集」という、古今東西の愛唱歌や詩、俳句等から選んだものに自分のエッセイを加えた、新書サイズの本当に旅にもっていきたいような本があります。旅の詩集
別離という章があります。
別離
七歳の時、はじめて人のわかれを見た。
二人は、私と並んで線路ぎわで夜泣きそばを食べていた。
男は帽子をかむり、女は着物を着ていた。男が何か冗談めいたことを言うと女は半分笑ってそれから真顔になった。みると、ソバをすすっている女の頬になみだがひとすじ流れていた。それから二人はだまってソバをすすっていたが、こんどは女がつとめて朗らかに冗談を言ったらしかった。
しかし男は笑わなかった。
女がソバの最後の汁をすすると、男が屋台の上に銭をおいた。二人は途中まで一緒に歩いていき、それからわかれた。何気なく見えたがそれが一生のわかれとなるらしかった。ふいに女が、男の名をよんだ。
男はふりむかなかった。
女はもう一度、男の名をよび、たまりかねたように「連れてって!」と叫んだ。しかし男はもう角をまがるところだった。男の姿が月夜の街にすっかり見えなくなってしまうと、肩の小さな女は泣いた。
男は私の知らぬ人だったが、女は私の母であった。
さきくいませし ころほひは
みかずきなせる しまがゆを
みぬあさとても なかりしに
という横瀬夜雨「うつしゑ」の一節を、私は愛唱していた。
思えば、一生のあいだに私はどれほどの人と別れてきたことだろうか?じっと、目をつむるとさまざまのわかれのかたちが思い出されてきて、旅の長さをしのばせてくれる。
さよならだけが
人生だ
という詩の原詩が、中国の于武陵(うぶりょう)のものであると、教えてくれたのは、私の見知らぬ読者であった。(以下略)
この「別離」の章で、萩原朔太郎の「沼沢地方ulaと呼べる女に」を取り上げています。
沼澤地方
ula と呼べる女に
蛙どものむらがつてゐる
さびしい沼澤地方をめぐりあるいた。
日は空に寒く
どこでもぬかるみがじめじめした道につづいた。
わたしは獸(けだもの)のやうに靴をひきずり
あるいは悲しげなる部落をたづねて
だらしもなく 懶惰(らんだ)のおそろしい夢におぼれた。
ああ 浦!
もうぼくたちの別れをつげよう
あひびきの日の木小屋のほとりで
おまへは恐れにちぢまり 猫の子のやうにふるへてゐた。
あの灰色の空の下で
いつでも時計のやうに鳴つてゐる
浦!
ふしぎなさびしい心臟よ。
ula ! ふたたび去りてまた逢ふ時もないのに。
とても陰気な現実のものと思えない寒々とした光景。探し求めた浦は、怖れにちぢまり、猫の児ように震えている。ふしぎなさびしい心臓よ。ふたたび去りてまた逢うこともないのに!この浦の姿は、七歳でみた寺山の母の打ち捨てられた光景と重なり合うところがあるのです。
四七歳で没した寺山修司。長い旅のようで短い人生。味わいのある文です。何度も読み返してはその都度、別の感慨がわくのです。