なぜ毎日書いているのか
毎日noteを書くようになって、もうすぐ200日になります。
最初からするすると書けたわけでは、もちろんありません。書きたいのに書けない時期が長くありました。当時は、週に1回投稿するのですら大変で。
いまだって、流れるようにすらすら書けるわけではありません。まあ、書き続けることで、書くことが日常に溶けて習慣化してくるし、自分なりのテーマや書き方が定着してきて、書きやすくはなりました。
でも、「楽になる」感覚は底を打った感があります。今日は何を書こうかと考える時間は一定程度必要だし、文章の組み立てにもそれなりに試行錯誤がいるし、書き終わった後は何度か見直さないといけない。これ以上は楽にならないんじゃないか。
書き続けることで、書く手間がどんどん軽くなるというよりは、書くという行為の本質がより明確にわかってくる気がします。
つまり、書くことは、なんとも骨の折れる、面倒くさい作業だということです。
じゃあ、なんでこんなことを毎日続けているのか、ということになるわけですが。
たまには、こういうことを振り返ってみるのもいいかもしれません。わたしが毎日書く理由です。週に数回とか、気が向いたときに投稿するのではなく、なぜ毎日なのか、ということについて。
毎日書く方が続けやすい
こういうと、は?と思われるかもしれませんが。
これは、実際の経験に基づいた実感です。それに、毎日更新の先人たちで同じことを言っている方たちが何人もいます。
毎日書くと決めてしまえば、習慣化する上でのいくつかの落とし穴をスルーすることができます。
まず、意思の力に頼らないで済みます。つまり、「今日は書くぞ!」という決断をする必要がなくなります。書くって決まっていますからね。「書く」の一択です。一つめの落とし穴、クリア。
次に、途中で投げ出すことができなくなります。どんなにいいネタが思い浮かばなくても、文章が思ったとおりにまとまらなくても、なにかをひねり出して書いて、どこかで終わりにして投稿しなければなりません。その日のうちに出さないと、更新は滞りますから。つまり、書き終えられるようになります。二つめの落とし穴もクリア。
その繰り返しです。
だから、週に何回などと不定期にするより、毎日書くと決めてしまった方が続けやすい、というのがわたしの意見です。
なので、いま毎日投稿をやめてしまったら、また以前のように書けなくなってしまうんじゃないかという不安があります。生活の中から書くことがなくなってほしくないんです。だから、いまも毎日書いています。
毎日勝って気分がいい
これだけ書いていても、ああ、今日は書けそうにないと思う日があります。
書きたいネタが見つからないときもあるし、ネタはあるけれど書ききる気力や時間が足りなかったり。「書けない」の中身にもいろいろあります。
そんな日でも、なにかしら絞り出して、わたしなりの最低限の基準を意識しながら、なんとか書いています。一日を終えて就寝するまでに、必ず一記事を投稿する決まりにしています。
端的に言ってしまえば、連続投稿が止まっても、誰も困らないんですけどね。わたしが「あ~あ……」と思うだけで、わたしの生活ですら何事もなかったように回っていくでしょう。義務でもなんでもなく、わたしが自分のために書いているだけですから。
でも、考えてみたら、そこには、自分自身との遊びがあるように思います。わたしと、もう一人のわたしとの間の一騎打ちです。
わたしの中には、もう一人のわたしがいます。なにかに挑戦するときには、「それ、できるの?」と語りかけてきます。「できないんじゃない?」というトーンです。
書けそうにない夜なんて最悪です。
「今日はさすがに書けないんじゃない?」
意地悪そうな顔でにやにやしています。わたしを試しています。
来やがったな、オマエ。
コイツがいるせいで、わたしはなにがなんでも書いてやるんです。コイツを黙らせるために。
だから、毎日書き終えて、パソコンをぱたんと閉めるときに、わたしはいつも心の中で、こうつぶやいています。
「今日もわたしの勝ちやな」
わたしは毎日書いて、毎日勝っているんです。これ、気分いいのでとってもおススメです。
(おわり)
読んでくださってありがとうございます。
書くことについて書くのは楽しい。
ところで、66日ライランでお世話になったヤス(ウエダヤスシ)さんが、連続投稿1000日を迎えられたそうです。毎日2記事を投稿されているのがすごい。それに、メンバーシップの運営も。本当にどうやってそれを24時間の中に組み込んでおられるのか謎です。おめでとうございます!
《わたしもたまに書くことについて書いています》