
ムーチョ、グラシアス。(ショートショート)
(698文字)
いつもの散歩コースでコロと突っ立っていると洋子さんがムーチョとやって来た。
しっとりと吉沢に笑いかけ、コロを可愛がる。
「やぁムーチョは元気ですか?」
「いえ、やはり年ね。ここまで歩かせるのも大変。」洋子さんは長い睫毛を伏せる。
吉沢はスマートAIロボット会社の営業だ。
コロナ禍のペットブーム以降、経営は順調である。
ペットロスは深刻で思い出を「修復可能なオーダーメイドAIロボ」に置き換える人が続出した。
注文は発注番号とデザインが工場に直送され梱包までが一連の作業だ。
この万全な情報管理も功を奏した。
配達先に洋子さんの住所を見つけたのはこの日のひと月程あとの事である。
洋子さんはご両親が遺した邸宅にムーチョとふたりひっそりと暮らしていた。
チャイムを鳴らす。
玄関に出た洋子さんは一層やつれ痛々しかった。
「ムーチョは…?」
「いずれ先に死ぬのは分かっていたのに、やっぱり辛いわ。」
「…こいつがいればきっと慰めてくれますよ。」僕は車から降ろした大きな箱を渡した。
洋子さんは雨上がりの菫のように顔を輝かせて言った。
「ありがとう吉沢さん。優しいのね。」
散歩の時間。
洋子さんは見違えるように生き生きとして、ムーチョに顔を埋めた。10歳は若返って見える。
「やぁ、本物みたいだ。」
「ええムーチョは本物よ。」
僕は震えた。自分仕事を誇りに思う。
思わず洋子さんの華奢な肩を抱きしめほのかな薔薇の薫りに、接吻した。
洋子さんは悲しげに僕の目をみて言う。
「だめ…吉沢さん。許されない恋だわ、今はまだ。」
3年後。
洋子さんが僕に言った。
「ああ、ムーチョが死んでしまったの。」