20世紀美大カルチャー史。「三多摩サマーオブラブ 1989-1993」最終話〜ファンクは止まらない
1993年。
「建築」をやろうと思いついた私は、この年の春に既に東京へと舞い戻っていた。
バンドは相変わらずクアトロでのブッキングが続いていた。
私は「なぜ今までアレをやらなかったのだろう?」
というアイデアが急に浮かんだ。
「ZAPP ft. ロジャー」の「十八番」のネタ、
「ライブのオープニングでロジャーがフロアの後方から肩車されてステージに向かう」という例のアレだ。
私はいつものように、スタジオでのリハーサルでメンバーに細かく演出を付けた。
「いいか!完全に客の目線をステージに釘付けにしなきゃだめだ!そこへオレが後ろから登場する!いいね!?」
私を肩車するのは力自慢のヨシオに決定した。
迎えた当日。
渋谷クラブ・クアトロのフロアは満杯だ。
バンドが演奏を始め、コヤマが煽りMCで盛り上げる。
いつものオープニングの流れだ。
ただ一つ違っていたことは、「ファンクの帝王」の私が
「ステージ袖からではなく、フロアの後ろがから登場する」ということだ。
ステージ右後方のパーテーションの脇からフロアを見ると、観客全員ステージを注目している。
見事なまでに我々の存在に気づいていない。
「よし!行くぞ!」と声を掛けると、私はヨシオの肩に乗り、我々はそのままフロアへと歩き出した。
ステージ上のコヤマと目が合った。
コヤマはフロアで肩車の上に居る私の方を指差した。
ステージを向いていた客が一斉にこちらを向くと、スポットライトが一斉に私に当たった。
渋谷クラブ・クアトロのフロアのど真ん中である。
その瞬間、客が一斉に「きゃ~~~!!!」と嬌声を上げた。
何故だか(「ZAPP ft. ロジャー」の時と全く同じく)担がれた私の脚をペタペタ触ってくる客もいた。
その瞬間、ふっ、と身体が軽くなるのを感じた。
大袈裟な表現だが事実として、
「音楽に取り憑り付かれていた私の魂が天に召されていく」感覚を覚えた。
(嗚呼、、、これがRogerが見ていた風景なのか、、、)
私は渋谷クラブ・クアトロのフロアのど真ん中の肩の上で恍惚となりながら、演出通りに四方に見栄を切ると肩車されたままステージへ向かった、、、、
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それから、、、
私は東京で「建築」に本格的に取り組み始めた。
メンバーもそれぞれの仕事が忙しくなり、
バンドの活動は上記のクラブ・クアトロでのライブを最後に停止した。
それから1年後の1994年、サックスの井の瀬氏から連絡が入った。
吉祥寺バウス・シアターの「10周年記念イベント」が企画され、岩石一家のライブがそのうちの一日のメインアクトを依頼されたのである。
私はすでに「建築」の修行に励む毎日であった。
そして、「極真空手」の三軒茶屋道場に入門していた。
すると、
「ボクもライブだしてよ!」
私の空手の師匠である菊山先生から唐突に言われた。
彼は原宿クロコダイル時代からの我々のバンドのファンで、毎回ライブに足を運んでくれいていた。
その空手の師匠からの突然の申し出である。
私は「ファンクと空手」を融合させる秘策を思いついた。
久々のライブ、大きな仕事を前に、練習スタジオを予約し、久々に集まったメンバと顔を合わせた。
そして、「岩石一家 極真ファンク・熊殺しツアー」と名付けた、極真空手軍団とのコラボレーションとして企画を練り、スタジオでリハーサルを繰り返した。
既にK1も始まっており、日本中に格闘技ブームが巻き起こっていた時代、
我々の企画を発表するや、各方面から凄い反響が返ってきた。
当時を迎え、我々バンド・メンバーと「極真空手軍団」は念入りなゲネプロを会場で行った。
そして、出番の時間がやってきた。
白い道着に黒帯、鍛え上げられた空手家たちの背中は頼もしかった。
まずはオープニング、
我々の演奏するクインシー・ジョーンズの『ルーツのテーマ』に合わせて、極真空手軍団がステージに一列に並び、突き、蹴りを一斉に行う。
「えいしゃ!」
「おら!」
すでに場内は騒然としていた。
この夜は、バンドを離れていたミイケもスペシャルゲストで参加し、ZAPPマナーのトークボックスをキメてくれた。
そして本編が終わりアンコール。
曲は『ニュージャック・ヘイ・ユウ・ブルース』、左とん平の名曲を高速ファンクにアレンジした。
「No Justice! No Peace!」
時のLA暴動のシュプレヒコールをコール&レスポンスに取り入れた。
サビ終わりで井の瀬氏のフリーキーなサックスソロが爆発する。
そのバックで私とコヤマが「No Justice! No Peace!」と扇動する。
刹那、
曲がブレイクする。
私のMC、
「ただいまより!極真空手城西支部三軒茶屋道場による、演武を行います!」
(場内: どよどよどよ)
静まり返る場内、
「えいしゃ〜!!!」
極真空手家がローキック一閃、
バットをへし折るとと場内は大爆発して総立ちとなり、
折った瞬間に私のジャンピング・キューでバンドは曲を再開する。
次は「ブロック割」だ。
客は完全に興奮状態である。
「えいしゃ、おら!!!」
ブロックが真っ二つに割れた刹那、
我々は高速ファンクを再開する。
「No justice! No peace!!!」
最後は「四方板割り」、
私の師匠である菊山先生が見事な飛び後ろ回し蹴りを決めた。
刹那、高速ファンクと伊之瀬氏の超絶サックスソロが最後のクライマックスへと向かう。
フロア、ステージ上、共に途轍もない盛り上がりだ。
想像を遥かに超える「ファンクと極真空手のコラボレーション」!!!
観客総立ち、大歓声の中、ライブは終わり、
空手着を着た私は、最後に十字を切ってステージを後にした。
そしてライブ後の打ち上げでは、バンド、空手家、客、入り乱れて50人近く集まった。
ライブの大成功を受けて途轍もなく盛り上がった居酒屋の座敷席では極真VSバンドの「宴会芸」合戦が始まった。
そこで「極真空手軍団」の宴会芸の凄まじいハイクオリティに我々バンドは完敗を喫した。
我らがバンド岩石一家が、結成以来、そのキャリアで初めて喫した「敗北」であった。
そして、
「夏の終わりを告げる打ち上げ花火」のような華々しいライブと打ち上げの大狂騒とともに、三多摩の夜は更けていった、、、
それは、我々の「夏の終わり」を告げているようであった。
完