EMちゃん
宮崎駿監督の最新作を観てきたあとに、小野先生のルースニングで身体を動かす……、ゆったりし過ぎて、日常のあれこれがあっちのことみたいよ。本当に贅沢な休日の過ごし方。
網口渓太
いや全く。もうちょっとでとろけそう。先生のリードが心地いいね……。
ESくん
視界が明るいよ。でも、よりよくするためとはいえ、プロのアスリートのみたいにトレーニングを日課にしている読書家って、相当珍しいだろうね(笑)
網口渓太
そうだね。家は多読を基本にしているから、情報の混線にストレスを感じるときがあるじゃん。情報の差異が分からなくなると編集をかけずらいから、できるだけカチコチになってしまわないように取り組んでいる運動でもあるけど、他にも色々と理由はあるよ。面白いし、欠かせない日課だね。ボクたちは頭を使って本を読んでいるけど、胸で読んでもいるし、肝っ玉が据わってくる読書もあるれば、羽が広がって鳥のように空を飛んでいる気持ちになれる読書もある。神経とか細胞とか記憶とか、言語化されていない部分まで文字を読む運動に参加しているんじゃないかな。そういう仮説と遊びだよ。我流でもオリジナルでもなく、全て先達に肖っているからね。先生にも(笑)
EMちゃん
それだったらちょっと分かるかも。山口小夜子さんも、「心が身体を着てるでしょう?」って、インタビューで答えておられたわね。
ESくん
あぁ、相手のアナウンサーの男性に禅問答みたいですねって言われてた奴ね。身体系の人ってちょっと胡散臭いからボクも今まで避けてたんだけどね。あっ、先生は違いますよ! すみません。
網口渓太
口が滑ったね。先生今日はESくんをしかと追い込んでやって下さい(笑)
宮崎監督の映画も、日常の何気ない場面なんだけど、卵を割るとか、階段をタンタンタンと上っていくとか、パンに乗ったイチゴジャムがしたたり落ちる感じとか、この場面の印象こそジブリじゃん。ボクたちが見ているのと同じような日常の風景も、宮崎監督の目と手を通ると、そこにジブリの世界が立ち上がってしまう。このレッスンも、ふたりにハレとケのどちらも編集できるようになって欲しいから、毎月通ってると言っても過言ではないよ。
ESくん
なるほど、インタフェースのイメージね。なんかそれってヒッピーぽいな。
EMちゃん
ぼいぼい、際どい。鷲田先生の「深い遊び」とか、カイヨワの「イリンクス」も連想できるんじゃない(→11-1)。
小野先生がすごくうなずいてる……
ESくん
専門家のお墨付きだね(笑) いやぁ、鷲田先生のこの一節には撃たれるな。ずっと意識の下層でわだかまっていた問題意識が、言語化された感じ。時代の風潮は、鷲田先生がおっしゃる危ない方向に進んでいるようだけど。
『メディアは存在しない』での斎藤環先生と東浩紀さんのマクルーハンの
内破主義に対する考え方の違いから生まれた討論を思い出したけど、それは
またの機会にお預けするとして、次世代の来るべき人工物を想像したくなる
ような語りだよ。ボクは日本の文化を丁寧にディグっていきたいけどね。
網口渓太
いいね、たとえば祭りとかね。
宮崎監督の『君たちはどう生きるか』も、ボクにはサード・サマー・オブ
ラブ的な作品のように見えたけどね。宮崎監督は世界をこうやって見てるの
かって。
EMちゃん
だとしたら、主題歌が米津玄師だったのも象徴的ね。彼は『フォートナイ
ト』でライブをしてたでしょう。宇川さんが言う“微熱感”って、鷲田先生の
“緩衝地帯としての身体”と通ずるものがあるわね。あと、以前番組も放映さ
れていたけど、宇川さんって山口小夜子さんとも親交がおありなのよね。い
いなぁ。
ESくん
宇川さんの「平日から祭りでなにが悪い主義」がボクは大好きだよ。
網口渓太
概念に止まらず、現在美術家としてDOMMUNEという時空間を作って、
理論を実践され続けている活動の様子は半端ではないよね。
休暇の時間のはずが、いつの間にか活動の話しになってるね。これって、微熱感じゃん。
ESくん
リニアな時間軸で偶発的に起きる出来事や事故までも映像作品としている
懐の深さと、アーカイブは基本的に残さず一度きりの潔さ、ここが気持ちい
いよ。燃えてきた。ボクたちも先達に肖ってどんどん作っていかないとね。