読書に季節はない
小学校3年生の担任、K先生は国語の先生でした、小柄でふくよか、黒縁メガネが良く似合う典型的な文系の先生って感じ。。
初学期の挨拶で、
勉強は皆んな好きじゃないかもしれない、だってまだ勉強し始めて3年目だもんな、でも勉強はすればするほど面白くなる。しないと面白くないままだ。人は物事を知ると続きが気になる、気になり出したら、もうそれは勉強だ。それには本を読むといいぞ。
私達には月に一冊読んで、感想文を書く宿題が出され、それは教室の後ろに貼られました。誰もがクラスメイトの文章を読むことが出来ました。
漫画じゃだめですか?
いつも感想文をサボる坂本くんは、字を読むのも書くのも嫌いと先生に抗議。
K先生は
僕は君たちが読む本はたいてもう読んでいるんだ。だから内容は知っている、だけど君たちが本をを読んでどう感じたかを知りたい。例えば、物語の中に女性が登場したとして、漫画だったら、顔も姿も断定する。だけど本だったら、どんな顔なのかと想像するのはその人それぞれだろ?君がどう思ったのかを僕はそれが知りたいんだよ。
感想文が苦手なら、君は感想絵を描いてくれたらいいよ。
次の月には坂本くんの描いたノーチラス号が壁に貼り出され、そこには大きな花丸が添えられていました。
夏休みに入る前に
七月と八月、二冊読もう、一冊は自分の選んだ本、それを登校日に誰かと交換して友達が読んだ本を読んでみよう。同じ本でも思うことが違って面白いぞ。
K先生は私たちに今で言う多様性について教えてくれていたのだと思います。
夏は読書の夏だ!
えー!読書は秋ですー!小学3年生の私たちだってそれぐらいわかりました。ですが
読書の夏なんだ、海水浴なんか行ってちょっと疲れた時に、縁側で読む。バタバタと暴れる気力はもうないはずだから丁度いい、読んでるといつの間にか夢の中だ。現実なのか夢なのか分からなくなる面白い体験ができる。読書の夏だ!
言い忘れてたが、実は読書の春もあった。暖かくなって外で読む本はいいぞ。空から桜なんか降ってきてさ、花びらが自然の栞になるんだよ。
つまりは年中、本を読めという指導でした(笑)。
当然秋になると、先生はさあ!本番だ、読書の秋だ!と私達を焚き付け、冬休みにはこたつとみかんと読書は良い風物詩だと笑いました。
K先生は子供の頃、体が弱く運動も苦手で目立たない生徒だったといつか話してくれました。学校主催のキャンプに参加した時、誰も火の起こし方が分からない時があったそうです。その時、摩擦による火起こしを本を読んで知っていたので、K先生が点火させると、いつもはK先生を馬鹿にしていた運動部の生徒が
お前、やるじゃん
と仲良くなったそうです。その時に先生は知識は運動部に対抗できる!と思い、さらに知識を身につけよう、と本にのめり込んでいったのです。
学年が変わり先生は担任を外れました。読書が習慣になった友人もいれば、忘れてしまった生徒もいました。さらにそれから2年、6年生になった時、K先生が病気で入院していると母から聞きました。
そういえば ずいぶん学校で会っていない。
6年生になってもK先生の影響で読書を続けていた有志で夏休みにお見舞いに行くことにしました。漫画の坂本くんも一緒です。病室に入ると体が半分くらいに細くなったK先生がいました。子供でもこの変化は尋常ではないことがわかりました。
担任を離れて3年、適当な話題が見つからなくて、私達は最近読んだ本の話に終始、先生は笑って何度もうなずいていました。
病院を出て、病室を振り返ると、窓際に先生が見えました。私が気づいてもらえるように手を振ると、先生が小さく返すのが見えました。その先生に向かって私達のうちの誰かが叫びました。
読書の夏ー!もうすぐ秋ー!秋は読書ー!
私ともう一人の女子がたまらず泣き出し、その声を隠すように坂本くんが
読書に季節はないー!
彼は絶対に泣かないといった表情で手を振り続けていました。
その後私達は小学校を卒業し、それぞれ違う中学校に進みました。誰もが目の前のことに関心が移り、K先生が学校を辞めるという情報が入ってきたのは志望高校を決めようとしてた頃だったと思います。
なぜ、その知らせが来たのか、というと先生の奥さんが住んでいた家を引き払いたい、K先生の病院の近くにアパートを借りる際、大量の書物が手に余り、かつての教え子に本を譲りたいから、家まで取りに来て欲しいと言うことでした。
私は小学校の友人と二人で訪れ、それぞれ本を選び奥さんに挨拶をして帰りました。知ってる顔が来ているんじゃないかと、期待をしていましたが、それは叶いませんでした。
大学で上京し、以前の友人とは交流も無くなっていたのですが、東京に住んでる地元ネットワークで同窓会が開かれたことがあります。その時の発起人が漫画の坂本くんでした。彼は高校に入る前にグレて、暴力団に入った噂もあったので私には少々驚きでした。
坂本くんは会場で私の顔を見つけると、俺はお前にどうしても見せたいものがあるんだ、と隅のテーブルに座るよう促します。
お前、K先生が先月奥さんの実家、隣の県に越したの知ってるか?
いいえと首を振った私に彼は続けました。
お前、先生んちがアパートに引っ越す時、本もらいに行ったんだってな。奥さんから聞いたよ。俺中学んとき、親と仲悪くなって、高校も行かなかったし、もう本読んでなかった。だけど、本はもらいに行ったんだ。最後の方でもうあんまり本が残ってなかった。だからなんでもいいや、とその辺にある本をもらった。
で、俺、それを全然開かなかったんだよ。だけど先月実家に帰った時に先生の転院をダチに聞いた。それでようやく先生の本を思い出したんだ。
彼の手には古い三四郎の本がありました。
開いたらさ、本当に桜の花が挟まってて、栞になってたんだよ。先生、読書に季節はないって言ってたよな。あれ、本当だったな。俺、グレた時、信じられる大人なんかいないと思ってた、みんな嘘つきだと。
病気の先生を見舞っても泣くのを我慢した坂本くんが桜の花びらを見て、男泣きに泣いていました。
あれからもう30年近くも経ち、同級生と顔を合わすこともなくなりました。ですが街角の本屋や、コマーシャルで、読書の秋、という言葉を見かけると
読書に季節はない、と小さくつぶやいてしまいます。