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『モアナ2』を見るうえで必須ではない知識

※本投稿は『モアナと伝説の海2』のネタバレを含みます。未視聴の方はお気を付けください。

皆さんは映画のパンフレットを買うことはあるだろうか。

私は学生時代から社会人となる今まで、2か月に一回程度のペースで映画を見るが、映画のパンフレットはいままで購入したことがない。そんな私が、初めて映画館でパンフレットを購入した。その映画とは『モアナと伝説の海2』である。

映画のパンフレットって真四角なの知らなかった

私はディズニー作品にはあまり明るくないのだが、もともと前作の『モアナと伝説の海』だけはかなり好きで、これまでに累計で5~6回は視聴している。好きな理由については単純明快なストーリー、魅力的な登場人物、劇伴などたくさんあるのだが、個人的に太平洋地域の文化に興味を持っていることもその一つだ。『モアナと伝説の海』の舞台はポリネシア地域である。(そもそも「モアナ」とはサモア語で大海を意味する。1920年代にロバート・フラハティというドキュメンタリー映画の祖と言われる人物が、サモア諸島の生活を収めた『モアナ』という映画を製作しており、学生時代に大学の近くの映画館で上映していた。)

『モアナと伝説の海2』は前作が好きな私にとっては待望の続編だった。
昨日映画館で視聴したが、大変満足のいく内容だった。特に「太平洋地域の文化」という点においては、前作よりも多く、かつ詳細に作品中に落とし込まれていると感じた。

本投稿では、『モアナと伝説の海2』(以下、『モアナ2』)の一場面や登場したモノについて、太平洋地域の文化文物との関係を考察し、本当に簡単に紹介する。
注意点として、私は太平洋地域に興味のあるだけの一般人であって、断じて専門家ではないため厳密な考証は行っていないこと、情報に誤りが含まれる可能性があることをご承知おき願いたい。

ここからネタバレになるけど本当に大丈夫ね??


ラピタ土器

今作は、モアナが新たに発見し上陸した島で、土器を見つけることから始まる。モアナは土器(モアナにはその使い道がわからない)の存在と、その模様に描かれた棒人間から、自分ら以外にも人類が存在することを確信する。

ポリネシア地域への人類の拡散に言及するうえで、土器の存在は外せない。

太平洋地域は大きくミクロネシア、メラネシア、ポリネシアの3地域に分類される。

これらの地域は、日本が採用するような太平洋を中心に添える地図では地図の真ん中に描かれるが、欧米などで採用される大西洋を中心に添える地図では両脇に分断されて描かれる。

人類の拡散過程で東南アジアの島嶼部からどのように移動したかを示す考古学的な証拠として、ラピタ土器が挙げられる。

ラピタ土器は、メラネシア~ポリネシア西部(トンガ、サモア)で出土しているが、この土器がつくられた年代などを推定すると、人類がメラネシアからポリネシア西部に移動してきたことがわかるらしい。

物語の冒頭でモアナが発見する土器は、ラピタ土器に似ていると思えなくもない。(ただし、作中で登場する土器はラピタ土器よりも一回り小さいうえ、土器は総じて似通った形であることに注意しなければならない。

ラピタ土器は、大阪の万博記念公園にある国立民族学博物館で展示されている。下記の資料目録でも「ラピタ土器」と検索すると出てくるので、『モアナ2』を視聴済みもしくはこれから視聴が確定していて、興味がもしあれば覗いてみるのもいいだろう。

ところで、紀元前千年頃にポリネシア西部まで到達したラピタ土器の作り手たち(ラピタ人・ラピタ集団などと呼称される)は、トンガやサモアといった島で一旦歩みを止め、ポリネシアの他の地域(ニュージーランド・ハワイ・イースター島など)への拡散は千年~二千年の時の経過を待たねばならない。
『モアナ』シリーズは、主人公モアナによって、航海の技術が失われた民族集団に再び航海術がもたらされ大海原へ繰り出すことができるようになる、という話だが、上段の話を踏まえるとほぼ史実と一致する。

フィクションの物語を現実に置き換えるのはやや野暮ではあるが、モアナたちが住む島「モトゥヌイ」はトンガやサモアといったポリネシア西部だと想像できる。

ヤエヤマアオキ(ノニ)

モアナは、新しく発見した島(土器を発見した島)から故郷であるモトゥヌイに帰還し、島で見つけた新しい果実を村の人に渡す。

この果実は、ヤエヤマアオキという植物である。
和名では馴染みないだろうが、「ノニ」という名前で健康食品として日本でも(主に)ジュースとして流通している。

見た目、ややキモい

そう、天才クイズ集団QuizKnockがYouTubeチャンネルで常飲しているノニジュースそれである。

おもしろWebメディアのデイリーポータルZでも、ライターの平坂寛氏がジュース以外の方法でノニを食べる方法を探っている。

上記の記事を読めばわかるが、この果実は非常に玄人好みの味がするようだ。『モアナ2』ではこの果実を食べるシーンは描かれないが、きっとこの果実を手渡された島の住人は、感動的な物語の裏でえずきながらモアナにキレているに違いない。

家畜・家禽

『モアナ2』では前作に引き続き、ブタのプアとニワトリのヘイヘイというキャラクターが登場する。

これらの家畜はポリネシアで伝統的に飼われている。島から島への人類の拡散――それは何十日間にもおよび、満足な睡眠もとれず、死と常に隣り合わせだ――に同行(しかも、つがいで)したということを意味する。

前作でニワトリのヘイヘイが物語中で驚くべき活躍をする(一方のプアは同行すらしない)のに対し、今作では物語に同行するヘイヘイもプアにも何の活躍もない。

目立った活躍も無く、ストーリーにも寄与しないキャラクターが物語に終始同行するのは一見理に適っていないと思われるが、この描写を通してポリネシア地域の伝統的な社会でニワトリとブタが重要な隣人であったことを示唆しているのではないか。生死を彷徨いながらポリネシア地域に拡散した人類は、『モアナ』シリーズに比肩しうる冒険を経た。そしてその冒険の傍らには、常にニワトリとブタがいたのだ。

ローカル・ドラッグ

モアナは前作の功績と島民からの絶大的な支持を持って、割と序盤の方で村長(むらおさ)より上位の「タウタイ」という称号を手にすることになる。

その称号授与の儀式にて、モアナたちは謎のカルピスのような白濁した液体を飲むが、これは一部の太平洋地域で飲まれる「カヴァ」という飲み物である。(ちなみに、モトゥヌイには土器は無いのでココナッツの殻を使って飲む)

このカヴァには鎮静作用があり、飲むと一種の酩酊を覚えることから地域によっては儀式に使われたり、単なる嗜好品として消費される。

私が何故この飲み物を知っているかというと、この飲み物は私の大好きな小説『マシアス・ギリの失脚』に登場するのだ。この小説は(『モアナ』シリーズの舞台のポリネシア地域と異なり)ミクロネシア地域が舞台であるほか、呼称もアヴァではなく「シャカオ」といろいろ異なるものの、物語に登場するこの飲み物について調べたことがあった。

私は大学4年生のとき、卒業旅行の行先としてミクロネシア連邦を計画していた。その目的こそ、このシャカオを飲むことだったのだが、新しく登場したウイルスの流行によりこの計画を断念せざるを得なくなったという苦々しい思い出がある。いつか行くつもりではあるので、飲んだらnoteで紹介したい。

(この小説が好きすぎて同じものを3冊持っている)

カシオペヤ座

モアナは祖霊からの神託を受け、未知の島である「モトゥフェトゥ」を目指すことになる。モトゥフェトゥはアルファベットの「W」の形に並んだ星座の下にあることが示されるが、この星座は日本でもよく冬によく観察できる。カシオペヤ座である。(私の場合、星座の名称に少々明るいことは誇らしいことでもなんでもない。星座の名称について若干詳しいことは、思春期に夜に一人でいる時間がいかに長かったかを象徴することに他ならない。大学に入り友人が増え充実する時間が増えていくことに反比例して、私は夜空を見ることは無くなった。)

新しい航海に向け、新しく調達した船の帆には、目的地であるモトゥフェトゥとその空に輝くカシオペヤ座があしらわれる。

カシオペヤ座は、北極星のありかを探すことにも使われる通り、北半球において観察が容易な星座である。本投稿の「ラピタ土器」の章で考察した通り、モアナの住むモトゥヌイはサモアやトンガあたりだと思われるが、これらの地域は南半球に位置している。つまり、それらの地域からカシオペヤ座を見つけることは時期によっては不可能か、見つけられたとしても地平線の際でしか見えないと思われる。すなわち、モアナが住むモトゥヌイから目的地であるモトゥフェトゥへの移動は、赤道を通り地球のもう半分へ移動する大移動であることが想像できる。
しかし、これは現実でハワイやイースター島たどり着いた昔のポリネシア人たちが実際に辿った歴史なのだ。

なぜか映画パンフレットでは帆船に描かれる星座がカシオペヤ座ではなく北斗七星になっている。ただしいずれの星座にせよ北極星付近にかまえる星々であり、途方もない大移動を示唆することに変わりはない。

帆船

過去ポリネシア地域に拡散した人々がどのような船に乗っていたのかは、考古学的な証拠に乏しく、よくわかっていない。
前作でモアナが乗る舟は、ひとつの船体と外に飛び出したウキで構成されるシングル・アウトリガー・カヌーだったが、続編である今作で新しくこしらえた帆船は、船体が二つある双胴船となっている。

船については完全な素人なのでよくわからないが、今作でモアナが乗る双胴船は、現役で伝説的な航海を成し遂げているハワイの「ホクレア号」にもよく似ている。

ホクレア号は、既に失われていたと思われていた太平洋地域の伝統的な航海術を、一部の島で断片的に伝えられている情報を統合し、復活させた技術のみを用いてタヒチーハワイ間の3,000km弱の航海に成功した船である。モアナの乗る船をデザインするうえで、ポリネシア地域の人々にとっても自身のルーツにも関係しうるこの重要な船を、意識しないはずがない(と思う、ただし「双胴船」であるという一つの特徴だけでここまで言うのは大げさだと思ってはいる)。

物語の終盤、この船に驚くべき改造がなされるが、かつてのポリネシア人がどのような船に乗っていたかわからない以上、この改造も的外れとは言えない。

前作でモアナが乗っていたシングル・アウトリガー・カヌーは、『モアナ2』のパンフレットでフィジーの船をイメージしてデザインされたことが語られる。しかし、大阪の国立民族学博物館(以下、みんぱく)に展示してある「チェチェメニ号」にもよく似ている。このチェチェメニ号はミクロネシア地域のサタワル島の船だが、先述のホクレア号の航海術の復古にはこのサタワル島の口頭伝承が大きな役割を果たした。ホクレア号ほど有名ではないが、このチェチェメニ号も、サタワル島に伝わる伝統的な航海技術のみでサタワル島から沖縄までの3,000kmの航海を成功させた。チェチェメニ号はみんぱくに入館したときに一番最初に見ることができる展示として来館者の心をつかんで離さない。さらに、博物館内での映像アーカイブコーナーではこの航海を追ったドキュメンタリー映像が無料で見れてしまう。みんぱくに今後行く機会がある場合は滞在時間には要注意である。おそらく、2時間では全く足りない(人によっては3時間でも足りない)。

貝の視覚器

オセアニアの文化の話とは逸れるが、今作では島とも見紛う超巨大な二枚貝が登場する。この貝は貝殻の縁に沿って目が並んでいるが、実際に一部の二枚貝の視覚器(目)はこの作品の通りの位置に並んでいる。
今作に登場する貝は、目がめちゃくちゃリアルなので、迫力がある(「キモい」をオブラートに包んで伝えようとしている。)。

この事実を知ると、生きたホタテ貝が少し奇妙に思えてしまう。君、80個も目ついてたんだね。

島の生成過程

モアナの住むモトゥヌイ、そして物語の最後に登場するモトゥフェトゥは、玄武岩と思われる柱状節理が発達している。
これが示唆するのは、かつてモトゥヌイやモトゥフェトゥは火山であり、それが長い時間をかけて浸食した結果、今の形に落ち着いた、ということだ。(この説明は、劇中の説明と矛盾する。なぜなら、この世に浮かぶ島はすべてマウイが海底から引き上げたからだ。神話世界と科学を混同してはいけない。よく皇統の男子男系を擁護する目的で、神武天皇のY遺伝子を説明に使うことがあるが、同じことである。神話世界と科学は決して混同してはいけない。ちなみに、ポリネシアの一部地域(サモアなど)は女系社会だ。

日本で最も柱状節理が観察できる場所の一つ、兵庫県の玄武洞
世界だと北アイルランドのジャイアンツ・コーズウェイがバカでかい柱状節理が見れる場所として有名だ

渦巻き模様

前作同様、『モアナ2』でも渦巻き模様がデザインとして頻出する。ポリネシア地域に含まれるニュージーランドでは、渦巻き模様は「コル」と呼ばれ、「新生」「成長」「力」「平和」などの意味を持つ。

ニュージーランドの新国旗案の中にも、渦巻き模様の図案が含まれる。

みんぱく(またみんぱくの話かい!と思うかもしれないが、これで最後である)は第一展示室がポリネシアを含むオセアニア地域の展示になっている。あなたがみんぱくに訪れたなら渦巻き模様のモチーフの多さに驚くはずだ。

(1/20追記)歌、というより心そのもの(余談)

『モアナ』シリーズの大きな魅力といえば、劇中歌だ。前作に続き、今作においても歌(ないし劇伴)が映画館での視聴体験をより充実したものにしてくれる。

シリーズを通して、劇中歌のうちの何曲かはポリネシア地域の言語で歌われる。それらポリネシア地域の言語の歌詞をもつ曲は、字幕版でも吹替版でも訳されることなくその言語のまま歌われる。
モアナの船出を見送るモトゥヌイの人々が歌う歌、力尽きたモアナの体を抱き寄せてマウイが歌う歌、これらは歌詞が理解できなくとも私たちに強く訴えかける。前者は安全な航海への祈りであり、後者は大切な人間を悼み、労わる気持ち、はっきり言うと愛(恋愛だけが愛ではないぞ!)を表明するものである。おそらくこれらの歌はポリネシアのどこかの地域に元ネタとなる祝詞のようなものがあるのではないだろうか。(ただし、このマウイがモアナに静かに歌いかけるシーンを吹替版で視聴すると、直前までひょうきんさを感じさせる尾上松也のやや高い声が、いきなりドウェイン・ジョンソンの会場が震えるほどの低い声になるので、そのギャップはおもしろい。おもしろい場面ではないのだが。)

前作のメインテーマともいえる『どこまでも~How Far I’ll Go~(原題:How Far I’ll Go)』では、次のような歌詞がある。

でも心に響くのは違う歌
(原曲:But the voice inside sings different song)

モアナと伝説の海(オリジナル・サウンドトラック / 日本語版)
Moana (Original Motion Picture Soundtrack)
作詞・作曲:Lin-Manual Miranda(日本語訳:高橋知伽江)

この歌は周りから自身に期待される役割と、自身のやりたいことのギャップに気づくシーンで歌われるものだ。この歌詞において「歌」が指すのは、モアナ本人の「心」と読み替えることができる。すなわち、『モアナ』シリーズにおいて、歌とは心そのものであり、その逆も然りである。本シリーズでポリネシアの言語で歌われる曲が多いのは、製作スタッフがポリネシアの言葉に込められた「心」を翻訳することが不可能だと悟ったからだと私は推測する。

「帆船」の章で、ミクロネシアにある小さな島、サタワル島が伝統的な航海技術の復古において大きな役割を担ったことに触れた。このサタワル島の人々が、どのように航海術を保存していたのか。そう、歌として記憶していたのである。天空に光る星々、風の声、波のうねり、それらと対話する方法をサタワル島の人々は歌として保存してきた。そしてその歌が、航海術の叡智を世界に復活させた。
歌は「心」にとどまらず、歴史・自然・技術そのものであると言えるだろう。(これはミクロネシアの話なので、『モアナ』シリーズが舞台とするポリネシアの話とは厳密には異なるが、太平洋地域という括りでどうにか容赦してもらいたい。私はこの章を書いていて気持ちよくなってるんだから!)

シリーズを代表する歌の一つに、『もっと遠くへ(原題:We Know the Way)』がある。
私はこの歌がめちゃくちゃ好きで、どれくらい好きかというと、この曲で使われる言語、トケラウ語(サモア語?)のまま熱唱できるくらいである。(インターネットで「もっと遠くへ 何語」と調べると、サモア語かトケラウ語のどちらかである旨の主張が散見される。ただし、一次的なソースは見つからなかった。)

前作では、モアナが見た過去の幻影の中で、航海術を自在に用い海を渡ったモアナの祖先(そしてこの祖先は「タウタイ・ヴァサ」という名前を与えられたうえで『モアナ2』にも再登場する。私の最も好きなキャラクターだ。)たちがこの曲を歌うのだが、『モアナ2』においては、海を自由に駆けるモアナ自身がこの曲を歌い、物語の幕が下りる。
このラストは、モアナが遠い未来で伝説となることを約束するものである。前作でモアナが、海を自在に行き交う祖霊たちの幻影を見たのと同じように、モアナは子孫たちに長く記憶される存在となるだろう。スクリーンの前の私たちは、今作のモアナに前作のタウタイ・ヴァサの面影を見ることができる。

おわりに

『モアナ2』はポリネシア地域の文化文物を短い上映時間の間に詰め込んでいる作品と言える。
前作の大きな魅力と私が考えている「単純明快なストーリー」という要素が薄れ、前作の説明に割くセリフの長さに加えややストーリーが複雑になってしまったと感じるが、その分ポリネシア文化への敬意に満ちた作品になっていたと感じた。
さらに、今作の要素の多さとやや唐突なストーリー展開は、古事記を初めて読んだ時にも似た興奮があった。今目の前で、誰も知りえなかった神話が誕生し、その一部始終を見ることができた満足感を、映画館での視聴から一日経った今も感じている。

他の人が『モアナ2』にどのような感想を持つかわからないが、私は複数回視聴したいと考える。

(おわり)


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