生まれた時は泣き、最期は笑った父の人生
生まれた時、
きみは泣き、世界が笑った。
だから死ぬときは、
きみは笑い、世界が泣く人生を生きなさい。
チェロキー族のこの言葉をふと思い出しました。父親の最期を思い返すと、まさにこの言葉がぴったりだと思えるのです。
2023年8月19日、お通夜がありました。お通夜までの間にも、家には何人もの人が訪れてくれました。葬儀場では父親を最後のお風呂に入れる儀式がありました。担当の方から「体液が出ることもありますので、見なくても大丈夫です」と声をかけられましたが、私は迷わず父親のそばに行きました。もう息をしていない、動かない父親の体をお湯で流し、きれいにしてあげたかったんです。「お父さん、ありがとう。」そんな気持ちでいっぱいでした。
お通夜に集まった450人近い人々
お通夜の当日、小さな町の葬儀場には次々と人が集まり、駐車場は満車になり、外まで列ができ、道路には渋滞ができるほどでした。長年の友人や知人、お店の取引先、お客さん、近所の人、そして初めて会うような方々も…。小さな町の一つの葬儀が、これほど大勢の人々を集めた光景を、私はこれまで見たことがありませんでした。
供花も葬儀場に並びきれないほど届きました。Mさんをはじめとする仕事関係の方々、前職のH社長からもお花が届きました。同級生たちも駆けつけてくれて、父親と特に親しかったわけではないのに、私のために足を運んでくれたことがとても嬉しかった。ありがとう…。私がこれまでしてきたことに比べたら、みんなの優しさには全く敵いませんでした。お通夜だけでも延べ450人もの人々が父の元を訪れてくれたのです。
私はその光景を目の当たりにし、父親の生前の偉大さ、愛されていた存在であることを改めて実感しました。父親は、たくさんの人に慕われる、そんな人生を生き抜いたんだと胸を張って言えます。
続く…