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映画『ELVIS』~エルビスとHIP-HOPとエミネムと。

※公開当時に書かれたテキストです。

突然エルビス・ブームがやって来た。

映画の帰りの車の中でエルビス流してたら涙が止まらなくて大変だった。

さて、
この映画の素晴らしさは、「歴史軸」がキッチリと定まっている点である。

貧乏で黒人街の中の白人街区で育ったストーリーはエミネムをすぐに連想させる。

教会の啓示のシーンはブルース・ブラザース。

南部保守白人に囲まれた中で挑発的なパフォーマンスを行い、警察に連行されるのはジム・モリソンそのまま。

B.B.キングと旧知の友だったり、ルーツに持つ「ブルース・フィーリング」がエルビスを媒介に世界に拡がり、ビートルズやローリング・ストーズが生まれた。

人種を超えたスーパースターとしてはMJより遥かに早い。

と、「エルビスのその後の大衆音楽史への影響」がそれぞれのシーンに映画的に描かれている。

つまり、
大衆音楽史におけるエルビスの歴史的位置付け
がキチンと行われているのである。

そして、その歴史軸は「黒人音楽史」に置かれ、
エルビス映画とは、まごう事なき「黒人音楽映画」となっている。

次にパフォーマンスについて述べたい。

役者の名前は知らないが、ラスベガスの復活ライブのシーンで途轍も無いパフォーマンスを行う。

完全にエルビスが憑依しており、一番重要な「エネルギー値の高さ」は過去の音楽伝記映画を全て軽く凌駕する。

JB役も頑張った、アレサは所詮ジェニファー・ハドソン止まり、フレディはただのホモ映画、ドアーズは少し良かった、チャーリー・パーカーはいい人過ぎた、マイルスは観る前から失敗、ボウイとジミヘンは楽曲の使用許可が降りない時点で中止すべき、エルトン・ジョンはまあまあだがそもそも日本人に人気が無い、NWAはかなり上位に食い込む、ランナウェイズはジョーン・ジェット役が可愛すぎ、、、

という中で、
後で調べるが、死ぬ直前のライブシーンが本人か役者か分からなくなった。

あれ?何かおかしいぞ、と凝視したら本人映像だった(※筆者註:さらに調べたら役者であった、驚くべき憑依力である)。

その中でも、とんでもないブッ飛びシーンは二つ、
1968年の復活TVショーと1970年のラスベガスのライブ。

「エルビスの凄味」が私にもビンビンに伝わって来た、

否、「知ってはいたが、これほどまでに凄いのか!?」と。

個人的には、映画内のライブ・パフォーマンス・シーンとして圧倒的な1位である。

そして、
最後に素晴らしいのが、

「エンドロールの音楽がヒップホップ」であった事だ。

エルビスをミクスチュア・カルチャーの開祖として定義づけて終わる。

つまり、最後のエンドロールのヒップホップまで含めての映画なのである。

そして、思ったほど世間のこの映画への評価が高くないのは(星4つ、とか)、エルビスは黒人音楽である、っていう部分が理解出来てないからだろう。

ブルース、ゴスペル、BBにLRまで出まくって、さらに山場がMLKの暗殺という、まごう事なき「ブラック・シネマ」であった。

その流れを踏まえて、エルビスの先にヒップホップがフィーチャーされる「文脈」が明確に見えた。

「エルビスとは1950年代のエミネムだ」という、
逆照射的歴史観が立ち上がる訳だ。

まあ、エミネムより遥かに凄いがな笑

あと、
当たり前の話で恐縮が、

ブルースの速度を上げるとロックになるのな笑。

エルビスはBPMの速いブルース・シンガーだというのが分かった、
今更であるが。

それを黒人がやるとR&Bになる、って当たり前過ぎて笑ってしまうが(その事例として、ちゃんとリトル・リチャードを出してくるところがまた素晴らしい)。

そして後半、完全にゴスペル・シンガーと化していく「先祖返り」感。

JBの音楽からコード進行が無くなってリズムだけ(アフリカ先祖返り)になる様に、

エルビスが彼のルーツである黒人霊歌に戻っていく感じるが、まあ、何というか、タマランのである

最後に、

日本のブラック・ミュージックの嚆矢、
左とん平の『ヘイユウブルース』は、元々エルビスのモノマネに由来している。


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