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適応障害になった時、心を整理する本

投稿:022
【記事の要約】
この記事は私が「適応障害」という心の病を患った時の体験談です。
テーマや切り口ごとに分けて記事にしています。

今回はおすすめの本の紹介です。
鶴見済『人間関係を半分降りる』
良い本との出会いは、人生を考えるヒントになります。
本記事では、心の病を患った際に特に響いた本を紹介します。
著者の経歴や著書の解説ではありません。
あくまで私の体験を通した感想です。
※引用「 」内の(数字)は頁数を表しています。

本記事のポイントは以下の通り。
・社会が押し付けてくる無責任なアドバイスを信じない大切さ
・苦しくても自分で選ぶことに意味がある
・周囲の期待に応えることを諦める


周囲の無責任なアドバイスを信じた代償

鶴見済『人間関係を半分降りる』より
一番胸に刺さった一節を紹介します。

自分の一生の後悔は、
社会が押し付けてくる無責任な人生アドバイスを
無理に信じてしまったことだった
(148)」

これだー!!!
どうして適応障害になってしまったんだろう?
自分の生き方の何がいけなかったのだろう?
過去を振り返ってもつかめなかった
「生き方の捻れ」に触れた瞬間
でした。

後悔のない人生を送るには
自分で選択して、責任を負う覚悟が必要
というのが今の私の考えです。

幼い頃から「真面目であること」
「周囲から恥ずかしいと思われない、立派な人になること」
を良いとされてきたし、それに対して疑うこともありませんでした。

一方で、学生を卒業するまで
「自分はどうしたいのか? どんな人生を送りたいのか?」
真剣に考えなかったことを猛省しています。
生活に不足を感じていないのをいいことに
「周囲から与えられた」「正解のような」選択を
「なんとなく」重ねて
きてしまいました。

仕事に就いてからはそんなことさえ考える余裕がなくなりました。
本当は仕事をしながらでも軌道修正して、
自分で決める練習が必要だったのに。
惰性で時間を過ごす内に仕事には慣れて
「社会人らしいもの」にはなった。
けれども、だましだまし無理をさせていた心身は
限界を迎えてしまいました。適応障害という形で。

「苦しくても自分で選んだ方がいいよ」と言える大人になろう

振り返ると、周囲の大人から
「自分で選んで決める厳しさ」ではなく、
「他人に褒められる生き方」
を教えられ、
その期待に応えることが正解だと勘違いしていました。
皆さんにはそんな経験ありませんか?

いくら自分を大切に思ってくれる人のアドバイスであっても、
他人の評価に基いて人生を決めるような生き方をしていると、
年を重ねるほど生きづらくなり、後悔が増えるもの。
もし生き方に迷っている人から相談を受けたら
「苦しくても自分で選んだ方がいいよ」と言ってあげるのが、
相手の人生を本当に大切にすることじゃないかと身をもって感じています。

周囲の期待に応えなくていい

最終的には「周囲の期待に応える生き方」を諦めることで、
自分の気持ちと状況に折り合いをつけていくしかないのかもしれません。
過去のことを後悔しても始まりません。
これから自分ができることを考えていくことが
過去の自分を活かしてあげる道なのかなと思います。

同書のなかでは次のような詩文の引用をもって
自分の人生と他人の期待を切り離す生き方を表現しています。

私は私の人生を生き、
あなたはあなたの人生を生きる。
私がこの世界にいるのは、
あなたの期待に応えるためではなく、
あなたがこの世界にいるのは、
私の期待に応えるためではない。
あなたはあなた、私は私。
私たちがたまたま出会い、
たがいを見つけるならそれは素晴らしいこと。
そうでなくても、それはしかたのないこと
(200)」

あなたがなんと言おうと、もう気にしない。
これは私の人生。
あなたはあなたの人生を進めてくれ。
私のことは放っておいて
(204)」

引用された詩文のように
自分と他人の境界線をシンプルに捉えていきたい。

その上で私自身がどう生きていきたいのか
先送りにしてきた自身への問いかけに向き合っていきます。

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