『天才を殺す凡人』ギフテッドを思いながら(1)
偶然だろうか、数日前にタイトルに惹かれて読んでみた。直感的に、ギフテッドの臭いがしたからだった。副題に「職場の人間関係」とあったため、もしかしたら直接は関係ないのかもしれないとも思ったが、読み進めてほどなくして確信した。
では「ギフテッド(ギフティッド)」という言葉が出てくるかというと、出てこない。まえがきにもこうある。
私自身は登場する天才がギフテッドの特徴を多分に持っていると思ったが、それは誰の中にもある特徴として書かれていることは覚えておきたい。
ギフテッド、ようやく日本でも
本の話に入る前に、一言。今ギフテッドの話が日本でもニュースなどで取り上げられるようになって、ようやく炎上してきた感がある。海外ではとうの昔に取り組みが始まっていたものが、やはりと言うか、周回遅れで日本で動き出した。
それで、ギフテッドを推している立場としては、悪名とは思っていないのだが、「悪名は無名に勝る」で、炎上してでも認知度が上がってもらわないと困る話だと思っている。ようやく最初のフェーズに突入するに至ったわけだが、次は一人でも多くの人の理解が得られればと思っている。
本の話に戻って、「天才を殺す凡人」を読んでギフテッドと重なる部分が多いと思ったわけだが、こちらは恐らく炎上することなく、大反響でベストセラーとなったのだろう。それで、この本のアプローチを、文科省が参考にすると面白いのではないかと思った。「特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方」に活かせると思っている。
前置きとして最後に、興味深いのは著者がこの本を書いた理由が「怒り」であったことだ。
(2)につづく