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古本屋になりたい:20 西崎憲「蕃東国年代記」
オールタイムベストとして、本ならば自分の中の永遠の10冊を紹介している人は多い。
私もやってみようかと、同じようにピックアップしてみたが、どうしても11冊になる。寝て起きても、減らなかった。
そこで、10冊に絞るのはあきらめて、自分の全部をうまく表せる本を、1冊紹介してみようと思う。
もちろん面白くて、好きな1冊なのだが、だからと言ってこれまで読んだ本の中で一番面白い、一番好き、ということでもない。
この1冊で、私の好きなものが説明できる本なのだ。
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本の名前は、「蕃東国年代記」。
作者は、西崎憲。
私が持っているのは新潮社の単行本だが、今は創元推理文庫に入っている。
どこか日本に似ている蕃東国の、いつかの時代の出来事を描いた連作短編集である。
単行本の場合、表紙に始まり、中表紙、目次、「装画・挿画 市川春子 装幀 新潮社装幀室」というページまでは、この本は確かに、西崎憲により書かれ、日本で出版されたフィクションだ。
次のページには改めて「蕃東国年代記」と題名が入り、さらにめくると蕃東国の地図、そして第1章が始まるページの前には、蕃東国について書かれた他の本の文章の抜粋がある。
蕃東をはじめて訪れた時、わたしはとても懐かしい気持ちになった。理由は分からない。目の前の風景のせいだったのか、それともそこにいた人々のせいだったのか。
パウル・ツィールベルク『蕃東の小径にて』より抜粋…。ツィールベルク?
蕃東国って本当にあるんだ、と私はくらっとしてしまった。ファンタジーはもちろん、ミルハウザーなども大好きなので、こういう設定に慣れていないわけではない。好みすぎるゆえに、脳みそが揺れたのだと思う。
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メインとなるのは、全5章からなる小説だ。貴族である宇内と、その従者・藍佐が主な登場人物だ。平安貴族を思わせる2人だが、全てが平安調というのではなくて、中華風あるいはごちゃ混ぜ東アジア風、文庫本とも共通する市川春子の装画を見れば、雰囲気はすぐに感じ取っていただけると思う。
2人は、ちょっとした不思議な出来事に遭遇したり、怪異に出会ったりする。大活躍して敵をばったばったと倒したり、素晴らしい推理で謎を解いたりはしない。
各章のつながりは緩い。共通するのは、宇内と藍佐が登場することくらいである。
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宇内と藍佐の物語は、平安時代に似た、何百年も前の設定と読める。
つまり、この部分は年代記というわけではない。
各章の前に挿入された、蕃東に関する様々な書物からの抜粋が、日本があるあたりに今もあるらしい蕃東国の歴史を証明しているのだ。
ツィールベルクの回想記のほかに、
・万有百科事典 第九巻(石氷社、二〇〇五)「蕃東」の項
・ダイアン・レイノルズ著『東アジアの音楽』 第二章「蕃東」
・蕃東とフランスの共同製作映画『西の南東の北』のプロデューサー、アルベール・オーヴィニエへのインタビュー(英訳) デジタルプレス「インターミディエイト」のサイトより。二〇一〇年
…などからの抜粋がある。
Wikipediaで調べたらどれかは実在するのではないかしら。
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架空の国、架空の本、架空の歴史。
どこか知っている国に似ている、パラレルワールド感。
歴史書やノンフィクションを思わせる章前の抜粋。
前後のつながりが緩い連作短編。
大きな事件は何一つ起こらない、日常の謎系の趣。
大きな物語につながる前日譚、大きな物語が終わった後日譚、大きな物語の読者のための番外編のような、後ろに一つ大きな物語を隠しているような、でも今はまだ何でもない、という感じ。
どのレビューサイトで見たのだったか、設定が面白いのにもったいない、と書かれていた。確かに、宇内と藍佐で、とてつもない重厚な物語も描けそうだ。
しかし、これで、「蕃東国年代記」はこの一冊で完成している。
恩田陸の「常野物語」や「図書室の海」が好きなのだが、これらの短編集にはどこか予告編のような雰囲気がある。後ろに大きな物語が控えている感じだ。
実際に、「常野物語」には大きな物語があったし、「図書室の海」の中には、他の作品の前日譚がある。
大きな物語が本当にあった喜びもあるが、私は「常野物語」や「図書室の海」そのものが持っている、なんだかここからすごい物語が始まりそうだ、でもまだ始まらない、という感じが好きだ。
「蕃東国年代記」にも、そのような面白さがある。後ろに大きな物語がなくても良い。
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私が「蕃東国年代記」一冊で自分の好きなものを表せると思うのには、もう一つ理由がある。
作者の西崎憲は、小説家であると同時に、英文学の翻訳者でもある。フォースターやマンスフィールド、ポーなどの翻訳がある。好きだけれどどんなものでも読みこなせるような強者ではない私にとっては、海外文学を読む時のガイドとなる翻訳者の一人と言える。
私がもし急に、どこかの読書会に放り込まれても、よく知らない壇上で自分について語りなさいと舞台袖からドンと押し出されても、「蕃東国年代記」を一冊鞄に入れておけば、具体例を示しながらその場をしのげると思う。
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「蕃東国年代記」は、私のオールタイムベスト10冊にも11冊にも入らない。この本を入れると、上のような理由で、他の本が全て無効化してしまうからである。