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20世紀美大カルチャー史。「三多摩サマーオブラブ 1989-1993」第7話

翌日も凄まじいほどの快晴であった。

ハルノは8ミリカメラを回していた。

夕方まで再び我々は軍艦島を味わいつくした。

そして、迎えの船がやってきた。

夕景に浮かぶ軍艦島のシルエットを眺めながら、我々は軍艦島を後にした。

夕方の海岸線をバスは走り、我々は充実感と疲れで無言であった。

長崎市内に着くとサウナにチェックインした。

そのままサウナに泊まり、翌日の朝に我々は散会した。

ハルノとコヤマはこの後に別府へ行くとのことであった。

私とグンは静岡へ向かった。途中、全く計画性の無い我々は電車が無くなり、とある地方駅の駅前の広場で一夜を過ごした。要するに野宿である。

翌日、静岡の私の実家に着いた。

そのまま我が家に一泊すると、車に乗って御殿場方面へと向かった。

「Mt. FUJI ジャズ・フェスティバル」(※1)に参加するためである。

富士山の麓で開催されるこの野外フェスティバルは、ジャズファンにとって夏の風物詩であった。

1989年8月26日。

ハービー・ハンコック、トニーウィリアムス、ロン・カーターのトリオ、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズに加え、当時イケイケだった、ジョージ・アダムスとドン・ピューレンのカルテットによる名曲『ソング・フロム・ジ・オールドカントリー』を体験出来て私は狂喜した。

そのまま二人で私の実家に戻ると、翌日一旦分かれた。

「じゃあ、また来週!」

翌週から私とグンは2週間のアメリカ旅行である。

1989年の8月も終わりに差し掛かっていた。

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1989年の9月初旬。
グンと私はロスアンジェルス行の飛行機の中に居た。

飛行機の中でグンが日本の女の子をナンパして、何故かその子を含めた3人でLAを旅することになった。

ジム・ジャームッシュ『ストレンジャー・ザン・パラダイス』、ジャン=リュック・ゴダール『はなればなれに』、ジョージ・ロイ・ヒル『明日に向かって撃て』等々、

「男二人、女一人」は物語の基本である。

そしてロスアンジェルスは、まるでロスアンジェルスみたいに快晴であった。

我々三人はまず腹ごなしをしようと、とあるマクドナルドに入った。

店内、店員も客もすべて黒人であった。

彼らは我々を珍しいモノでも見るような目で見ていた。

ハンバーガーとシェイクを皆で注文すると、黒人女性店員が物凄いスピードの英語で「店内?お持ち帰り?」と訊いてきたが、私は冷静に「お持ち帰りで」と答えた。

後から思うと、そのエリアは相当危ない場所であったようだが、知らないということは最強である。

その足で、我々は磯崎新が設計して完成したばかりのロスアンジェルス現代美術館を見学した。

どういう経緯か、我々はLAでニューヨーク行の航空券を買うという段取りになっていた。

地元の旅行代理店に飛び込むと、ニューヨーク行のチケットを買った、「三日後発」とのことであった。

我々はそのままサンタモニカ・ビーチへと向かい、近くのユースホステルにチェックインした。

そのままサンタモニカビーチへ行くと、イーグルスの『ならず者』(※2)がどこからか聞こえてきた。

青い海、白い雲、ゆっくりと流れる時間、まあまあノンビリいこうぜ(Take It Easy)、、、

「ロスアンジェルスのサンタモニカ・ビーチでイーグルスを聴く」

これ以上の「場所と音楽のマリアージュ」はなかなか無いだろう。

その時分かったのだが、イーグルス、そしてドアーズまでも、この土地では「現役の音楽」であった。

ロスアンジェルスの空気には酸素、二酸化炭素、窒素、イーグルス、ドアーズが含まれているのだ。

サンタモニカビーチを探索すると、伝説の「マッスル・ビーチ」があった。ビーチ沿いの金網に囲まれた一角で、マッチョたちがウエイト・トレーニングに勤しんでいるである。

そして、ビーチ沿いのダイナーでハンバーガーを食べた、現在まで含め生涯で一番美味しいハンバーガーであった。

その夜、グンは「イワサワー、ちっと悪いな」と言いながら、ナンパした女の子のホテルへと向かった。
私は一人で地元のバーに入ってビールを飲んだ。

翌日はビバリーヒルズを探索した。

ハリウッドスターの手形とかロデオ・ドライブを見て回った。ふと見上げると、山に「HOLLYWOOD」の、あの有名が看板が見えた。

その足で、夕方は「ホテル・カリフォルニア」(※3)こと「ビバリーヒルズ・ホテル」へと向かった。外観は色が変わっていたが、中ジャケットのロビーはそのままであった。

夕食はリトル・トーキョーへ行った。

ロスアンジェルスは非常に居心地が良く、ずっと居られる気分だ。

とはいえ、今回のメインイベントはニューヨークであった。

女の子はLAにそのまま残り、

私とグンはニューヨークJFK行の飛行機に乗った。

(つづく)

脚注:

※1. Mt. FUJI ジャズフェスティバル。1986年より富士山の麓山中湖畔にて毎夏催されていたジャズ・フェスティバル。大規模野外イベント。

※2. ならず者。アメリカのバンド、イーグルスが1973年に発表した楽曲。

※3. ホテル・カリフォルニア。イーグルスのアルバム『ホテル・カリフォルニア』のタイトル曲。この曲が「レゲエ(を目指して失敗したもの)」であることはあまり知られていない。


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