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子どもにも、周囲への理解を促し柔軟性を身につけさせる(1)

前回のnoteの中で、学校が問題視することは本当に問題なのか、学校が問題児と考える子は本当に問題児なのかという問題提起をした。こんな風に大勢の人にとっては特に問題になっていないことについて問題提起するということは、それなりにパワーのいることだと気づいた。

そして、本当に問題なのか?本当に問題児なのか?については、どう考えるかは人によっても違うと思う。そしてどう考えるかが人によって異なる限り、長男は、その時々で自分自身を微調整しながら生きていかないといけないのだと思っている。

願わくば、長男は凸凹しているため、この凸凹にうまくはまってくれる粘度のような環境があれば、長男としては一番居心地が良いのだろうと思う。

しかし現実的には、サイズの決まった箱に、長男自身がどの程度「納得して」あるいは「フリだけして」収まることができるか、ということも必要になってくると思っている。究極的な目的は、長男に自分で自分の身を守れるようになってもらうことだ。

そのためには、自分たちでできることを探す努力も必要だろうという思いと、環境の方ばかりに要求することはできないだろうという理解と、こうでもしないと行く手を阻まれそうという思いが絡み合っている。

もし努力してみて、やっぱり本人の努力では調整が難しいということであれば、その時は別のやり方を考える必要があるかもしれない。

しかし現時点では、長男の方にも柔軟性を持った対応ができるように努力をさせたいと思っている。

なぜ長男にも柔軟性を身につけさせたいか

理由は大きく分けて3つある。
①長男の行動修正なしには周囲が感じる不快感は解消されないと思うため
②自分の困り感を社会に対する怒りに変えて欲しくないため
③「フリ」をしてでも身を守って欲しいため

①長男の行動修正なしには周囲が感じる不快感は解消されないと思うため

長男にも変化を促したいと思っている1つ目の理由は、長男の言動によってしばしば周囲の人が不快と感じる状況が発生してしまっているからだ。

この、周りからしたら不快だし、迷惑に感じるという状況について、「人はそう感じるんだ」ということを、長男自身も受け止める必要があると思う。

これを、自分に理解を示さない周囲に非があると毎回考えるようではいけないと思うし、そうではなくて実は頭では分かっている時でも、長男はなかなか気持ちを切り替えられずに、結局は苦しんでいる自分にフォーカスを当てすぎる事がある。

周囲の反応を見て建設的に対応できるようになったり、自分に非があると明らかな場合は速やかに自分の気持ちを切り替えられるようにすることが、長男にとっても周囲にとっても良いことではないかと思っている。

②自分の困り感を社会に対する怒りに変えて欲しくないため

長男は周囲から理解されないことで、結果的に長男自身が叱られて、無理やり行動を修正させられることが発生してしまっている。お前が間違っていると散々言われて自尊心は低下の一途だ。

特に集団生活を送る小学校という社会においては、長男の凸と凹は両方とも望ましくないものとして受け止められがちだ。そのうち本当に望ましくないものもあるのだろうとは思う。それでも周囲からの期待とのズレに常に直面してしまうために、長男としても困り感を持っていることは事実だ。

おそらくこの先も、似たような状況には直面すると思うのだ。

それで理解されずに不満や怒りを持ったところで、他人からしたら知ったことではないし、自分で処理してくれという話にもなるわけだ。長男としては自分の気持ちに理解を示してもらいたいところ、さらに突き放されるという状況になるかもしれない。そうすれば、怒りの気持ちが沸くことは容易に想像ができる。

誰しもこういった怒りの気持ちは多かれ少なかれ持ったことはあるだろうし、それ自体は問題とは思わないのだが、そこから人として許容されない行動に出るのか出ないのかという選択を、誤らない人であって欲しいと思っている。

(2)につづく