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父の強さ、母の支え、そして家族の絆

私の誕生日に、父を想う

今日は私の誕生日。32歳になりました。この日に父のことを振り返るなんて、不思議な巡り合わせを感じます。これもどこかで父が背中を押してくれているのかもしれません。改めて家族や父親への感謝を胸に、思いを書き留めたいと思います。


姉の結婚式を終えて、東京へ戻る

3月末、姉の結婚式が終わり、私は東京へ戻りました。そして4月からMさんの会社で正式に社員として働き始めることに。新しい生活がスタートするタイミングでした。

業務内容はそれまでと大きく変わらなかったけれど、私の提案でTimetreeを導入し、みんなでスケジュール管理をするようになりました。それまでは社内のホワイトボードで予定を管理していたという、少し時代遅れな方法wwMさんにも使い方を説明しながら、少しずつ慣れてもらい、スムーズに運用できるようになりました。こうした小さな変化を提案し、実現できたことに、自分なりの手ごたえは感じました。w


父からの突然の知らせ

そして…4月4日、弟から突然届いた兄弟LINEのメッセージ。

「お父さんが内科で『癌かもしれない』って診断された。」

その瞬間、頭が真っ白になりました。涙が止まらず、胸が苦しくて息が詰まりそうでした。自分の身近な人が「癌」になるなんて想像していませんでした。父のことは心配で仕方がなかったし、同時に母のことも気にかかりました。気丈に見える母だけど、どれほど不安を抱えているのかと考えると、胸が張り裂けそうでした。

すぐに家族会議を開くことになりまして…。その後、父から一通のWordファイルが送られてきました。そこには父の思いや決意が綴られていたんです。


父の信念と決意

父は「ご先祖様」や「神様」をとても大切にする人でした。若い頃、東京のIT企業に就職したものの、祖父が倒れたことで急遽実家に戻り、家業を継ぐことになりました。それ以来、祖父の思いを引き継ぎ、家業を守り抜いてきた父。その姿勢には、どこか「使命」を全うしようとする強い信念がありました。

文書には、「神様から与えられた身体」という言葉があり、それが父にとってどれだけ大切なものであったかが伝わってきました。

その後、母から「ステージ4の癌」と聞かされたけど、その事実は父には伝えていないと言っていました。父自身は「自分は大腸がんで、肝臓にも転移している」ということは把握していたと思います。そして、父は「絶対に治る」と信じ、こう言いました。

「摘出手術はしない。放射線や抗がん剤治療も受けない。食事療法と生活習慣の改善で癌と向き合っていく。」


苦しい気持ち、でも父の意志を尊重したい

父のその強い意志を理解しようと思いながらも、私は手術や治療を受けてほしいと願っていました。けれど、父の頑固な性格を知っているからこそ、誰が何を言っても聞き入れないだろうとも思いました。それでも、「どうして…」という気持ちが心から消えることはありませんでした。

だけどね、だけど。本当に苦しかった。 父が病気と向き合う中で、どれほどの不安や痛みを抱えていたかを考えると、それが一番辛かった。そして、そんな父を支え続ける母の姿も、私にはとても重く映りました。家族として何か力になりたいと思う一方で、無力さを痛感するばかりでした。

でも、苦しいのは父が一番。そして、その父を支える母も…。家族みんながそれぞれの立場で葛藤を抱えていました。


今、父を想う

あの時、私たちが正しい選択をしたのかどうかは、今でもわかりません。でも、父が最後まで自分の意志を貫こうとしていたことは間違いありません。その姿勢は、家族全員にとって大きな支えでもありました。

父が教えてくれた「信念を持つこと」、母が見せてくれた「支える強さ」、そして家族全員で過ごした時間のかけがえなさは、これからも大切にしていきたいです。

同時に、「父の教え」もできる限り尊重したいし、大切にしていきたいと思います。そして、自分がどんな状況に置かれても、家族とのつながりや感謝の気持ちを忘れずに生きていきたい。そう、心から思います。

続く…

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