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歩く効用7(公園のゴミ)

(上記 歩く効用シリーズです)

公道には結構ゴミが落ちています。
写真のようにちょっと素敵な、「檸檬」のような、そっと置かれた「モノ」も稀にみかけることがございます。

酷い場合、コンビニ袋にパンパンにつまった悪意のごみが、路肩に落ちているときもあります。

一方、家や事業所の周りをはき清めている住人や社員の方をみることがあります。
赤の他人の捨てたゴミを黙々と片付けてくれています。

仕事なのか淡々と。憤りながらか黙々と。。

私は散歩中、ゴミが視界に入っても横を通り過ぎるだけです。

ただ、歩いているとよくゴミをみかけるので、ゴミについて書いてみたくなりました。

私が小さい頃、
「お寺で走って転ぶと足がくさる」
などと親に言われ、今でも覚えています。ふざけて走ったりするな ということですね。

「悪いことをすると地獄に落ちる」
「虫に生まれ変わる」
みたいな輪廻思想が頭をよぎることもよくあります。

自分にツイテナイことがあったりすると
「バチがあたったかあ」
などと感じてしまう、身体に染み付いている感覚が確かにあります。

この感覚があるお蔭で、私はゴミをポイ捨てすることはありません。

ところが、もう一段高い思考として、「功徳」という考え方もあります。この考え方は、僕には染み付いてはいませんが、幼い頃の教育なのか、功徳を積もうと積極的にごみを拾われる方も見受けられます。

ただ、僕は家の前以外のゴミを拾うことは決してありませんでした。
単純に触るのが汚いということよりも「捨て得」を認めることへの心理的抵抗があるからです。

割り込みする車を入れない人の心理に近いのかもしれません。

そうやって自分はこれまで生きてきてしまっているのです。

そうこうしているうちに、歩いていると調子がでてきます。

落ちているゴミを拾うべきか、無視するべきか、どのように扱うべきか、noteにアップできるような結論が得られるかどうかを賭けて、心拍数が上がった状態で何度か考えてみました。

●親や友人が気軽にゴミを捨てていたのをみていた子供時代を過ごしており、悪いことだとわからないのだろうな。仕方ない、片付けてやるか

●クルマから煙草の吸殻をポイ捨てるなど証拠録画した証拠があっても、警察が動くことはないだろう。微罪に過ぎない。仕方ない、片付けるか。

●行政がいつか片付けるだろうが、家の前にゴミがあると気持ち悪いな。仕方ない、片付けるか。

●ゴミは結局清掃センターに行き着くので、役所に任せるのが実際世間多数派の選択だ!

はてはて、どう考えたら納得がゆくのだろうか。

歩いていると、心拍数があがり、心の回転数が千回転くらいあがるのですが、決して勇ましく、ハイにはなりません。が、スゴイ弱気な自分からは少し「アガる」感覚があります。

家の前くらいはゴミ、片付けてやろうか。仕方ない。

とおもうようになりました。功徳もあったりして。いいことあるかな。。

「市役所に電話しちゃう」
「強風で隣家や道路に飛ぶのを願う」
「無視する」

上記の考え方に比べれば、現代日本においては、家の周りくらいはキレイにするという、多くの方々がすでにやっている従来のやり方が、僅差ではありますが、最適解のような気がしてきました。

諸々解放された、金曜日の夜だからかもしれませんがね。


















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