
子どもの「やりたくない」に向き合ってみる
うちの子どもたちは、水泳教室に通っている。
最近、息子がの別のスポーツの習いごとをやめる決断をした。これもひと悶着あったのだけど、とにかくそっちをやめた分、水泳の回数を週1回から2回へ増やすことに落ち着いた。
我が家では、体を動かす習いごとは、一つやめたらそれで終わりではなくて、何かで補填する約束なのである。
「水泳か……」
息子は渋っていた。できたら、水泳じゃなくて、娘が最近始めたテニスや、友達のやっているフェンシングがやりたいという。
でも、テニスはシーズンの途中から入れるクラスがないし、フェンシングの教室はうちからちょっと遠い。
習いごとは、単純に子どもの興味だけで決められたらいいのだけど、2人の子どもの送り迎えというロジスティックスの要素も無視できない。
だから、当面は水泳に週2回通うことで合意した。
...…はずだった。
そして今日、増やした分のクラスに出かけた。スクールバスのバス停から車で直行したので、クラスが始まるまで30分ほど時間があった。息子は娘とプールで遊びながら開始時間になるのを待っていた。
そろそろ始まる時間になり、わたしはプールサイドから声をかけた。
すると息子は、急にぎゅっと口を一文字に結び、わたしを睨みつけるような目をして首をぶんぶんと振ってみせた。「いかない」と言っている。
デジャヴ。最近、こういう展開になることが多い。直前になって、やっぱりやりたくない、やらない、と言い始める。
「今日は水泳をするって約束したでしょう?自分で決めたことはちゃんとやるのよ」
わたしはきっぱりと言った。これはコミットメントの問題だと思った。気分に左右されずに、約束したことはきちんと遂行すべきだとわたしは言った。
「やりたくない」
「どうして」
「……わかんない!」
本当に自分でもどうしてこんなに嫌なのかがわからないようだった。
「ママは、いつもの先生が嫌なのかと思ってた。今日は違う先生だよ」
「...…」
「君が水泳のクラスに行くのがそんなにも嫌だってことはよくわかった。でも、今日はちゃんとクラスに出るの。これからどうするかは帰ってから話そう」
わたしはじっと息子の目を見て言った。
嫌がる子どもに無理やりなにかをさせるのは、持続可能な方法ではない。中長期的な観点から見ても、効果は薄い。
でも、最近、このパターンが何度か続いていることに、わたしは引っかかっていた。
どこかでちゃんとしっかり話して、なにが息子にそう思わせているのかを追求する必要がある。
思い当たることはある。
たぶんだけど、息子はいま、壁に直面しているんだと思う。一定程度続けていると、誰もがどこかでぶち当たる壁だ。
なんでもそうだけど、始めた当初はなにもかもが目新しい。教えられることも簡単で、楽しいだけで時間が過ぎる。でも、練習を積み重ねていくうちに、上達もしていくが、求められるレベルが高くなって難しくなっていく。
その壁を乗り越えようとするときは、やっぱりしんどい。大人だって同じだ。でも、やめずに挑み続けていたら、いつか壁の向こう側にいける。以前は難しく感じたことが、気がついたら軽くできるようになっている。
そういうことなんじゃないかなあ。だから、ここは「嫌だからやらない」をあっさり認めない方がいいような気がしていた。
一度は覚悟を決めて、わたしと並んでクラスが行われているレーンへ歩きだした息子だったが、先生に声をかけられたら、さっと表情が硬くなった。
「やっぱりいかない」
踵を返して、足早に離れていく。その後ろ姿を見つめながら、わたしはふうっとため息をついた。
今日はここまでだな。
わたしは、先生に事情を説明し、この日はクラスに出ないことを伝えた。
でも、これで終わりではない。どこかでちゃんと話さねば、と思っている。
(おわり)
読んでくださってありがとうございます。
《ほかにはこんな記事も書いています》