詩)アンダーコントロール
僕らは ぼくとぼくは
安心している なぜかも考えないで
生きている 僕ら ぼくとぼくは
本当に誰かが苦しむことを想像しない
だって僕ら ぼくとぼくは
こうやって問題なく生きている
優先席に若い女性が座る
車内は混んでいる
おそらく足の悪い年配の男性が彼女の前に立つ
彼女はスマホで何かを見ている
だって僕ら ぼくとぼくは
こうやって問題なく生きている
大阪では在日朝鮮人のことをチョンコと呼んだ
バカチョンカメラとは
チョンがキレる(シャッターがキレる)と
シャッターがチョンと切れるがかけられている
普通にバカチョンカメラと言っていた
僕は ぼくとぼくであり
全く罪の意識のない 日本人だった
問う 意味があることとないことに
人は必ず死ぬ そのことを人はわかっていながら
わからないフリをして生きる
ベンチに座り 余生を謳歌し
若い時を回顧し 自分の生に満足し
僕ら ぼくとぼくは
自分と自分の生きている時代を
そうやって正当化する
何代か遡れば 僕らは戦争の真っ只中の世代だ
徴兵され 侵略者の一人として
奪い、殺し 燃やし
三光作戦を遂行した
それが僕の ぼくとぼくの
祖父であるのだ
レイプさえ競い合う
それが僕と 日本人の
福島は完全にアンダーコントロールされている
そう安倍総理がいい
異論があっても支持率70パーセント
オリンピックの誘致に誰もが賛成し
狂想曲が鳴り止まない
その時僕たちは ぼくとぼくは
なにをしただろうか
アンダーコントロール愛国者ではないが
故郷は好きだという僕らが
何に加担し 何を無視して来たか
アジア諸国に僕らは何をして来たか
加害者としてろくな謝罪もせず
今こうして
ガザで起きていることに
僕らができることは
血で贖われた
戦争をしない国という国是を掲げながら
困難でも道を作ることではないのか
敵に向かって銃を向けることが破滅への道だと
叫ぶことではないか
アンダーコントロール 自分だけの平穏を打ち捨て いのちは平等と叫ぶことではないか
どうしても どうしても
譲れないそこを流されず 生きることではないか