本日のヒト皿 モロヘイヤスープ
モロヘイヤとエジプトと日本、思い出 note
パリ発カイロ行きの飛行機は、地中海を越え、砂色の街を眼下に望みながら飛行を続けた。
機長の粋な計らいで、なんとギザの大ピラミッド上空を旋回し、飛行機の窓からはあの大ピラミッドがまるでフィルムのシーンのように見えた。
それがカイロとの初めての出会いだ。
1990年代、夫の駐在で私たち家族が暮らした国、エジプト。
モロヘイヤとの出会いもそのときだ。
カイロでモロヘイヤに出会う。
1990年に入り、日本でもモロヘイヤという野菜のことが知られ始め、趣味で栽培する農家や園芸愛好家もちらほら出始めたと知ってはいたけれど、私は日本でも見かけたことがなかった。
そして暮らし始めて少し経ったころ、モロヘイヤスープの作り方を習った。
「gingaサン、今からモロヘイヤスープを作るからいっしょに買い物に行きましょう」とエジプシャン・スタッフのモナが流暢な英語で私を誘ってくれた。
これがモロヘイヤなるものを初めて知った瞬間。暮らす前に日本で読んだ「地球の歩き方」に写真が載っていたのを見たくらい。
あれを作るのね、面白そうだわ。
オフィス兼自宅のすぐ近くのペットショップかと見間違うような肉屋に行き、モナが鶏を二羽選ぶ。捌いてもらう間にスーパーに行って冷凍モロヘイヤペーストとレモンなどを買い、再び肉屋に寄って温かい二羽の丸鶏を提げてオフィス兼自宅のメゾネットタイプのフラットに帰る。
「4人でチキンは1羽使います。今日は8人分作るから2羽ね」と手際よく丸鶏の皮を輪切りレモンで丁寧にこすり、システカ(ミステカ?)というエジプトのスパイスをフライパンで炒めて、丸鶏全体を万遍なくソテーする。それから鍋にそれをぎゅっと入れ、水とスパイスと玉ねぎも入れ、半時間少し煮る。
一体なんでモロヘイヤスープを作るのにチキンがいるの?
野菜スープを作るんじゃないの?と丸鶏が苦手な私は疑問だらけ。半時間少し経ってからチキンを取り出し「このチキンは後でフライドチキンにします。これがスープね。ここにモロヘイヤを入れます」とモナが説明してくれ、やっと事の次第が理解できたのだった。
なんとも濃厚なスープの出来上がりで、ここにかなりの分量のペースト状の冷凍モロヘイヤを加え、少し煮る。とろっとろ。
(冷凍モロヘイヤを使ったのはフレッシュモロヘイヤが入手できない時期だったからだと思う)
「ここからが大事なの」と料理上手なモナがクロックを取り出して、皮をむいたエジプト特有の小さなにんにくを次々と放り込む。
トントントンとにんにくを潰す。
クロックでつぶすから美味しいのとモナが言う。ええ、私もそう思うわ。
小鍋にサムナ(エジプトのバターオイル)を温め、クロックのにんにくをじゅわっと入れる。食欲を刺激するにんにくの香りがサムナと溶け合う。
「これをモロヘイヤスープの中に入れます」とモナが実演して、すぐに蓋を閉める。「香りを閉じ込めるの。ぜったいに蓋を開けないで!」
最高に贅沢なランチタイム
ジャポニカ米(短粒種ヤバニ米~ヤバニは日本のこと)を炊いたライスと、とろっとろの濃厚なモロヘイヤスープと、スープを取ったあとのチキンに粉をまぶしてパパッと揚げたフライドチキンがテーブルに並べられた。
私と夫とエジプシャンスタッフ3人、それとちょうど学校に行って留守の3人の娘たち用にと、8人分のモロヘイヤスープが出来上がった。
「お味はどうですか?」とカイロ大学日本語学科卒業のナグアさんが丁寧な日本語で訊ねる。
「最高よ。なんて濃厚で栄養満点の味なの!」と私も夫も初めて食すエジプトの料理に舌鼓を打つ。
モロヘイヤスープをスプーンで一口ずつ口に運びながら、ライスは別に食べていると「マッダ~ム。エジプシャンはこうやってモロヘイヤスープをライスにかけながら食べます」とサイードさんが英語で教えてくれる。
言われた通りに食べてみる。
「わぁ、これって日本のとろろごはんといっしょね。確かに美味しい」と頷きながら食べる。日本でもエジプトでも同じジャポニカ米を食べているから、人々は美味しい食べ方をちゃんと知っているのだと妙に納得。
あぁ、残念だ。この頃私は全く写真を撮っていないのです。風景や人物スナップなどの写真はそこそこあるのに、こういった料理写真というものを撮っていない。
(だから料理写真はすべて帰国後のうちでの食事の写真です)
こうして私は最高に美味しいモロヘイヤスープを作れるようになった。
さらに短く折った細いパスタをサムナで炒めてジャポニカ米と炊いたエジプシャンライス(私がそうよんでいるだけ)も、「gingaさんはエジプシャンのように炊けますね」とスタッフから褒めてもらえるまでになった。
モロヘイヤの季節になると、スーパーや道端の野菜売りの女性たちが山高く並べたモロヘイヤを売る。ちょうど枝豆をごそっと抜いた感じで、枝豆よりもう少し丈が高い。
これを買ったらバスルームへ直行。泥だらけ、埃だらけのモロヘイヤを半時間かけて洗う。モロヘイヤを料理するのに、これが一番大変な仕事だったなと思い出す。
エジプトの典型的なエリート家庭に育った美人で才気あふれるモナは、あの頃はまだ20代後半だったけれど自分でも料理をするし、料理へのこだわりも強く、美味しいものをたくさん知っている。そんな彼女から教えてもらったエジプト料理は、今振り返ってみても本格的な料理だった。
ナグアさんもサイードさんも、みんな食にこだわりを持っていて、だから彼らのおかげで、私たちはカイロで一番美味しいシャワルマやコシャリにも出会えたのだ。
モナはベリーダンスの名人で、だけど異教徒の男性の前(私の夫=彼女のボス)では絶対に踊らなくて、日本人の友人たちといっしょにモナからベリーダンスを習うときには夫は二階へ退避していたなと、そんなことも懐かしい。
はるばる日本から会いに来た母にモロヘイヤスープとお浸しをご馳走したことがある。
「ほぉ、こねぇな風に料理したらええんじゃねぇ。うちでは毎朝畑から葉っぱをちょっとちぎって、味噌汁に入れちょるんよ」という。
当時70歳だった母が趣味でモロヘイヤを栽培しているという事実に、今度は私が驚いた。
日本に帰国してからは、もっぱらモロヘイヤお味噌汁ばっかり
だけどモロヘイヤスープみたいに、とろっとろのモロヘイヤのお味噌汁がうちのスタイル
5人の孫たちにもばあばの味として認識されていて、「これはほんとうに大切な味だよね」と毎年夏になると少女たちが言う。
闘病中だった母の看病に帰省したときも、毎日作った。
「これはほんとうに栄養があってええねぇ」と母は飲み干していた。
辰巳芳子さんの ”命のスープ” に比べると丁寧さに欠けるけれど、私にとっては母に作ってあげられた”命のスープ” だもの、思い出のモロヘイヤなのだ。
帰国して数年後。
夫の知人との会食で、モロヘイヤを日本に紹介するのに尽力された方々の一人と偶然お会いして、懐かしきエジプトの話、モロヘイヤ談義に花が咲いたこともあった。
興味を抱いたものたちは、必ず何かしらの縁をよぶ。
だからこそ、ひたむきに向き合いたいのです。
たかがモロヘイヤ、されどモロヘイヤ。
長い長い思い出話はここまで。
モロヘイヤをめぐるお話はここまで。
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