毎日書いていたら、自分の輪郭がよくわかるようになってきた
わたしは、毎日noteを書いています。
書くと幸せになるよ、いいことがあるよ、という人はたくさんいます。そういう記事や書籍もよく見かけます。
かくいうわたしも、書き始めてから日々をより楽しめるようになったと感じている一人です。
でも、具体的にどんないいことがあるのか、ちゃんと考えてみたことがなかったなあとふと思ったのです。
その答えはいろいろあります。実際すぐに思いついたものだけでもいくつかあります。
でも、その中でもとりわけ大きなインパクトがあるのは、
自分の輪郭が前よりもよくわかるようになる
ということじゃないかと思います。
書くことは、頭の中をふわふわと巡っている思考や感情を、言葉という形あるものに変換していく作業です。
否が応でも自分と対話することになります。自分の感情、温度。そもそも、どうしてそのことを書くのか、なにを感じて、これからどうしたいのか。
その作業を来る日も来る日も続けていると、自分の輪郭がよくわかるようになってきます。つまり、自分のことが前よりもよくわかるようになってくるのです。無意識だったことにも、意識が届くようになってきます。
どんなことに価値を置いていて、なにをおもしろいと感じ、なにをおもしろくないと感じ、なにに引っかかって、なにを求めているのか。そういったことです。
わたしの場合、なにがわかったかというと、この一言に尽きます。
「わたしは空っぽじゃなかった」
それまでは、映画を観たり、本を読んでも、ふーんの一言で終わってしまうことが多かったんです。生活の中でも、「どれが好き?」とか「これ、どう思う?」などと意見を聞かれても、正直、どれでもいいなってことがほとんどでした。
そんな漠然とした思いが、いつからか、わたしの中に棲みついていました。
でも、いまならわかります。
感性が鈍いんじゃなくて、ちゃんと考えていなかっただけです。大した感想が持てないのは、自分の中に生じた引っかかりを見逃していたか、見つけても深堀りしていなかったからです。
書くために自分との対話を繰り返しているうちに、自分の心の動きをじっくりと観察するようになりました。心の引っかかりを察知するセンサーは、以前よりも精度が上がりました。引っかかった理由を解き明かしていくと、自分の過去からいまに至るまでの、さまざまなことを再発見していきます。
ぼんやりしていた空間が、少しずつ解像度が上がって、霧が晴れていく感じがします。
つまり、書くことで、自分の内側がよく見えるようになり、その結果、長年わたしの心を覆っていた曇った影を取り除くことができたわけです。
わたしは喜ぶというより、安心しました。空っぽじゃなくてよかった。
それに、「空っぽかもしれないわたし」より、「空っぽじゃないとわかったわたし」のほうが好きです。変な話に聞こえるかもしれませんが、俗にいう自己肯定感というやつかもしれません。
200日書いてこれなら、500日書いたらどうなるんだろう。1000日なら?
そんな実験的思惑もあって、今日も書いています。
(おしまい)
読んでくださってありがとうございます。
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