【夢は必ず叶う!】昭和っ子メキシコへ行く🇲🇽
まずは「ルチャ・リブレ」の話から始めたい。
思い起こせば十代前半、メキシコの覆面レスラー、ミル・マスカラスの入場テーマ『スカイハイ』は昭和の子供たちのアンセムであった(『スピニング・トーホールド』と並んで)。
スーパーマーケットの紙袋に目と口の穴を開けて被り(昭和のスーパーは紙袋であった)、「わざと少し破れかけた感じ(ヤバい、正体バレちゃう!)」にする遊びは、当時の日本中の子供たちがやっていた。
トップロープ(教室の後ろののロッカーの上)からフライング・ボディアタックを仕掛け、ロープ(見えない)に振ってからのフライング・クロスチョップ、そして、かの「ロメロ・スペシャル」は
「相手の協力が無いと出来ない技」
であると子供心に理解した。
中学校に進む頃には、地元の体育館にプロレス興行を観に行って、レスラー入り待ちをし、本物のミル・マスカラスと握手するところまで進歩していた。
公称180センチのミル・マスカラスであるが、実物はもっと小さかった。
でも分厚い手をしていた。
”神様””エル・サント、”数学仮面””エル・マセマティコ、”盗人””エル・カネック、”太陽仮面””エル・ソラール、、、
メキシコには数多の覆面レスラーがいて、全員名前を空で言えるほど暗記し、「いつか聖地アレナ・メヒコにルチャ・リブレを観に行く!」のが中学生のときの夢であった。
それから随分と月日が過ぎ、分別もついて歳を取った。
時は2018年の秋になっていた。
まさか、今さらルチャ・リブレを聖地アレナ・メヒコに行くなんて、大人になってからは想像だにしなかった話である。
そう、私は「とある事情(筆者註:別のエッセイで詳述)」でメキシコの地に立っていた。
全くひょんなきっかけである(人生とは生きれば生きるほど摩訶不思議なものということは分かってきた)。
偶然にもやってきたメキシコ行きの機会、そして幼年期の憧れであったルチャ・リブレとの「憧れの年月の積み重ねの熟成度」は、まるでローリング・ストーンズの初来日、ザ・フーの初来日の時のようにひとしお感慨深いものである。
青春、否、青春のさらに以前の子供時代の夢の実現の機会が、突然やってきたのだ。
これが「ワクワク」という感情なのだろうか?
そして、ついにやって来た当日。
滞在先のホテルの前から乗ったウーバーの運ちゃんに「アレナ・メヒコまで」と告げ、メキシコシティの荒っぽい交通事情をすり抜けながら、メキシコ人運ちゃんの運転するボロボロの車はついに「聖地」に到着した。
そこでまず目に飛び込んできたのが「マスク屋台」の列である。
日本の縁日のように、数百メートルに渡ってマスク屋台が並んでいる。
私は舞い上がってしまい、数百メートルの屋台群を何度も往復した(恐らく、10往復はしたはずである)。
そして意を決し、”神様””エル・サントの「もうコレしかない!」ってマスクを買おうしたら、なんと日本円で12,000円。
いや、私は何もこれからマスクマンとしてリングに上がる訳ではないので、こんなプロ仕様のものは必要ない。
気持ちを入れ替えて、次を探した。
そうするうちに、私の眠っていたルチャ・リブレ知識が徐々に蘇ってきた。
そう、「悪魔仮面」と呼ばれていた頃のミル・マスカラスの伝説のシャーク・マスクである。
やっと「大仕事」を終えて、アレナ・メヒコに入った。
まるで「アステカ時代の壁画」を模した、「ルチャ関節技(ジャベ)48手」の壁画が目に飛び込んできた。
そして、遂に初めて生で観るルチャ・リブレは、「完璧な芸能」であった。
これは、日本の江戸時代における「歌舞伎鑑賞」と同じ、「大衆芸能」であることがハッキリと分かった。
前座は観ていて冷や冷やするほど下手くそだったが、徐々に番付があがるにつれて高度なルチャ技術の応酬に観客も大フィーバーし始めた。
本番のルチャ・リブレは、空中殺法の技術は格段に進歩していたが、コンテンツは「大衆芸能」のままであった。
「勧善懲悪」の定型に則って、華麗な技術を披露する「メキシコ独自の」エンターテイメントである(因みに、日本のプロレスも「日本独自の」エンターテイメントであり、プロレスはその国の文化人類学の象徴なのである)。
ビール片手にメキシコの大衆伝統芸能を心行くまで堪能し、私はホテルに戻った。
そして、いよいよその時がやってきた。
そう、やることはもう決まっていた。
「この世の中に完璧な選択」というものがあるならば、この夜の私がそれであった。
「ミル・マスカラスのシャーク・マスク」という生涯ベスト3に入るであろう完璧な買い物をした私は、ホテルの部屋に入ると、いそいそと脱衣した。
遂に、小学校以来の夢が叶った瞬間である。
夢は諦めない限り必ず実現する。