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町内会の殺意(ショートミステリ)

 (1845文字)
 窒息しそうだ、翔子は枕に顔を埋めた。
いっそ窒息して死ねたら。 
 
 なんて言えば良かった?
 仕事で忙しいと言えば見下していると言われる。
 鬱と言えば、家に籠っているからよ、みんなと話せば元気になるわと言う。

 枕を抱えその女を殺すことばかり考えた。それは段々と具体的になっていく。
 翔子は起き上がると、音を立てないように窓を開けた。

 翌朝。玄関前にパトカーが止まった。
 刑事が部屋に通される。主人が後ろで憮然とした様子だ。

 坪井翔子夫妻が、この町内会の空き家に越して来たのは4年前だ。

  ここ半年程、ささいなすれ違いが起きていた。
 隣家の独り暮らしの老女、澤井が入院するというので新聞紙を翔子が預かることになった。
 入院は5日間で、翔子は預かっている新聞紙をビニールに包み大切に保管した。
 ところが主人がうっかり棄ててしまった。
 退院した澤井は笑って許してくれた。
 「これ、お詫びに焼いたんです、チョコレートケーキ。」
 澤井は困った顔をして言った。
 「あたし、チョコレートはアレルギーなのよ。ごめん。」そう言ってスカーフを外した。
 「あ、スカーフ素敵ですね。」翔子が澤井のスカーフを褒めると、澤井はその由来を長々と話始めた。
 翔子は、祖母の作ったスカーフに似ている、と言った。
 澤井は急に表情を硬くした。

 翌朝、翔子が庭の鉢を手入れしていると澤井が出てきて、じっと見ている。
 おはようございます、と声をかけてもむっとして応えない。
 早々に作業を止めて家に戻ろうとすると、
「ちょっと」と呼び止められた。
 澤井は両家の境界線から、翔子の鉢植えを指さしている。

 「ごちゃごちゃ、ごちゃごちゃ。よくこんな汚いの植えるわね。
 このラティス、いつからあった?
 ここ、境界線よ。何かあったらあなたのせいですからね。覚悟はあるの?」

「あ、もう3年は付けてますけど。撤去した方がいいですか?」

「あたし、そんなこと言ってないわよ。
なんか、あったら、あなたの、せいよ、ってだけ。」

 その午後翔子は、自作で、お気に入りだったラティスを解体した。
 するとまた、澤井が来た。
「なに?あたし壊せなんて言ってないわよ。これ見よがしね。あることないこと、言われちゃたまんないわ。
あなたが勝手にやったんですからね。」

 数日悩み、とうとう翔子は近所に住んでいる山田さんの家を訪ねた。
 山田さんは話を聞いて、大丈夫あなたは何も悪くないからと慰めてくれた。
 翔子は泣き出してしまった。

「元気だしなよ。ね。
 そういえば、午後町内会の音楽会があるのよ、いらっしゃいよ。
 元気出るし、仲間も出来るわよ。」

 翔子はしゃくりあげながら言った
「あ、ありがとうございます
でも、ちょっと人混みが苦手なんです。」

 数日後、翔子の携帯電話が鳴った。
 それは、何度目かの町内会のダンスクラスの誘いだった。翔子は必死で断った。
 
 電話を切って枕に顔を埋めていると、再び電話が鳴った。まただ、と身構える。

 画面に出た名前を確認する。澤井である。
 とりあえずダンスクラスはいいから少し手伝って欲しいと言う。

 翔子は鞄を取る。中に入っていたナイフを、逡巡してからナイトテーブルに置いた。
 
 澤井の家に行くと物置の灯油缶を玄関に運んで欲しいと言う。終わると翔子に言った。
 「山田さんに言われてね。子供っぽかったわ。さ、チョコレートケーキがあるのよ。食べて。」
 翔子は味も分からぬまま飲み下した。

 こうして翔子はベッドで殺意と戦っていたのだった。
 急激に眠気が遅い、窓から夜気を入れた。

 窓の外の人影に気付いた時には頸動脈がスパッと音を立てていた。

 入って来た刑事は、呆然自失の夫を尻目に検証を続けていた。「抵抗していないようだな。解剖結果は?」
 若手は監察医から送られてきたメールを見ながら言う。
「眠剤を飲まされていますね。
 チョコレートと一緒に摂取した。」

 澤井が逮捕された。
 澤井はチョコレートケーキは頂きものだと供述したが誰も信じなかった。
 近隣の評判では見栄っぱりで平気で嘘をつくということだ。

 山田は大きな欠伸をした。
 澤井にチョコレートケーキをやれば、アレルギーだから客に出すのは分かっていた。
 ケチだから貰えるものを断ることもない。

 ふん 人付き合いが苦手だってさ
あたしに逆らうなんて、許さない。
 ちょっと若いからっていい気になってんのよ。

 山田は主人にお茶を持ってこさせて、眠剤入りじゃないチョコレートケーキを頬ばった。
 


 

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