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『天才を殺す凡人』ギフテッドを思いながら(2)
ギフテッドの特性を感じさせる「天才」
この本のどこを読んでいて「ギフテッド」と思ったか、引用で示したい。因みに、本書はビジネス書かと思いきや、ストーリー仕立てになっていて、チーフ・ワンワン・オフィサー(CWO)の犬が出てきて喋る。
人類の最大の敵は「飽き」
「組織や世の中には、必ず、飽きている人がいる。…新しいものを作る人にとって、『飽き』ってのはとんでもない苦痛なんや。生きている感覚がしない、死んでいると同じ。そんなレベルの苦痛や」
「特に天才にとっては、誰かが作ったレールの上で生きていく、そんなのは朝飯前すぎて面白くない。だから、天才は新しいレールを自ら敷いて、新しい価値を作りにいく。それは壮大な『飽きとの戦い』や」
「わかりやすい例を出すとな、たとえば、ここに8歳の天才少年がいたとしよう。その子は、8歳にして、大学院レベルの数学を理解している。そんで、彼を普通の小学校の算数の授業に放り込んでみ。間違いなく『飽きる』やろ。ほんで何をすると思う?…自分で問題を作り始めたり、先生のミスを指摘したりな。なにせ先生より勉強できるからな。想像できるやろ?」
革新的なイノベーションとは、天才の「飽きに近い感情」から生まれる。
「天才からすると、古いやり方や、非効率な社会というのは『飽きすぎてヤバイ』存在や。だからこそな、天才は怒られるんやな。『先生こそ、間違っていますよ!』って言っちゃうから。」
「これまでの世界に飽きているし、そこに『改善できる余白』しか見えない。だから、指摘するし、作るんや。彼らが求めるのは、常に飽きを満たしてくれるような、心が燃え滾るような『余白』なんや」
「だども、大体、どの組織にも『先生』がいるんや。そして、『先生』は天才を殺す。ちなみに『先生』ってのは、”たとえ”だべ」
先生・・・ 秀才の一種。よかれと思って、天才のことを指導するが、天才にとっては好奇心を殺す存在に映る。
(著者:北野 唯我)
長男が、自分が文科省なら学校システムを変えると言ったり、ダメなら新しい学校を作ると言っていたのも、こういう飽きから来ているに違いない。「刺激が足りない、授業が簡単すぎてつまらない」=「飽き」だろう。
加えて、「慣習ほどしょうもないものはない」が、長男が溜息をつきながら言う台詞だ。でもそれを表明しようものなら怒られるのは長男と相場が決まっている。
ついでに算数の学力調査テストで、「習った解き方しかだめです」と言われて、「変なの、なんで?」と苦笑いしていたことがあった。相手は理解しようと努めてくれるどころか排除しにかかったわけだが、誰もそこで「『先生』、天才を殺しちゃダメです!」と止める人もいない。
今、学校の先生の判断によって、特定の分野に才能のある子を選ぶということが検討されているらしい。しかし、こういうチャンスをスルーする先生が実際にいる中で、判断を現場に委ねるのは危険だと言わざるを得ない。少なくとも教師だけの判断で決定するのは考えものだろう。
ギフテッドが支援を必要としているもっと本質的な理由
本来順番としては、下記の図にある三者の関係を理解しておく必要がある。とても面白いし、この図こそまさに「天才」なりギフテッドが支援を必要としていることを示すものだと思った。
![](https://assets.st-note.com/img/1660060377116-75L7HJ0gtS.jpg?width=1200)
文科省は、「特定分野に特異な才能のある児童生徒」と名付けて能力面をより重視しているように思うのだが、上の図の三者の関係性から読み取れるように、この中で最も情緒面でのサポートを必要としているのが「天才」なのだ。
天才は赤色のマイナスの感情を受けるばかりで、プラスの感情をもらっていない。これが現実に起きているということを、是非文科省だけでなく、多くの人に知ってもらい、サポートの必要性を理解していただきたいと思っている。
理解されず排除される苦しみと、妬みなどのネガティブな感情を常に受け続ける宿命にあるのが「天才」であり、ずっと満たされない状態に置かれている。ギフテッドに今一番必要なのは寄り添ってくれる理解者ではないだろうか。つまり、居場所だ。
ギフテッドは確かに年齢で求められるより遙かに高い理解力がある。だから標準教育では飽きてしまって死ぬほど退屈だ。それも何とかしたいのだが、同時にそういう状態で周囲から浮きがちなところでかなり精神的な負担を抱えているということが解消されなくてはいけない。知的好奇心だけ満たせば以上終了という話では全くないと思っている。
またギフテッドは子供を指して言う場合が多いが、この場合、精神面は必ずしも年齢を超えている訳ではなく、むしろ年齢相応か少し幼いくらいな印象だ。結果、知的凸、情緒凹という状態になっていると思う。
我が子の場合は心理検査の結果、周りが思っている以上に強い不安を抱えているはずということが示唆され、懸念すべき点として報告を受けている。絵を描かせたら繊細で不安傾向の強い子が描く絵を描いたそうなのだ。
ギフテッドを支援する際には、この情緒面が学校生活を通じて健全に保てているかを気にしていただきたいと思う。特に担任との関係が大きいため、先生方がギフテッドの置かれた状況を知って理解し、寄り添えるような支援をしてほしいと思う。
(3)につづく