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金平糖
「君と結婚するときはあの一番星をプレゼントするよ」
なんて言った男は星になった。変わった人だったけど、そのときは本当に彼なら星をくれると思ってた。彼の言う星が空に浮かぶ星じゃなくても何でも良かった。彼がくれるものは何でも嬉しかったから。
彼とは働いていた本屋で出会った。彼は絵本を読み漁っていた。いつもは子どもたちでにぎわう絵本コーナーは、絵本を立ち読みする彼を怖がって閑散としていた。絵本コーナーには似つかわしくない、難しい顔をしていたから本探しを手伝った。彼が絵本を探していたのは、同僚に子供ができたからだった。
「男の子だから、電車とか車とかが出てくるやつがいいんです。そういえば子供の頃、はたらく車が大好きで、パトカーの絵本が好きだったなぁ」
私は彼が本に関心があることが嬉しかった。絵本なんて何でもいいと私の父は買ってくれなかったから、彼はきっといいお父さんになるだろうなと思った。
それから、彼は書店によく来るようになった。
書店の企画で子供に絵本を読み聞かせをしていた時、ふと顔を挙げたら彼がいたことがあった。なぜか誇らしそうな顔で拍手を送ってくれていた。
彼の好意は分かりやすく、毎度デートに誘ってきては、私に断られ、がくっと肩を落として帰って行った。
「楠本さん。知ってましたか? 鮭って白身魚なんですって。この間立ち読みした図鑑に書いてありましたよ」
料理雑誌の棚を整理していると、彼が声をかけてきた。
「そういえば、秋ですね。鮭のちゃんちゃん焼きでも食べに行きませんか」
いつも世間話からお誘いまでのハンドルの切り方が急だった。毎度断っているのに、断られることを想定していないのか。目を輝かせて話しかけてくる彼に根負けして、私は彼と鮭を食べに行った。
「この間教えてくれた本読みましたよ。活字苦手な僕でも読めました」
その本は、私がイチオシ本としてポップに書いたものだった。書店の隅の誰も見ないような棚から、彼は見つけて感想をくれた。
それがなんだかうれしくて、彼に本を薦めて、彼が読んできたら感想を言い合うようになった。
彼はしつこいし、面倒な人だったけど、いつも私を明るい場所まで引っ張り出してくれた。
私をこんなに愛してくれる人はいない気がして、彼と付き合うことにした。
彼は字が汚かった。レストランで順番を待つ紙に名前を書くときも字が汚くて、正しく読まれたことはなかった。彼は慣れているようだった。「僕はだいたい矢島とか小島とかで呼ばれるからね。二十数年生きてると慣れるよ」と自慢げによく話していた。
彼はショートケーキの苺を最初に食べる人だった。
「大事なものは取っとくと食われる」からだと言っていた。でも、時々ショートケーキの苺を私にくれた。私は食べることが好きだから、そういう気遣いが嬉しかった。
彼がいなくなったのは、大雨の日に外に出て雷に打たれたからだ。雷に打たれるなんてあるのかと、知らせを聞いたときは呆然とした。彼が突然いなくなったとき、残された私は涙も出なかった。何から何まで変わっていた彼は、私との約束を果たせなかった。
三年経って変わったことは、周りの人間が結婚し始めたことくらいだ。嫁に行き遅れたわけではなく、私が片っ端から断っているのだ。私はそれなりにモテるので、彼がいなくなってからも何人かと付き合った。でも私は彼以上の人を見つけられてない。付き合っても続かない。相手に彼を重ねてしまうから。海を見ると「なんで海って出汁が出ないんだろうね。昆布とか生えてるのに」と言っていたことを思い出す。空を見たら彼との約束を思い出す。ケーキ屋に並ぶショートケーキを見ても、よく一緒に行ったレストランの前を通っても、彼が出てくる。私は仕事を辞めた。本の場所を尋ねられる度に彼じゃないかと期待してしまうから。
ある日、宅配業者から電話がかかってきた。
「お忙しいところ失礼いたします。白猫宅急便ですが、楠本様のお電話でしょうか。大島様からお客様宛てにお荷物をお預りしているのですが、住所が読み取れず、ご確認したいのですが……」
「えぇ私ですけど、大島、ですか。知らない人ですけど、」
「そうですか、こちらの方でも困っておりまして、三年程前に記念日配達を頼まれておりまして、本当に心当たりありませんか? 」
ふと、彼のことを思い出した。確か、彼は字が汚くて、名字を間違えられると言っていたことを。
「すみません。送っていただけますか」
私宛の荷物が届いた。差出人を見ると、くしゃくしゃの紙に彼の名前が書いてあった。クセのある字のハネを見て、彼の字だとわかった。
届いてしばらくは開ける気にはなれなかった。今更何かされたところで彼に会えるわけじゃない。彼はもう死んでるんだから。段ボールを開けて、ジャジャーン僕でしたみたいなブラックジョークはありえない。
彼のことを忘れようとしているのに、彼は私を苦しめる。段ボールを見ないように一週間程生活していたが気になってしまって、結局開けることにした。沢山の緩衝材の中に小瓶に入った金平糖と手紙が入っていた。
親愛なる君へ。
手紙なんて初めて書いたよ。これが届く頃は、きっと僕も出世して君と不自由ない生活を送れるようになっているだろう。その決意のために、三年後にこれが届くように配達を頼んだんだ。ハイテクだよね。タイムカプセルもこういうのにしたらいいのにね。掘り返す頃にはどこに埋めたか忘れて、校庭中掘り返すことはなくなるしね。
君は記念日とか覚えていないだろうから、念のためにいうと今日は僕が君にプロポーズした日だ。覚えてるかな。小高い丘の公園で、満天の星空を見ながら甘い言葉を囁いた日のことを。
予言しよう! ズバリ君は嬉しすぎて頬を緩めてにやっとしているだろう。君は察しが悪いから、あれがプロポーズだって気づいてないかもな。ひねくれてるからね、認めないかもしれないけど。だからこの後、プロポーズしに行くよ。意地悪して断らないでね。きっと僕は緊張しているはずだから。本当に断らないでね。泣いちゃうからね!
君を大好きな僕より
字が汚くて、読めなかった。涙で滲んでしまった字を撫でた。きっと大きな花束をもって、プロポーズしてくれるはずだ。
私は鳴るはずのないインターホンが鳴るのをずっと待っている。