記憶の断捨離⑦ ~殺人鬼ですら誰かの役に立つ!?~
記憶の断捨離術は、自分の本当の気持ちと向き合うことで、過去の嫌な記憶に決着をつけて、心を健康にする心理療法です。
前回の記事では、ゆっくり治していくのがメンタルの本質ということを述べました。
今回は、自分の存在価値の見つけ方について考えていきます。
結論から先に言うと、どんな人でも必ず誰かの役に立つことができます。
どんな人でも必ずは言い過ぎだろ~~と思ったあなた、そんなことはないんです。
極端な例で言うと、殺人鬼ですらも誰かの役に立つんです。マジかよ。詳しく見ていきましょう。※もちろん、殺人を推奨するものでは全くありません
例えば、生活の困窮を原因とした強盗殺人が起きたとしましょう。
この国には、他にも困窮している人が大勢いることでしょうし、中には明日にも強盗殺人をしないといけない程に追い詰められている人もいるかもしれません。しかし、この国のどこかで強盗殺人が起きたニュースを聞き、その殺人鬼が捕まってドエラい目に遭うということが分かり、自分が明日にも起こそうとしていた強盗殺人を踏みとどまれるかもしれません。
もしくは、より長期的に社会構造の歪みを是正する契機になることもありえます。例えば生活保護などの救済措置が必要な人にきちんと行きわたるように制度を見直して、殺人が起こるのを間接的に防ぐことができるかもしれません。
また、防犯システムに新たな課題を見出すような殺人方法であれば、防犯会社が新商品を開発するヒントになりますし、警備会社が一つ新規の仕事を受注できるかもしれません。
あるいは、殺人鬼のような人を罰する仕事に就いている人は、ある日世の中に殺人が全く発生しなくなれば、職を失います。
殺人鬼のような分かりやすい悪を見下して、ネット上で叩くことで優越感を得て自我を保っている人間のエサになるという形でも、ある意味役に立っています。
もっと屁理屈くさい例を考えようとすれば、直接的ではないにせよ殺人鬼が役に立つ例は想像力の数だけ存在します。
もちろん、殺害された人やその遺族の前で「殺人鬼は役に立つ!」なんてことは絶対に言えません。これはあくまでも極端な例です。
しかし、殺人鬼ですら役に立つ形があるのだから、いくら役立たずな自分でもどこかの誰かの役に立っているハズだと考えることは自由です。それこそ、殺人鬼のおかげで少しだけ前向きになれたと考えれば、あなたの役に立ったことに出来ますね。
この考え方は、"殺人鬼"の部分を"身近な嫌な人"に置き換えても成立します。
すなわち、嫌いな人を心の中で見下せば、この人に比べたら自分は聖人君子だな~~と思えるかもしれません。また、そういう嫌な人がもし世の中から次々と消えていったら、そのうち自分が嫌われる順番がくるでしょう。嫌な人が周りから嫌われてくれるおかげで、自分が相対的に良い人になっていられると考えることもできます。
この考え方を、自分の存在価値の見つけ方に対して適用します。
もしあなたが、自分のことを役立たずな存在だと考えているとすれば、そんなことはないのです。
あなたがどれほど社会のお荷物であろうとも、まだ殺人をしていなければ殺人鬼よりはマシでしょうし、殺人をしないで踏みとどまっているおかげで助かっている命があります。
屁理屈さえこねくり回せば、あなたの存在価値はどこかに必ずあるのです。
もし、自分の存在が役に立っている構図を全く想像できないとしても、それはただ単にあなたの想像力が及ばないというだけです。世の中には想像もつかない可能性がありありと広がっていますから、あなたは今この瞬間も"思いもよらない形で"誰かの役に立っているのです。
これが、自分は生きてていいんだという根拠なき自己肯定感です。
自分は役に立っている! どういう形かは知らん! 俺には思いつかんが世界が適当に考えててくれ!
つまり、自分の存在価値は、見つけようとするものではなくて、あるのだと悟るものなのです。
※この記事では、開き直りの精神で犯罪や迷惑行為を起こすことを推奨するものでは全くありません。自分の存在価値を見つけられない人への考え方の参考になれば幸いです。
次回は、ついに催眠状態の入り方を紹介しようと思います。
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