この世のルール設定を本気で考察してみた⑦
ミクロ~人間~天体に対し、意識空間仮説を用いたプロセスの妄想
今回はミクロと人間の前半まで。
〇まずミクロの場合
全体性から情報場を観察し、個体側に昇華移動させる情報を決定する。
(ここは全体性の論理によって。)
情報内容に基づき、中心点から空間設計図と共に空間出現。
空間ができ、意識が発生し、設計図を具現するよう素材を集める。
情報場からはそれが存在する可能性が消え、個体側で存在する事になり出来上がり。
結合する際も、先に空間形成されてから必要な素材を引き入れていく。
〇人間の場合
胎児になる前にその人の空間が出現し、設計図に沿って生態変化していく。
細胞や器官や内臓も、おのおの意識空間を持っていながら繋がっているので、ものすごい数の異種空間の集合体となり身体は出来上がっていく。
産まれた後、身体総体を司る空間そのものが「自我」であり私の本体の一部。
(空間内の精神構造体の働きが自我で、中心の点が自分)
その私である空間内に存在する沢山の空間集合体の身体とは、「呼吸」で「私」を吸って吐くことで強い相互関係を持つ。
鬼滅の刃の「呼吸」はそれぞれの「型」という先人たちが作り上げた意識体を、呼吸で吸ってリンクすることで身体が同調する、と解釈します。
自我が弱まって見えるのも、身体を明け渡してる状態なのかもしれない。
また、呼吸による瞑想など、自我のエリアではなく、自分の中心点に焦点を当てて呼吸することを目指す事なのかと思っていて、身体に「どこを吸わせるか」で、体感を変えようとしているのだと思います。
よって、身体=私だけのもの
ではなく、毎瞬互いに観測しまくってることにより、とっても強い相互作用を結んでる相方のような存在だと予想します。
見えている自分の身体は、身体側の細胞等による観測を受けてそれぞれの自己表現をこちらが観測している事になり、その観測結果に対する私本体の認識は自由意思となる。
また、身体側も私の空間の構造(私という人の設定)を常に観測している。
という風に、身体とは常に観測しあう事で、私本体と入れ子状態で関係を結んでいると思われるが、私本体の空間構造を受動的に感知し体感に落とし込む処理をしているのが脳の機能であると予想される。
能動的に意思決定をしているのは、「私本体」の構造のもとになっているあらゆる事への「観測」であり、出来事にどう意味づけをするかは自由意志であると言える。
観測結果をもとに一度空間構造が出来上がると、観測パターンを形成し同じ認識を自動的に繰り返すようになり、そこを通過してくる観測結果を脳は脳で、構造をもとにパターンによる理解をする。
パターン形成するメリットとしては、認識の補助として働き、毎回記憶喪失のようにならなくて済むという点がある。
(私は人間で、二本足で歩く、日本語を話す、等)
逆に、構造が出来ていてパターン形成しているものと全く別の視座での観測と認識を行おうとしても、どこかで元の回路に戻ってしまい難易度は高い可能性がある。
特に何度も繰り返し同じ観測をしてきたものに対しては、強力なパターンが出来上がっていると思われるため、違う可能性に気付くことすら難しいかもしれない。
身体の方は、その私本体を観測し、本体の身体に対する観測結果を体現して、情報場にある「私の体に対するその他の可能性」と対称性を保つ。
その体現をまた私本体は観測する…という繰り返しを行っていて、決して身体の状態が先手ではなく、私本体の内容の写し鏡であると言える。
なので、身体の状態から本体の認識パターンを逆算した見方が、東洋医学であったりアーユルヴェーダ等歴史の古い医学体系には含まれてる気がします。
因果の捉え方が逆ってことですね。
長くなってるので次回に続きます。