見出し画像

036_Todd Rundgren「The Very Best of Todd Rundgren」

やっぱり旧校舎のこの木陰の下の方が、私にとってすごく居心地が良い。改めてここにきて、その良さを確認しているみたいだ。さて、次の授業までの空き時間はここで過ごそ。結局、新校舎なんてものは新しいだけが取り柄なのよ、あとまあキレイなところ、そこは私も認める。友達はそっちのカフェとかにすでになびいているけどね。まあ、それはしょうがないことなんだ。

人間がなにかと新し物好きなのは、天気、動物や植物なんか、いつもと違う気配や変化する状況を洞察するため、人間が厳しい大自然で生きていく上で発達させた抗い難い性質なのだ。そして、特にその性質が強くて新しいモノにすぐに飛びつく人を最新性愛者と呼ぶらしい。と、確かどっかの本に書いてあったような。

でも新しいものが必ずしもいいものとは限らない。「家と男は、新しいに限る」とママは言ってたけど、あの人の考え方は特別。私は決して、そういうんじゃないから。私は古いものの良さというのも大事にしたいと思っている。古い物の佇まいから、それまで多くの時の流れを経て培われてきた、その物の「存在」というものが確かめられる気がするのだ。この旧校舎にもそれを感じる。「忘れないでね」と、私はこの古い建物から言われている気がするのだ。

読む本も古典、家具屋巡りも断然アンティーク、清潔で綺麗めな古着も大好き。この前までずっと、70年代ロックを聞くために、iPod classicを愛用していたのに、Appleの取り扱いがなくなってしまって、ひどく嘆いた。友達はiPod classicなるものの存在そのものを知らなかった。

そして極め付けなのは、私の名前が「弥生」だということ。別に3月生まれでもないのに。この令和のご時世において、なんとも異彩を放つ古風さだ。決して懐古主義者でもない母が、私が将来こうなるのを予期して、名付けたのだろうか。あまり想像ができない。

私のママは銀座のクラブを仕切っていて、一見派手な生活をしているように見える。だけど、水商売という移り変わりの激しい業界だからか、新しいものばかりではなくて、職業柄身につけることの多い、古い着物の良さなども認めている。親娘二人暮らしの住まいはタワマンで、スタイリッシュな2LDK。遊びに行った友達の部屋なんかは、最近のKPOPアイドルの写真だとか埋め尽くされているんだろうけど、私の部屋はほぼ19世紀のフランスの洋物アンティークの小物などで飾り付けられている。

「あなたの古めかしい趣味がセンスのいいことはわかってるけど、でも古ぼけた男だけはダメよ、時代に取り残されてる男なんてのは特にね」私の部屋を眺めては、ママはいつもそう言うけど、「古ぼけた男」とはいったい誰のことを念頭に言っているんだろうか。ママが不意に見せる遠い目がたまに気にはなる。

そんな私は友達の中でも異端扱いだ。みんないつも最新のファッション、最新のスイーツ、最新のアーティストの話ばかり。そんなの追っかけても、どのみち良いものしか、この世の中で残っていかないのに。どうせ10年後にはみんな忘れているわ。もちろんそんなことは友達の前では言えない。でもそういえば、2年次必修クラスで、この前の自己紹介で「古いものが好き」って言ってた子いたな、なんて名前だっけ、あの男子。

私が旧校舎の木陰のベンチで、サマセット・モームの「月と6ペンス」の文庫本を取り出して読んでいると、いつのタイミングか、2つプラタナスの古木を挟んだ向こうのベンチに同じようにベンチに佇んでいる男の子を見つけた。この旧校舎に人がいるのは珍しい。重めの前髪にルーズなベージュのパーカー。なんとなく古着っぽい雰囲気をまとっている。そうだ、たぶん、この前、自己紹介で気になってた子だ。こんな場所であの子に会うとは思わなかった。私と同じように文庫本を読んでいる。ぐーっと、思わず覗き込む。

「あ、ハムレット読んでるんだ、シェイクスピア」

誰かが自分の懐古趣味と波長が合いそうだなと感じるような、こういう時、私は食い気味で接近し、後先考えずに話しかけてしまう。男の子はちょっとビクッとした様子を見せた。あー、しまった。さすがにクラス一緒(のはず)だとはいえ、読んでる本の名前見ていきなり話しかけるのは、ちょいひくかな…。

「あ、ご、ごめん、確か一緒だったよね、必修クラス」私は言い訳するように、うまく間合いを切ろうとする。

「うん、知ってる。あとフランス古典も」あ、そっちもだったか。そっちは気付かなかったな。これで共通の講義が2つ。よし、テストの時には、仲間は多い方が有利だな。私は邪な考えが一瞬浮かんだ。

それをきっかけにして、共通の授業の空き時間には、彼とよくこの旧校舎のベンチで話すようになった。彼も私と同様、古い物に惹かれる。そしてその感性が周囲と合わずに孤立感を感じることがあるという。古い家具屋で祖父母の家で昔使われていたものと同じタイプの食器を見つけた時のように、二人がお互いに親近感を持つのは当然の成り行きだった。

「たぶん永遠に存在するものというものはないけれど、そこに込められた夢とか記憶や思い出って、たとえ人類全部が滅びてしまっても、ずっとそこにあった物に残り続けるんじゃないかな、って思うの。それで、宇宙人がやってきて、そこに残っている文明の残骸から、すでに滅びてしまった人類の生活ぶりとか文化とか、誰が誰をどんな風に愛していたか、とかを想像するの」

とても友達との間では話題にできないような、古めかしくてロマンチックなことを、私は熱っぽく彼だけに語ってしまう。彼も言葉少なげに頷く。まだ年若い私たちは、この旧校舎で、すでに過ぎ去っていってしまったものや多くの人に忘れ去られてしまったものたちに対して、深い感慨を寄せ合っていた。

ある晩、ママと一緒に夕食のパスタを食べていた時に、ふと思い出したように、ある質問を投げかけてみた。

「ママ、私の『弥生』って名前、ママがつけたの?」

「まさか、私がそんな付ける訳無いじゃない」

「じゃあ、パパ?」

(離婚した父とは月に1回は3人で会っているから、フランクなもので、特に親娘間の会話でタブーの人物というわけではない)

「パパはパパでも、私のパパよ。おじいちゃん」

「ああーっ、そっち」

祖父は旧海軍の軍人で、制服姿の厳格そうな髭を蓄えた遺影の写真しか私は見たことない。確か、私が生まれる前に亡くなっているはずだ。

「私に子供が生まれることがあったら、名前は『弥生』にしろって言ってたのよ。結局、生きている間にあなたを抱くことはなかったけどね。ホント、海軍の伝統だとかなんとか言って、まさに時代に取り残された古めかしい人だったわよ。ちょうど、あなたの名前と同じ軍艦に乗ってたんだって」

(娘の私から見ても)母は見ての通り奔放な人だから、厳格な祖父に相当反発をして、今の私と同じ10代の頃に家を出たらしいことは、祖母の話で聞いたことがある。でも、私の名前は、祖父の言う通りに「弥生」にしたんだ。過ぎ去った人を忘れないためなのだろうか。

「もうそんな話はいいから、冷めないうちに早くパスタ食べちゃいなさい。もう洗い物片付けちゃうから」「はーい」

母の目が少し潤いを帯びている気がする。しかし、それは決して、過去を振り返るような目ではなかった。




いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集