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柄物語〜30代最初の恋の記録〜

【まえがき】何年ぶりかの恋を記録しようと思った


森見登美彦さんの著書に、以下の文章が何度か登場する。

成就した恋ほど語るに値しないものはない。

森見登美彦『四畳半神話大系』

にもかかわらず、今回、私は成就した恋について執筆することとする。
物語を始める前に、小説執筆のきっかけ、30代独身男子のひねくれた過去の恋愛観などを書かせていただき、本小説「柄物語」のまえがきとしたい。


八方美人、もしくはカメレオンと言えばよいのだろうか、私はそんな性格の人間だ。
だからこれまで表面上の人間関係に大きな苦労をした記憶がない。
自分という存在を、学校の教室にいる他30名程度と同等に客観視するのが得意であった。
自分が今どのような立場に立たされており、どのような気持ちでいるのかを理解している自信もあった。


一見便利そうなこの性格が、あるタイミングで表面上の人間関係にしか使えないことに気づく。
そう、それは中学時代の、クラスにカップルが誕生し始めた頃だ。
なんとなく自分にも彼女がほしいと考えるようになる。しかし、その時に彼女を作るという目的があるものの、真剣に誰かを好きになれないという問題が生じたのだ。
周りが〇〇さん、〇〇くんのことが好き、と言っている状況への違和感を、今でも鮮明に覚えている。
だいぶ冷めた中学一年生であった私は、まず、彼女になってくれそうな相手を見定めた。そして、告白失敗という敗北を避けることを最優先し、慎重かつ戦略的にアプローチをし、予定通り彼女を作った。
巷では一番楽しいと言われる、付き合う前のプロセスを全く謳歌しなかった自分は、なんと憎たらしい人であろうか、今は思う。


周りから見たら、あいつも彼女がいるやつの一人、みたいな感じであろうが、恋愛の熱さをサーモメーターで測定できたとしたら、当時の私は見事に暖色の面積が狭かったはずだ。
そんな私の彼氏彼女の関係は、数ヶ月しか続かなかった。
振られた当時は、いまいちピンとこなかったものだ。
一緒に下校していたし(カップル用の長距離の帰り道が懐かしい)、メールはほぼ毎日していたし、カップルらしい関係であったはずだからだ。
感情がいかに重要であるか、全く理解できていなかった。
彼女が、私からサッカー部の長身のイケメンに乗り換えたことに、納得がいかなかった。(なお、当時私もサッカー部に所属していた)
一方で、悔しさもいまいち湧いてこない始末であった。


高校生になっても全く調子は変わらなかった。
だから、いちいち高校の彼女についても語るのは遠慮させてもらいたい。
それにしても、どんな視点から見直しても、私の中高時代の恋愛は冴えないものであったとしか言えないのが寂しい。


だから今回、30代にもなって我ながら心を揺さぶられ、恋と呼んでも悪くはないであろう経験をできた自分に、正直驚きを隠せない。
同時に、このような経験をもうできない可能性もあるので、何かしらの形で残しておこうと思った。
そこで思いついた手段が、やや他人事のようにエピソード化した小説だ。
この「柄物語」は、30代最初の恋の記録である。
なお、これが私のデビュー作となる。
後に知人にこの小説の存在を知られた時、恥をかくために書いたのでは?と思われるような出来栄えとなるかもしれない。
そんなリスクを抱えながらも、自分の人間らしく感情に踊らされる一面の記録を優先することとした。
私の恋愛観に共感いただけた人、もしくは反面教師としてくださった人が一人でもいたらうれしい。

【0001】始まりはエレベーター前


ふとした瞬間に出会いの機会は訪れるというが、まさかこれが出会いにカウントされるとは思いもしなかった。


32歳・独身・男性・PCだけで対応可能な仕事・年収は世間一般程度。山手線で乗客に端からインタビューしていけば容易に見つかるであろうバックグラウンドを持つのが私、坂本 凛(さかもと りん)である。
凛、という名前は少し気に入っている。男女問わずちゃん付けで呼びやすいため、学生時代は人との距離をなんとなく近く感じたものだ。平凡な社会人になってからは、この清潔感がありそうな名前に引けを取らないよう日々プレッシャーに追われている。


簡単な自己紹介はこの辺にして、出会いの話に戻ろう。
後に出会いであったと気づくその機会は、梅雨の時期のとある一日に訪れた。いつものように定時で仕事を終え、ワイヤレスイヤホンを片手にフロアを出て、エレベーターに向かった。
会社を出る前からイヤホンをするのは無愛想で、社会人として得をすることは何一つないと思うが、私はそれを習慣としている。一人の時間は会社のフロアを出たエレベーター前から始まるのだ。
ところが、その日は少し事情が違った。イヤホンをする直前に、見たことのあるような女性と鉢合わせたのだ。
隣の部署の新入社員、金沢 優美(かなざわ ゆみ)。新入社員の鏡とも言えよう彼女は、今にもイヤホンをして自身の世界に入り込もうとしている私に、何のためらいもなく挨拶をしてくれた。私も社員証を見せながら自己紹介をし、既に数名が乗っていたエレベーターに乗り込んだ。
エレベーターから出て、そのまま各々の帰路につけばよかったのだが、「仕事には慣れましたか?」という、もう何回も聞かれているであろう質問を私が投げてしまったのをきっかけに、最寄り駅まで一緒に向かうこととなった。


我が社はオフィス街の一角にあり、駅までの帰り道は無数にある。上空から見渡すと、碁盤のように縦横に道が走っているイメージだ。京都の地図に似ていると言えば分かりやすいだろうか。
学生時代に数学Aで習った、道順の数を求める問題を思い出す。5×5通りくらいであろうか。その日は、私のお馴染みのルートで帰ることとなった。(なお、彼女は普段地下の裏道を駆使しており、約25通りのいずれのルートも使用していないことを後に知った)
帰り道の会話はありふれた内容であった、と思う。私は一人の時間が好きでたまらないが、なぜか初対面の人と会話するのは苦手ではない。その日も何の意識もせずに沈黙を作らずに済んだ。
話の流れは覚えていないが、道中、当日の夕飯の話になった。彼女はどうやら一人暮らしをしているらしく、帰宅後に夕飯を作るようだ。
「先日もこんな話を帰り道に元(げん)さんとして、ご飯に連れて行ってもらいました」
と彼女の話が続く。元さんは私の上司だ。
「じゃあ今日は私と軽く飲みに行きますか?」
と間髪入れずに聞いてしまったのが急展開の引き金を引く。
不必要なコミュニケーション能力の高さなのか、上司への無駄なジェラシーなのか、許可なく登場しないでもらいたいものだ。


返事はYes。同じフロアの先輩の誘いを断る難易度が高すぎたためであろう。
会社の出口から最寄り駅までの、10分間のアディショナルタイムを経て解散するつもりが、延長戦に突入することになってしまった。まさかポケットに入れたイヤホンを耳ではなく、再びケースに戻すことになるとは思ってもいなかった。
オフィス街の最寄り駅には、困らないほどの居酒屋がある。しかもその日は平日ど真ん中。選んだお店が空いている確率はほぼ100%と言っていいだろう。心の余裕を作りながら、飲み屋街に金沢さんと私は侵入する。
梅雨時の外気に包まれながら歩くメリットもないので、嫌いな食べ物だけ確認して、ぱっと目に入った肉バルに入った。定時上がりの平日のお店は、予想通り空いていた。
おしぼりが渡され、マスクを外す。彼女もマスクを外して、メガネも外した。伊達メガネと思いきや度入りらしい。にもかかわらず、目が疲れるから外すらしい。
視力は0.1程度だっただろうか。細かい数値はともかく、目の前に座る私の顔の詳細が見えなくなることに対し、安心したのを覚えている。初めましての挨拶をしてから10分後に食事の席に着くのは、マッチングアプリをしていない私にとってやや緊張感のあることだった。


お酒が雰囲気を和ませてくれるだろうと思っていたのだが、どうやら金沢さんはお酒を飲めないようだ。先輩風を吹かせるためだけに、お気に入りのビアバーに入らなくてよかったと心底思った。
彼女はオレンジジュース、私は遠慮なくビールを注文する。
ビールはハイネケン。1杯目にふさわしいスッキリとした重くない飲み心地で、さらにはサッカーのUEFAチャンピオンズリーグのスポンサーを務める、私のお気に入りの銘柄である。
お店の中での会話も、特に困らなかった。むしろ初対面だから、質問は嫌でも思いつく。特に印象に残った話をいくつか紹介すると、彼女は読書が好きで、お酒を飲めず、方向音痴である、といった感じだ。シンプルな単色の服といった見た目と何らギャップのない落ち着いた感じに、私は勝手に好印象を抱いた。


その日は2軒目に行くことなく解散した。誘ったら彼女は断れないだろうという罪悪感から、誘うつもりは一切なかった。というより、お酒を飲めない女性を2軒目に誘う文句を知らなかった、というのが正しい理由かもしれない。
なんだか急にお誘いしてしまったことすら申し訳なかったと、別れてから連絡しようと思ったが、解散後にSNSも電話番号も知らないことに気づく。
翌日はめずらしく終日外勤であったので、明後日の朝にお礼のメールでも入れようかな、と考えながら数時間前に入れるはずだったワイヤレスイヤホンを耳に迎え入れた。

【0002】不器用すぎたアポ取り


外勤の翌日、出社してパソコンを開く。
メールの返信といった単純作業のために、朝の貴重な時間を割かないのが私のスタイルである。しかし、その日はそうもいかなかった。
金沢さんから、飲みに行った翌朝にお礼のメールが届いていたからだ。私は2日前に自ら連絡しようと考えていたことすら忘れかけていたのに、なんと丁寧な人だろう。相変わらず新入社員の鏡のような存在である。私は自身の朝のスタイルに背き、そのメールだけ返信して、仕事に取り掛かった。
昼休みの昼寝から目をさますと、彼女から返信が届いていた。また機会があればご飯行きましょう、という私の社交辞令に対し、!を付けて前向きな返信をしてくれる。まぁこれもまた社交辞令であろう、と社会人8年目の私は当たり前のように解釈した。(なんだか、つまらない大人になってしまったな)


その後は特別連絡を取ることもなく、数日が過ぎた。
定時上がりのエレベーター前で、また彼女と鉢合わせた。挨拶を交わし、エレベーターに乗り込む。その日は先客がいなかったので、エレベーターの中でも会話をしながら、そのまま最寄り駅まで帰る流れとなった。
その日の帰り道、なんとなくまた彼女と飲みに行きたくなった。さすがにまた当日誘うのは気が引けたため、月末のボーナスを言い訳に飲みに行こうとお誘いをした。ずるい誘い方であったと自分でも思う。案の定断られることはなかった。
承諾を得たことに安心し、具体的な日程どころか、今回も連絡先を聞き忘れたことに別れてから気づく。同時に、月末までまだ半月以上あることにも気づく。


半月もあれば、その間にエレベーター前で出くわすものだ。
出くわした日は一緒に帰るのが定番となった。(今日は用事があるんです、なんて言われて断られたら、もう一生エレベーターすら一緒に乗らないよう階段で帰る所存であった)
その日も、私はボーナス後のご飯について改めてお誘いをし、連絡先の交換を忘れた。自分の不器用さに戸惑いを隠せない。彼女も繰り返されるお誘いに戸惑っていたであろう。
いつから私はこんなに不器用になってしまったのだろう。いや、元から恋愛関係のやり取りは得意ではない。2つ年下の仲のよい友人にも、初対面には一切抵抗がないくせに、いざ恋愛となると不器用だよね、と言われる始末だ。
だが、このお誘いが私にとって、社交辞令でないことが明確になってきたのは収穫と言っていいだろう。普段なら二度も誘うタイプではないし、誘うとしても恋愛感情がなければ何ら躊躇がない。つまり、我ながら久しぶりに異性に惹かれていたのである。


その後、エレベーター前にて会うことがないまま、ボーナスの週を迎えた。具体的な日付を決めるため私は社内メールを送った。断られた後にフロアで出くわし気まずい思いをするリスクを考慮し、有休の日にメールを送る徹底ぶりに、自分でも苦笑いせざるを得ない。
その週の空いている日をすべて提示したところ、連絡した日の翌日がよいと返信が来た。明日かよ!とニヤッとしながらPCに向かってツッコミを入れる。
会社のPCの前でこんなテンションになったのはいつぶりだろうか。(いや、初めてだろう)
ご飯の日程が決まって喜んでいる、30代独身男性のニヤッとした顔など、会社の誰にも見せたくない。心から有休をとって正解だったと思った瞬間であった。
社内メールしか連絡手段がない我々にとって、翌日までにお店を決めるのは困難であったため、詳細については特に連絡せず、当日の流れに任せることとした。今回も平日ど真ん中、お店には困らないであろう。

【0003】 「僕、もんじゃ作ったことないんですよね」


当日、いつも通り定時で仕事を終える。定時と呼ばれるその時刻は、いつもと異なり待ち合わせの時間でもある。エレベーター前という、社内恋愛であれば大胆すぎて選択肢にすら挙がらないであろう場所で集合し、夕飯に向かった。
向かう先は、金沢さんが希望した、浅草。
浅草には何度か飲みに行ったことがあるし、女性ウケが悪くないであろうお店もいくつか知っていた。
見栄を張るのもよろしくないので、浅草駅で下車後、何も知らないふりしてお気に入りのお店の多い出口から地上へ出る。なんとスマートなんだろうと自画自賛しながら、彼女に食べたいものを聞いてみる。
「もんじゃがいいです。」
おいおい、浅草のもんじゃのお店なんて知らないよ?なんなら、私は匂いが付きやすいお店にはスーツで行かない主義だよ?とわがままを言うわけにもいかないので、隠し持っていたアドバンテージを全て捨てて、もんじゃのお店を探すことにした。


もんじゃと言えば月島のイメージが強かった私は、浅草にもんじゃのお店がたくさんあるのを知らなかった。カラーバス効果の一種であろうか、もんじゃを意識して歩いたら、嫌でも候補となるお店が目に入ってくる。何店舗か覗いた後、明太子が映えた写真を理由に入るお店をチョイスした。
その日も彼女が飲むのはもちろんソフトドリンク。もんじゃにカルピスが合うらしい。あんな甘ったるいドリンク、どうしたらもんじゃに合うのかとその時はツッコミを入れてしまったが、今思えば意外と合うのかもしれない。(私も子どもの頃、マクドナルドでカルピスやファンタグレープを飲んでいたではないか)
全力でツッコミを入れていると見せかけて、私はこのとき高度の緊張感を味わっていた。彼氏彼女の関係という未来の可能性を、相手にどう意識してもらうかを考えていたからでもあるが、主な原因は、もんじゃを自分の手で作れるかという不安である。
私は普段、もんじゃに年上と行けば末っ子のように何でもやってもらい、年下と行けば先輩として堂々と出来上がりを待つようなサボり魔である。肝心なときにいままでの積み重ねが形に現れるものだと痛感した。(仕事とプライベートは、このような似通った部分がたくさんあると思う)


「僕、もんじゃ作ったことないんですよね」
女性との交際経験がない男子中学生みたいに、もんじゃについてカミングアウトした。
とはいえ、失敗は許されない。届いた1杯目のビールを片手に、作る難易度が低そうなもんじゃは何か必死に考える。だが、もんじゃを作ったことのないやつが、もちろんそんな観点から選べるわけがない。彼女との数秒ほどの討議後、この店に入った理由であった、明太子のもんじゃが選ばれた。
もんじゃの作成はさておき、彼女の表情が前回よりも柔らかかったため、私はその日も自然体でいられた。私が久しぶりに女性に惹かれたのは、自身が自然体でいられることに気づいたからかもしれない。年下の友人に恋愛が不器用だと言われる私がこんなにも落ち着いていられることが、自分に自分が恋をしているのを教えてあげるための根拠の一つとなった。
そして、この悪くない雰囲気を2人の救世主が後押しする。
1人目は私の上司である。なんと彼が来週小規模の飲み会の開催を予定しているらしいのだ。参加者は上司、金沢さん、私、+αとのこと。今なら上司に、率先して面と向かってお礼を言いたいと思った。(まぁ、来週も彼女と会う理由を作ってくれてありがとうだなんて、口が裂けても言わないけれど)
2人目は店員である。なんと、隣のテーブルでもんじゃを作っていたのだ。つまり、我々のテーブルに運ばれてくるもんじゃも調理してくれるということだ。あの時の安心感と言ったら、すでに告白にでも成功したんじゃないかと思うほどである。
ホッとした気持ちに包まれながら、店員が手際よく作るもんじゃを見つめていたあの数分間は、何回思い出しても心地よい。


2人の救世主のおかげで、重荷はなくなり、私には恋バナをできるほどの余裕が生まれた。
それは過去の恋愛遍歴だったり、好きなタイプだったり。
その時、32歳の私にもまだこんな話をすることがあるのだな、と新鮮味に酔っていたのか、生レモンサワーに酔っていたのかは定かではない。
その日も相変わらず2軒目に誘うことなく、都営浅草線まで彼女を送り届けて別れた。
またSNSの連絡先を聞くのを忘れたことに気づく。手元にあるのは緊急時に連絡するために交換した電話番号だけだ。ポジティブに、SMSが使えるようになったのを進歩と呼ぶとするか。
まぁよい。次回の上司から呼ばれるであろう飲み会の帰りに聞こう。

【0004】恋の病から救うのは、いつも仕事


あっという間に一週間が経ち、その飲み会の時が来るはずだった。
しかし、どうやら彼女のことで頭がいっぱいになってしまった私にとって、その一週間は近年稀に見るほどの長さに感じた。
30代最初の恋を実らせるためには、長い戦いが待っていると確信した瞬間である。


この一週間でよかったと思うこともあれば嫌気が差したこともある。
よかったのは、これが恋であることを改めて確認できたことだ。本気でなければ、もう会いたいなんて思わないであろう。
これまで、社内の女性と飲みに行ったことがあるが、その後のメールで送った「また飲みに行きましょう」は、毎回本物の社交辞令であった。また誘って社内恋愛に発展させるのが怖かったからでもある。
そんな私が同じフロアの女性にまた会いたいと思っているのだから、恋か否かの検証はこれ以上必要あるまい。
嫌気が差したのは、彼女との合わない価値観の詮索をしてしまったことだ。
恋愛における経験人数は多いほうがよいなんて、まったくの嘘である。片手で数えられる程度しか経験がない私でもこのように思う。
経験に基づき気になってしまった価値観を述べることはしないが、それらが今後の恋路の邪魔をしないことだけを願うばかりだ。


さて、いろいろ、という言葉で表せないほどいろいろ考えたこの一週間を支えてくれたのは仕事であった。失恋をしたときに支えてくれるのは仕事であると知っていたが、まさか恋に溺れ(かけ)ているときに支えてくれるのも貴兄であったとは。なんとも頼りになる存在である。
ありがたいことに、その一週間はいつもと比べ多くの業務に追われていた。お陰で恋愛のことを考える時間を短くできた。
原始時代の生活スタイルの影響を受けて、男性は女性よりも複数のことに並行して集中できないという。
遺伝子は恐ろしいものだ。現代はマンモス一頭の動きだけに集中しなければならない状況になんて、生涯出くわさない人のほうが圧倒的に多いだろうに。
いつもと業務量が変わらない一週間であったら、その週は恋愛がこの原始時代のマンモスに相当する存在となったのは言うまでもない。
一つのことだけに心を操られぬよう、夢中になれる対象を常に複数用意しておくことの重要性を改めて体感した。(たまには素直に恋愛を楽しんだら?とも思う)


一週間を経て、上司主催の飲み会の日が訪れた。
当日、このそわそわした気持ちからようやく開放されるという安心と、今後の展開に対する不安とに向き合いながら、私は出社した。
兎にも角にも、その日は上司もいるし、特に気を引き締めることもない。(社会人としては緊張感を持たねばならないが、そんなものは恋愛より遥かに容易である)
怪しまれるのを防ぐため、彼女と私は初対面という設定で臨むこととした。すなわち、真新しさを演じることに集中することを楽しめばよい。
案の定、上司と彼女の会話の内容はありきたりであった。私にとっては、既に知っている彼女に関する情報を必要に応じて補足する、そんな会であった。初対面であることを一生懸命に演じる彼女を放置していた私の、必要以上の落ち着きに何かを察した人がいなければと思う。
新たに生まれた課題と言えば、この恋愛が成就して、上司に関係が知られたときの対応方法ぐらいだ。悩みのほとんどは実際に起こらないというが、これもそれらに含まれるのだろうか。(そんなことより、今はもっと悩むべきことがあるだろう)


さて、この日の収穫といえば、2軒目の誘い方を覚えたことだ。
なるほど、お酒が飲めない人は、カフェに誘えばいいのである。
上司はお酒を飲めない彼女に気を遣い、何の違和感もなくカフェにエスコートした。(仕事よりプライベートにおいて尊敬したい点が多いと感じるのは、気のせいだろうか)
知った後であれば何ら困難な手段ではないのだが、これまで1軒目を出る頃にはだいたい酔っ払っている私が、そんな思考に至る頭脳を持ちあわせているはずがなかった。
こうやって私の中の恋愛マニュアルが分厚くなるのは悪くないのだが、なんだかつまらないと感じる反面もある。


新しい技術を覚えた私は、2軒目のカフェでマイペースに一人でデザートを食べていた。私がデザートを食べ終えたタイミングで、お店を出て、駅前で解散した。
彼女と私はJR、上司ともうひとりは地下鉄の改札へ向かった。
改札を通過してすぐ、なんと、彼女がLINEを聞いてくれた。
デザートで心が満たされていた私は、LINEのことなんてすっかり頭の中から消えていた。雑魚とまでは言わないが、小さな収穫たちに気を取られ、本星の存在を忘れていたようなものだ。これだから恋愛モードに不慣れな30代メンズは困る。
なにはともあれ、これでたまにSMSにて連絡する関係とはおさらばである。彼女に感謝しながら一駅山手線を共にし、その日は別れた。


彼女はどんな気持ちでLINEを聞いてくれたのだろう、と考えた。酒と甘いデザートに侵された私の頭は、ポジティブな理由しか出せないくらい機能が低下していた。
なお、後に彼女に確認したところ、LINEを聞いてくれたのは普段SMSを使わないし、有料だからとのこと。
やはり私はポジティブすぎたようだ。特に、私との連絡に課金させてしまっていたのが申し訳ないことこの上ない。

【0005】初デート(仮称)


LINEのほうが、直接話すよりも積極性が増すのは私だけだろうか。
なぜって、返信まで十分な時間が与えられているし、作成した文章を読み返して校正できるからだ。
ボーナス後のご飯に誘うのに手間取った私の影は消えていた。
いやはや、直接恋愛関係のやり取りをするのが苦手なことを、なぜこんなにも自信ありげに語れるようになってしまったのだろうか。
恥ずかしさ満載のプロセスはともかく、私は次の会う約束を勝ち取った。しかも予定日は休日である。これを初デートと言わずなんと呼べばいいのだろうか。
彼女がどう思っているかは分からないので、初デート(仮称)と呼ぶことにする。


さて、勝手に舞い上がって臨んだ初デート(仮称)は、成功だったとは言い難い。
大きな疑問を生んだまま、その日は幕を閉じた。その疑問とは、告白のタイミングである。
その日、私は何度も彼氏彼女の関係になりたいことを伝えようと思ったのだが、踏み切れなかった。
伝えるのを辞めた回数が増えるほど、どのような基準を満たしたときに告白すればよいのか分からなくなってしまっていた。


当日、彼女は総柄のワンピースを着て現れた。オフィスでは単色の服しか着ていなかったため、その時点でなんだか嬉しくなってしまった私がいた。
出掛け先は新宿御苑。あいにくの炎天下であり、駅の改札から新宿御苑の入り口までに何度も行き先をカフェに変えたくなるほどであった。
植物園といった室内を見学できるスポットを駆使し、我々は暑さを回避しながら会話を続けた。
暑さから救ってくれた植物園であったが、そこでの会話の難易度は決して低くない。日頃見もしない植物に触れながら、一体どんな話をすればよいというのか。
鮮やかな色をした花や、美味しそうな果物があればネタに困らないだろう。実際は、葉と草にしか解釈できないものがほとんどであった。
カカオの原料を見ながらチョコレートの好みや、サボテンを見ながら部屋に置きたい観葉植物の話をして植物園を抜け出した。


園内の散策をする中で、私は植物よりも人間の観察に夢中になっていた。
私の父くらいの年齢の男性と、セーラー服を着た女子高生の二人組は特に興味深かった。男性の一眼レフに、制服姿がどんどん収められていく。時にはスマホのインカメでツーショットを撮っていた。
それが親子の微笑ましいやり取りなのか、それとも、いわゆるパパ活と呼ばれるものの最中なのか、それぞれのパターンにおける彼らの心情を考え、勝手にアテレコをしていた。
あいにく、目の前の彼女を観察するほうが大事ではないか?といったご指摘は受け付けていない。何時間も 1対1で女性と会話をし続ける場合、逃げ場が欲しくなるのは、私だけであろうか。


新宿御苑散歩を終え、夕飯までの間は、駅ビルで雑貨や服を見て過ごした。
店内の服や雑貨と、総柄のワンピース姿の彼女を交互に見ながら、デート気分を満喫した。
一方で、常に彼女が楽しんでいるか気がかりであった。炎天下の日中から連れまわしてかれこれ数時間、もし楽しんでもらえていなかったら、彼女にとっては肉体的にも精神的にも望ましくない一日であろう。
共通の目指すゴールがあるか分からないことが、こうも辛いことなのかと思った。同時に、普段の仕事ではプロセスに苦労はするものの、ゴールが明確であることに感謝しなければと感じた。
相手の気持ちがはっきり分かるまで私の気持ちを伝えずにいたら、あとどれだけの期間がかかるか分からない。でも、不確定要素が多すぎる中で伝えて失敗したくない。
二つの気持ちの葛藤が続いていた。


こんなことを真剣に考えている最中とは思えないほど、その日も私はお酒を飲んで、ほろ酔いになっていた。
お店を出て夜の新宿を散歩しながら、酔いを味方に告白しようと何度思ったことか。だが一歩を踏み出せなかった。(いや、踏みとどまった、のだと思う)
別れ際の駅の改札前で話す時間が、やたらと長く感じたものだ。
同じ会社、同じフロアの後輩への告白を失敗した時のリスクを理解した上で、思いを伝えられるタイミングなんていつ来るのだろうか、と不安になりながら、改札を通る彼女を見送った。
そんな中、翌週も会う約束をした自分だけは褒めてあげたい。

【0006】リベンジマッチ


会えない時間が愛を育てる。
よく聞く言葉であるが、これは字面ほど美しい言葉ではない。
特に、付き合っていない男女の場合はなおさらだ。
来週も会える、と安心しながら新宿で彼女を見送った際には考えてもいなかったことが起きた。
彼女が風邪で倒れたのである。
次回会う予定がキャンセルになった悲しみと、彼女を炎天下に連れまわしてしまった罪悪感に襲われた。
おかげで、初デート(仮称)を待ちわびていた一週間とは真逆の気持ちで、デート後の一週間を過ごす羽目になったのは言うまでもない。
また、別に急いで彼氏彼女の関係になる必要はないのだけれど、大きな機会損失をしてしまったような気がした。


ただ、これを機に結果がどうであれ自身の気持ちを彼女に伝えたい、という思いが増したのは収穫であった。
学生時代であれば、こんなに多くのプロセスを経ずに、告白をできていたであろう。年を重ねるほど、リスクを考える際の元となる経験が多くなるのは、仕事では望ましいが、恋愛ではそうとも言えないとつくづく思う。
デートに行くはずであった次の休日は、彼女の風邪からの回復と翌週のリベンジマッチ(未定)に備え、いつもの倍速で仕事を片付けた。仕事が頭の片隅にあると恋愛に集中できないタイプなので、会う日が延期になってよかったのかもしれないと今では思う。


LINEが得意科目の私は、風邪から回復した彼女と再び会う約束をした。
リベンジマッチの舞台は築地市場。
その日も、柄の占める面積が多い服で彼女は現れた。
それを想定(期待と言ったほうが正しいかもしれない)していた私は、前回同様単色のTシャツとスラックスを身につけていた。おかげで、他人から見て、築地を歩く彼女の服の柄はさぞかし映えていたであろう。
無駄に誇らしげな気持ちでスタートしたその日も、真夏と呼べる天気であった。
暑い中で飲むビールを目的としている人間が多いのか、その日訪れた築地市場は呑兵衛で溢れていた。
今日こそ告白をしなければと思いながら、ランチからビールを飲む私。(私も築地の呑兵衛の一人に加わった)
大学時代の彼女に告白した日は、夕飯ですらお酒を飲まなかったというのに、またもや好ましくない変化を知らされる。
20代の頃より、素面で自分の心が揺れるのに耐えられなくなってしまった気がするのだ。感情を表に出すこと、またその様子を他人に見られるのが恥ずかしくなったのも、年のせいだろうか。
これから彼女を作ろうとしている人間が言うことではないのだろうが、互いの感情を日々共有しあう、笑顔が絶えない家庭を作るなら、早めの結婚を推奨したい。
私のように恋愛苦手な30代独身男性になる前に。(この生活にも魅力がたくさんあるけどね?)


ランチを食べて、神社めぐり、おやつを食べて、また歩いて、夕食。
場所が変わっただけで、初デート(仮称)のときと内容はほぼ同じである。この流れだけ見たら、立派なカップルのデートと呼べそうだ。
私は、告白するなら夕食の後だろうということで、時間の経過とともに心の準備を進めていた。
「どうして私のこと好きになったの」といった質問の回答すら考えていたくらいである。
考えずに出てくるのが真っ当なのかもしれないが、私の場合はそうもいかないのだ。

  • 読書が好きなこと

  • インドアだけど、歩くのは好きなこと

  • 甘いものが好きなこと

  • ゆっくり落ち着いた話し方をすること

  • 一緒にいて自然体でいられること

5つあれば十分だろうという自信があった。(就活の面接時における逆質問や会議での疑問点を、聞かれた時に備えて3つほど用意しておく、といった状況に似ている)
あと少しで10年目となる社会人生活の成果を無駄に活用しながら、その時を待った。

【0007】タクシー代と引き換えに得た未来


場合によっては、終電を逃し、かつ告白は振られる、そんな週末を迎えるリスクがある中、私は駅のホームで勝負に出ることになる。
心から、告白を予定している男性諸君にこれだけは言える。
「告白前の食事に、駅チカの店は使うな」と。


こんな忠告から、この段落を始めなければならなくなったのは、言うまでもなく私のせいだ。
店から出てスムーズに電車に乗れないように1軒目のお店は駅から少し離れた(と言っても徒歩5分くらいの)場所を予約した。
しかし、2軒目のお店を、1軒目と駅の間から選択してしまった。すなわち、駅チカのお店に入ってしまったのである。
お店を出た数十秒後には駅、それだけで私の作戦は丸つぶれである。さらに追い討ちをかけるように終電が迫っている。
昼のビールは抜けていたが、2軒目で飲んだ紫式部のお湯割りが身体を巡っている。彼女から2軒目に誘われたのがうれしくて、ついつい飲んでしまったのだ。(先日更新された恋愛マニュアルに従い、カフェを選んでおけばよかった)
終電間近の駅のホームに立つほろ酔い男(32)、彼が今から告白するとは誰も考えないであろう。


このピンチで引き下がらなかったのが功を奏したのか、結局告白は成就した。
告白の切り出し方といった過程を聞きたい、と思った物珍しい人がいたのなら申し訳ない。何を言ったか明確に覚えていないのである。だから、肝心なそのシーンは割愛した。


いや、そうではなくて。
告白の手前まで自由に語っておきながら、

成就した恋ほど語るに値しないものはない

森見登美彦『四畳半神話大系』

というフレーズを今さらながら痛感したのである。
それでも詳細を知りたい人がいれば、紫式部を提供しているお店で語りますのでお呼びください。


ところで、BaseBallBearは私の好きなバンドであり、彼らがリリースした曲の一つに「レモンスカッシュ感覚」がある。
ファンになりたてであった高校生の頃は、成就した瞬間の感覚をレモンスカッシュ感覚と呼ぼうと決めてから告白をしていた。告白成就という本来目的であろうものを、手段としてしまうような高校生の頃の私を、思い出すだけで心が痛い。
単に、好きなバンドであった彼らとの繋がりがほしかった、なんて言い訳では済まされない。


さて、今回の感覚をなんと呼ぼうか。
少なくとも、レモンスカッシュほどの爽やかさはない。
どちらかというと、30代最初の恋が実るまでの過程が終わってしまったのを寂しく感じるくらいだ。成就した後のほうが、悩み苦労するであろうし。
そんなことを考えながら、無事に終電を逃した私は、タクシーに乗り帰宅した。
どこか高揚した気持ちを抑えながら、運転手に冷静なふりをして道案内をした帰路を、きっと忘れることはないだろう。


兎にも角にも、総柄のワンピース姿の彼女(ガールフレンド)に、また会いたい。

(完)

【あとがき】初めて小説を書いてみて


ふとしたきっかけで、小説を書いてみた。
出来はともかく、私にとって初の小説の執筆は、2022年夏の一大イベントと言えよう。
昨夏の私は、自宅に引きこもりがちな今年の私を予想できただろうが、小説を書くためにPCに向かっていたとは思いもしていなかったに違いない。
今回の執筆は、

  • 未知の経験で、心が躍り

  • 一文一文に、頭をフル回転させられ

  • 小説を書く側に立ってみたことで、今後読む際の視座を増やせた

そんな機会であった。
(ついでに、コストがかからない引きこもり生活の手段でもあった)
デメリットと言えば、私の拗らせ具合を公開してしまったことぐらいである。


年を取れば取るほど、自身にとって新しい体験は減っていく。
知らないことを見つけるために必要なエネルギーは増えていく。
30代でこのように思うのだから、定年(65?70?)になる頃は...と考えると、それだけで疲れてしまう。
20代で使うお金と、60代で使うお金の価値が異なるという話に納得せざるを得ない。


新しいものに触れるために、小説はもってこいだと思う。
小説を読むという動作は何ら新しくなくても、作品によって、著者によって違いがあるからだ。
さらに言えば、読むよりも書くほうが、より新しいものに触れられるであろう。
書くためには想像しなければならないし、想像するためには材料を集めるための知識・経験を積まないといけない。


年を重ねても何かを書き続けていたい、と今回の小説執筆を通して思った。
昨年noteを始めて、今年の頭にwebライターとして本格的に活動を始めて、気づいたら興味本位で小説を書いてしまっている。
まえがきでご紹介した中高時代の自分は素直に肯定し難いが、今の自分は比較的好きかもしれない。
これまでの記事を公開してこなかったら、このような感情にはたどり着けなかっただろう。
「書くこと」にまた一つ感謝しなければ。


PC一台で挑戦をさせてもらえる今の環境は、本当にありがたいものである。
書く仕事・趣味を、これからも自身に刺激を与えてくれるものとし続けたい。
そして、私の書いたものが誰かの書くこと・読むことのきっかけとなったら、ライター冥利に尽きることこの上ない。

2020年8月24日
皆藤 翔

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しょう|webライター@🇺🇸
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