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短歌「ambivalence idol」

 好きなアイドルのSNSを最近見るようになった。
朝には絶対におはようポスト、夜には絶対におやすみポスト、他のメンバーの活動には絶対に引用ポスト。もちろん、自撮り載せてて。アイドルを好きだからdisる訳では無いが、まるでロボットのように決められた指示をこなしている様に見えてしまっている…。もやもやしている。多分まだ無い言葉でしか言い表せない、本来の人格を我々が求める姿に捻じ曲げさせてしまっていることに対する申し訳無さ。そして、どんな行動がファンに受けが良いのか、どうすれば自分がより愛されるのかについてしか考えずにこのポストを行っているということに対する生理的嫌悪。これが同時にある。

 だが、このSNSの立ち回り方がまさしく”絶対的なアイドル”だということではないかと思う。自分自身の良いところを、絶対に自分のことを好いているであろう女たちに、自撮りポストや受けが良い文章を載せて褒め言葉を言わせているところが、絶対的にアイドルすぎる。だが、絶対的なアイドルは必ずしもポジティブな考えからその存在になったという背景があるとは限らないことがあると思う。絶対的なアイドルには下積みが長く、苦労している人のほうが多い気がする。自分をキャラとして客観的に捉えすぎるとこのような現象が多く生み出されるのではないか。これが客観的に正しい解釈とは全く言えないが。

 きっと、彼には顔がかっこいいだとか、優しいだとか、笑顔が素敵だとか、努力家だとかのありきたりな褒め言葉はほとんど響かないのだろう。だが、打算的にアイドルをしているから、ファンを数としてしか考えていないから響かないと言いたいのではない。おそらく、彼らはファンからの褒め言葉について深く考える、脳のリソースをそれに割くことをしていないだけだろう。だが、絶対的なアイドルを生み出すために構造的には必要だから、響いていなくともファンは褒める言葉を一挙手一投足に言わなくてはならない。ファンはその現象を形成する要素になる義務がある。彼には褒め言葉が響かないことに対して、怖くもあって悲しくもあるが、彼は絶対的なアイドルだから、生業としてるから仕方ないのかもしれない。

 たぶん、これからも絶対的なアイドルのSNSをずっと見続けるのだと思う。そして、何度も同じようなことを思って、実物の彼を見にライブに行くことがどんどん怖くなっていくのだろう。SNSの実物からかけ離れすぎた彼のことを見すぎて、現実の人間として対峙することが、そのギャップが受け入れられない。でも、彼は確実に悪くない。ファンサービスは人一倍頑張っているし、問題を全く起こさないし、彼女の流出もない。(正直、彼女がいるとかいないとかはどうでもいい。仕事と私生活はきっちりと分けるべきだからだ。)彼はアイドルとして完璧な仕事をしている。仕事ではなく、もはや、お給料以上のことをしている。人生さえ捧げているのだ。(恋愛禁止などは人権侵害に当たるから美化してはいけない。)だが、これほどアイドル自身は努力しているのに違和感は拭えない。蛙化現象みたいな感じで誰も悪くない。ただ、絶対的なアイドルは理想的だが、それが善と言うことはできない。

楽屋でのパン泥棒とツーショット絶対的なアイドルだから


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太田葵
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