嗚呼サバランや
サバランさん!
これはみらっちさんも記事を上げてらした横浜・喜久家さんのものである。樺太みたいな正式名称の、サバリンさんである。
心していただきました。
ブリオッシュ生地の中央のくり抜きにクリーム注入。クリームにもほのかに洋酒っぽい香りがするのは、気のせいかもしれないけれども。
フォークで生地を押すとじゅじゅっと洋酒。甘い。深煎りコーヒーでちょうどバランスの取れる甘さ。
甘さといってもいくつもの段階があって、たとえば、ほのかな甘さ、さっぱりした甘さ、しっとりとした甘さ、濃厚な甘さ、とか、いくつもの表現がある。
サバランにあるのは、わかりやすい昭和の甘さ、だと思う。暗い蛍光灯の下で(当時はそれを暗いとも思っていなかったけれども)、甘いものってゼイタクだけど幸せだよね、といいながら大事に食べた記憶につながる、そういう甘さ。
大人向けの甘さというとそこにお酒が加わるのだ。紅茶にちょっと洋酒を入れたり、ブランデーケーキだったり、サバランもその仲間に入る。そういったものを思い浮かべると郷愁に似た気持ちが湧いてくる。
そういう記憶がなければ、令和のいま、たくさんの食べ物に囲まれているとこの種の甘さは少々野暮ったいようにも思える。しかしこれは、他のお菓子とはちょっと違う、独特な郷愁の世界への入口なのだ。
たとえば、こういうことがある。
この句から思い浮かべるのは、晩秋の夕方。柿が食べ頃に熟しているのだから、季節が決まるのである。そして朝でも昼でもなく、夕方の場面。句にはそんなこと表現していないのに。けれども仮に「この歌の場面はどこか」という問いに幾つかの選択肢があれば、半ば反射的に「晩秋の夕方」をあらわすものを選ぶだろう。
では法隆寺やその近くに居ながらこの風景を体験した人がどれほどいるだろう。実際に体験した人、手を挙げてください、ハイッ! ……あんまりいませんね。けれども、日本人はどういうわけか同じ郷愁の世界を共有する傾向があるようだ。
サバランの甘さにも、これに似た「体験したことはないけれども、なんだか共感できる郷愁の世界」を感じられるのではないかと、わたしなんかは思うわけです。