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古本屋になりたい:15 たんぽぽ主義者

 初めて手にとった辻邦生の小説は、「人形プッペンクリニック」だった。
 連作短編「ある生涯の七つの場所」の第4巻だ。

 「ある生涯の七つの場所」は中公文庫で全7巻、大きく二つの物語が交互に語られる。
 一巻ごとのつながりは緩やかだ。大きな二つの物語にはそれぞれテーマカラーが与えられていて、それぞれの物語を縦糸と横糸に見立て、物語のタペストリーを描くことが、辻邦生の目指したものだ。
 一巻につき7話、7話で14話。7巻で98話、プロローグとエピローグを加えて100話で織りなす物語の織物だ。(モザイクと表現されることもある)

 このような構成になっていることが分かってくるのは、かなり読み進めてからだった。すでに古本でしか手に入らない状態だったので、一冊読み終えてもに次に進めない。また、買えた巻から読んでいくので、全容を掴むのは難しかった。

 しかし、それで全く構わないのだ。
 巻ごとのつながりも緩いが、章ごとのつながりも強くない。二つの物語が交互に現れ、年代も場所も登場人物の関係さえ明確には語られない。ずっとそこで物語は続いていて、急にスポットライトが当たったように語り始められる。

 次第に、必ずしも流れを把握する必要はないのだと分かってくる。

 一話につき30ページほどの短さで短編としてのドラマをきっちりと見せ、根底を流れる二つのテーマを維持しつつ、100話の壮大な物語としても成立させる。大枠を思いついたとしても、一つ一つの物語を書き連ねていくことを想像すると、気が遠くなるようだ。

 物語の大きな流れの一つが、家族を置いてアメリカに渡った社会学者・宮辺音吉をめぐる物語。そしてもう一つが、第二次世界大戦の前哨戦とも言われる、スペイン内戦に関わった人々の物語だ。

 5巻の「国境の白い山」の中に、「野の喪章」という印象的な一話がある。
 世界中がファシズムに傾いていく時代、スペイン内戦にレジスタンスとして参加した二人の、ほんの短い一瞬を切り取った物語だ。

 スペイン人労働者のホアンと、フランス人植物学者で教師のロべール。二人は、小都会まち外れの草地の陽の当たる斜面で、戦闘によって崩れた建物に隠れながら、敵の様子を窺っている。同世代なのだろうか、なかなか戦闘が始まらないので、日向ぼっこのような長閑さでこれまでのことを語り合う。
 あたりの草地には花が咲き始めて、気温が上がり、雲雀の鳴く声が聞こえる。
 草地に咲いた菫の香りを嗅ぎながら、ホアンが花屋には縁がないというと、ロベールは花屋に行かなくても花はある、あの黄色い花は知っているだろう、とたんぽぽを指差し、その学名を教える。
 「Taraxacumタラクサクム officinaleオフィキナーレ

 ホアンに問われるままに、ロベールは、自分がフランス人ながらスペインのレジスタンス軍に加わった経緯を話し始める。
 裕福な実業家と結婚した従姉妹のアデルが、夫の経営する工場で働く男と恋に落ちた。アデルと恋人の手助けをしたロベールは、金勘定だけのアデルの夫より、自然を愛し地上の生活を大切にしている従姉妹の恋人に共感を覚える。
 ロベールは、ホアンに話す。

…花や散歩が好きだった人を、急に金の亡者に変えるような、そんな社会を押しつける連中には、大いに反対するわけなんだ。ぼくは野原を飾っている菫やたんぽぽを愛する人々のために戦っていると思うのだ」
「じゃ、君はTaraxacumタラクサクム officinaleオフィキナーレ主義だ」
「たんぽぽ主義者か」
二人は笑った。

辻邦生「国境の白い山 ある生涯の七つの場所5」
中公文庫


 ホアンは、肺結核で亡くなったかつての恋人イサベラの話をする。
 器量自慢でお洒落にかまけるところがあったイサベラ。ホアンは苦言を呈しつつも彼女と一年ほど付き合うが、突然イサベラは彼の前から姿を消す。
 次にホアンがイサベラに会えたのは、5年ほども後のことで、ある事情からイサベラは娼婦に身をやつしていた。

…だが、ロベール、金銭かねというものがある以上、人間はすべてのものに値段をつける。お前さんの好きな風も木も花も光もだ」

辻邦生「国境の白い山 ある生涯の七つの場所5」
中公文庫


 ホアンは、看護婦たちがイザベラの墓にたんぽぽを入れてやったことを思い出す。戦争が激化していて、街の花屋にはもう花がなかったのだ。

 スペイン内戦には、ヨーロッパ各地からファシズムに反対する人々が多数参戦し、レジスタンス軍に加わったという。

 もし映画なら、ロベールに陽の光を当て、ホアンには建物の影が顔に落ちるように撮られるのかもしれない。しかしその内面は、単純に光と影に分けられるものでもない。

 「金の亡者」から大切な人を救い、「札束なき世界」を夢見て、レジスタンスに参加することを決意したフランス人であるロベールの姿は、社会主義がうまくいかなかったことを知っている現代の読者から見れば、理想主義的で能天気にも見える。
 「金の亡者」の側に半分自ら落ちて死んでいったイサベラを、救えなかったと感じているスペイン人のホアンは、かつて警察と衝突したデモ隊の一員だった祖父たちの、祖国への思いを継承し、レジスタンスに身を投じている。上のホアンの言葉は、社会主義への期待の薄さを表しているようだ。

 同じ場所に身を置きながら、必ずしも同じ立場同じ思いではない二人だが、ホアンがロベールを「たんぽぽ主義者」と名付けたのは、嫌味でも当てつけでもない。同じ村で生まれていたら、進む道は違っても仲良くなっていたような二人なのだ。

 のんびり進んでいた物語が急展開し、最後に視点が鮮やかに切り替わる。
 一人一人名前は与えられているけれど、英雄ではない、名もなき普通の人たちが戦って死んでいったのが戦争だということを感じさせる。

 日本人の名前に比べると、西洋の名前はバラエティが少ないと聞くが、「ある生涯の七つの場所」に出て来る人々も、似たような名前で登場する。前に出てきたあの人と今読んでいるページのこの人は同じ人なのか、別人なのか分からなくなる。
 初めはページを戻して確認したりしていたが、多分それも考えなくて良いのだ。

 ジャンやジャックや、マリーやリーザが、それぞれが別の人生を生きて、同じように戦争という過酷な運命に翻弄された。そっくりだけれど隣とは違う糸が並んで布を作るのに似ている。

 「ある生涯の七つの場所」の文庫は、今は新刊としては手に入らない。辻邦生全集の中に3巻にまとまって収められているが、気軽に読むには高すぎる。
 復刊希望サイトには、何年も前から復刊を望む声が入っているが、まだ実現していないようだ。
 松本竣介のカバー絵もシックな、中公文庫の姿のままで復刊してほしい。

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