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沖縄野菜クラブ 10 ポテト ディガー
友人に勧められ、参加する度に書いてきたこの活動報告コラム(?)も、いつの間にか10記事目になっていた。
「全て読んでくださっている方はどれくらいいらっしゃるのだろうか。」
「毎回クオリティに違いがあって申し訳ない。」
こんなことを思いながら書いてきた。
最初はおそるおそる始めたものだったが、今ではFBのグループに投稿することに対しても、何の抵抗感も抱かなくなってしまった。
この慣れを成熟と呼ぶのか、驕り高ぶりと呼ぶのか。
それはこれからの自分の意識次第かもしれない。
・・・
こんな出だしで始まった今回のコラムの本題は、芋掘りである。
最初に総括してしまうと、10回のコラムの集大成を見せようと思ったタイミングで、その前に畑の集大成を見せつけられてしまった印象である。
今回の収穫は、まこと、この”集大成”という言葉を使うにふさわしいものだった。
まだまだ激しい沖縄の残暑を物語る日差しのもと、集まったのは総勢にして20名弱にはなろうかという”幼”若男女の面々。
タープを建て、荷物置き場兼休憩所を確保すると、さっそく部長の指導に従い、畝の端から芋掘りを開始した。
ところで、話はずれてしまうのだが、筆者は四国の出身である。そんな筆者にとって、芋掘りは秋にやるものというイメージが強い。
芋を掘り、そのへんで集めた枯れ葉で焚き火をして、焼く。
遠くに眺める夕焼け空のように黄色く焼けた芋の暖かさと、ひんやりと耳たぶをなでる風との温度差に心を沁み入らせ、楽しむ。
それが芋掘りであり、焼き芋だと思っていた。
そんな筆者は本日、野菜クラブの畑に立ち、周りを見渡した時、ある違和感に気がついた。それは、上記した情景を構成する要素が一切見当たらないことから来るものだった。
枯れ葉は...?
黄色い夕焼けは...?
ひんやりと耳たぶをなでる風は...?
温度差は...?
何かがおかしい。
これは芋掘りなのか?
今私が、焼き芋をやるからと、部長に頼まれて新聞紙とアルミホイルで包んでいるものは、芋なのか?
果たしてこれを焼いたところで焼き芋になるのか?
疑問は尽きない。
それどころか、違和感が一秒ごとに増していく。
しかし、私が全ての芋にアルミを巻き終わる頃には、もうすでに、幼き芋掘り師たちによって掘り出されたサツマイモが畝の近くにうず高く積み上がっていた。
最終的な収穫量は筆者の予想以上だった。優に50個はあるかと思われる芋がいつの間にか我々の目の前に現れていた。
小ぶりのものも多くあったが、一本でも十分な食べごたえになりそうなものも同じくらい多かったという印象である。
今回はそれに加えて、残っていたしょうがも全て収穫した。
収穫と並行して、焼き芋会も進行していた。
先週掘った芋と、今回集まった方々のために部長が購入した芋を炭で焼き、全員で食べた。
先週畑で採れた芋は、一言でいうと、やさしい味。甘さ控えめで、しつこくない。何か一工夫すると、かなり美味しくなるのではないだろうか。
この芋の中には、紅芋が一つあった。こちらは先程のものよりもしっとりとしており(これは焼き加減のせいもあると思われる)、よりすっきりとした甘みがあるように感じた。
焼き芋を食べ終わった我々は、今回の収穫を、来週の焼き芋会のためにその一部を残して分け合い、畑を後にした。
今回参加してくれた子どもたちは、芋掘りが終わると、虫取り。焼き芋を食べ終わると泥遊び、と、最後まで遊び続けていた。
そんな子どもたちに囲まれ、終始なごやかな雰囲気で収穫できたことが、今回の一番の収穫だったかもしれない。
焼き芋の後ろで網と虫かごを持って走る子どもたち
(※合成ではありません。)
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