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夢か現実か?亡くなった父が枕元に立っていた話

今は亡き人が、目の前に出てきた経験はありますか?

私が食中毒からくる腹痛で苦しんでいた時、
夢か現実か、亡き父親が枕元に立つかのように現れた話です。

※文中には、トイレに関する言葉が多数出てきます。
お食事中の方は、ご注意下さい。

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忘れもしない、今から15年程前の4月29日。

今日からゴールデンウィーク!

お昼、たまには外食したいねって話になって、
久々に母と2人で回転寿司へ行った。

2人とも、いつも食べるお寿司は大体決まってる。
冒険はしない。

マグロやアジ、〆イワシ…。
1皿2貫のお寿司を、2人で分けて食べるのが定番。

でも季節は春。
春らしい菜の花握りや、鯛の押し鮨…。

誘惑がいっぱい流れてくる。

冒険しないはずが、つい手を伸ばしてしまう。
やっぱりお寿司は旬のものが美味しいよね。
そんな会話をしながら、食べ終えたお皿の数が増えていく。

ふと視線を上げると、目の前を貝付き生牡蠣が流れていた。

美味しそう。

でも…

何故か、数年前に1度だけ牡蠣に食あたりをしたことを思い出した。

またお腹痛くなったら嫌だな。でもあの時は居酒屋メニューで、鮮度が落ちてたような味だったから。
今日は店も違うし、凄い新鮮そうに見えるし、食べてみようか?

そういう時は、すぐに意見が合う母と私。

1人一皿ずつ、レーンから降ろす。

少し大きめの牡蠣。
紅葉おろしとポン酢をかける。
プリプリな食感がたまらなく美味しかった。

今日は牡蠣が1番美味しかったと言っても過言じゃないくらい、満足だった。

その日は美味しい物を食べて平和に終わるはずだった。

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家に帰って夜、寝ようとした時に、ふと体に違和感を感じた。

お腹が痛い…。

元々私は胃腸が弱くて腹痛が頻繁に起きるが、それほど痛みが続かないうちに治ることが多い。
ところがその日に限ってずっと痛いまま。
むしろ段々と強くなる痛み。

寝たら良くなるよね。

深刻に考えないようにして、無理矢理眠ろうとした。

しかし、お腹を突き刺すような痛みは、簡単には治らなかった。
痛みとともに、脂汗までも出てくる。

…吐きそう。
トイレに行って1度目の嘔吐。
そして、酷い下痢。

これはもしかして…牡蠣に食あたりしたのかもしれない。
そう思ったけど、今までは一度吐いてしまえばその後は具合が良くなっていた。

が、その時ばかりは、少し違った。

吐いたのに、まだ吐き気がおさまらない。
そして腹痛はどんどん酷くなっていく。

下痢の回数も更に増えていった。

これはやばいやつ!
時間はもう日付を超え、夜中の1時を回っていた。

母を起こし、具合が悪いことを一通り教えたら、
牡蠣じゃない?と一言。
でも母も同じものを食べたのに何ともなくて、私だけ。

そこで一つ思いあたることがあった。

前日は会社の大掃除の日で、ハウスダストアレルギーの私はモロに影響を受け、鼻水が凄いことになっていた。

体調が悪い時に、生牡蠣を食べてしまったので、見事に食あたりしたのかも?

その証拠に、同じ牡蠣を食べた母はピンピンしている。

そう思ったところで、後の祭り。

吐き気と腹痛が治らないので、もう救急病院へ行くしかない。
母が電話をして救急当番医に連絡をとってくれた。
そして、タクシーで病院へ。

この時、なぜ救急車を呼ばなかったのか、今でも失敗談として、たまに我が家の話題に出る。

救急車で搬送された場合、病院に着くとすぐに診てもらえるが、それ以外の交通手段で救急病院へ行った患者はもちろん順番で診察を受ける。

その間救急車で運ばれてくる患者がいると、他は後回しなる事が多く、余程の事がない限りは30分以上待つ事が多い。

私は、その30分待つのも辛い状態だった。具合が悪すぎると訴えても、待ってくださいの一点張り。

そして、たまに押し寄せてくる吐き気と便意。
口からとお尻からと、両方から一気に出てきそうな感覚。

30分くらいだったと思われる待ち時間は、2時間にも感じた。

医者の診察を受けて処置してもらったのが、確か痛み止めと腸整剤の点滴のみだったと思う。

点滴を受けながら、ひたすら腹痛に耐えていた。

なぜか全く効かない痛み止め。
もっと薬を増やして欲しいと訴えたが、これ以上増やすと命に関わります、と言われ断念。

寝ていたベッドがそんなに大きくはないので、付き添ってくれていた母が、私の足元に無理矢理座りながら寝ていた。

今思えば、あの時が人生で1番母に迷惑をかけた日だったかもしれない。そして、試練はまだまだ続く。

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診察後、吐き気と下痢は起こらなくなった気がするが、腹痛だけは治らなかった。

今まで痛いながらも我慢出来ていた腹痛が、更に威力を増し、この世の痛みとは思えない、強烈な痛みに進化した。

これぞまさに、死ぬほど痛い。

痛みの波が10分おきに襲ってくる。
痛いと思い始めたら黙って寝ていられない、体を動かして気をまぎらわせないと、我慢出来る痛みじゃない。

痛みに耐えるためにもがく。
その度に足元に座っていた母を蹴っていたらしい。

今でもたまに言われる。
あんたに何回蹴られたんだか…。
ごめんね、お母さん。

痛みの波に耐えること数十分。

どのくらい?何回痛みに耐えたのかわからないくらい時間が経った頃、ふと目を開けると、
そこには死んだはずの父が立っていた。

状況が飲み込めなかった。

お父さん、死んだよね?

あれ?私、もしかして死んだ?

なぜ父がそこにいるのかわからないけど、父のお気に入りの赤いセーターを着ていたことだけは、よく覚えている。

しかし、父は何も喋らない。深刻そうな顔をして、じっと私を見ていた。

果たして私は生きているのか?死んだのか?

意味不明な状況をうっすらと感じながら、またもや眠ったらしい。

二度目にまた、目を開けたら、今度は母が私の顔を覗き込んでいた。

あ、お母さん。さっきお父さんがいたんだよ。

一瞬固まった母。

夢見たんだよ。かなりうなされてたから。

…なるほど、夢だったか。

お父さん、心配したんだね。だから出てきたのかもね。

お父さんにまで心配をかけてしまった。

あまりに下痢を繰り返したせいで、軽い脱水症状を起こしていて、途中点滴を取り替えたらしい。

私が目覚めた時、時間は明け方5時近かった。
病院に来たのが夜中2時。
3時間経過していた。

そして、やっと全ての症状がなくなっていて、フラフラする以外は何も感じなかった。

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やっと帰宅して、そこから完全に復活するまでの1週間、水以外何も食べられないという地獄の日々を過ごした。

食べたい気持ちはあるものの、食べ物を口にするとその数分後、必ず下痢をするという悪循環。

気がつけば体重が減りすぎて、肋骨が見えるくらいげっそりしてしまっていた。

水を飲むだけでも、また下痢するんじゃない?という恐怖があって、何も口に入れたくなかった。
でも、とりあえず飲まないと死んでしまう。

そんな日々を過ごしながら、やっとおかゆを食べる事が出来た。

母が作ってくれた白がゆ。塩分はもちろん、味付けは何もない。
一口食べると、ご飯の甘味が口の中いっぱいに広がる。

ご飯ってこんなに美味しかったんだ…。

お母さんが作ってくれたから、尚更美味しいのかも。

あまりの美味しさに、涙が出た。

大袈裟に言うと、もしかしたら死んでいたかもしれない、食中毒。

父が出てきたのも、なんとなく納得したし、母を何度も蹴ったのも申し訳なかったし。

両親に迷惑をかけまくりの食中毒騒ぎ。

もう二度と、牡蠣を食べないと心に誓った。

その後、食中毒は完全に治り、見事に復活した私は、父の仏壇に手を合わせた。

お父さん、心配かけて本当にごめんね。
今まで以上に、お母さんに親孝行するね。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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