見出し画像

もう関西には戻れない、そんな気がした

 今週末、大阪出張に行ってきて、感じたことを書き留めていこうと思います。もう関西には戻れない、というよりは戻らないほうが良いかもしれないと感じました。そう感じながら、人生を軽く振り返っていました。

予想だにしなかった静岡への引っ越し

 遡ること10年。第一志望の関西の大学への受験に失敗した私は、静岡の大学に合格していました。担任の先生の勧めで、とりあえず、出願していただけの私は、受かっても行くつもりはない、浪人すると考えていました。第一志望の大学以外には興味がなく、それ以外は一切受験しておらず、いざ、浪人か静岡かの二択に迫られ、自身に伸びしろはないと考え、静岡の大学への進学を決意しました。
 話は逸れますが、静岡に受験にしに行った際、父親も付いてきてくれて、アパートの内見とか色々面倒見てくれたな、改めて感謝です。
 そんなこんなで、地元関西を離れて、静岡での生活がスタートしました。

暮らしやすい静岡

 静岡って様々な面で暮らしやすいです。温暖な気候。実は京都と静岡はほぼ同緯度。だけど、京都は夏は蒸し暑くて、冬は寒い。静岡は夏は涼しくて、冬は暖かい。人のまばらさ。静岡駅前でも大して人がいない。
 難点を挙げるとすれば、広すぎることですかね。のぞみに素通りされますし。
 静岡に住んでいるときは、迷子になりませんでした。海の方向を見れば、南だから。海には幾度となく、助けてもらいました。落ち込んだときは、日本平から清水港を眺めていました。

日本平から見た清水港。見に行くのは決まって深夜。


 海といえば、海鮮。清水と沼津には数えきれないほど、食べに行きました。沼津ではかもめ丸にいちばんお世話になったでしょうか。


沼津には海鮮丼を食べに往復150kmのドライブ。


 4年間で静岡のことが大好きになりました。静岡の人はとても心温かい人が多く、それも静岡が好きな理由の一つです。


苦手な名古屋

 あまりマイナスなことを書くべきではないので、割愛しますが、名古屋は苦手でした。大学院進学を機に、名古屋に引っ越し、名古屋に2年間住みました。


いざ、東京へと思えば、いざ、関西へ

 就職し、東京での生活がスタート。東京はあまりに人が多く、東京から離れたくなりました。当時はコロナ真っ只中、実は人はそんなに多くなかったです。満員電車でもなかったし、ショッピングモールも閉店中だったし。それでも、東京で今後、生活していくのはあまり考えられませんでした。
 それと同時に関西が懐かしく感じられました。配属面談では、地元関西で働きたい旨を伝え、関西配属が決定しました。学生の頃から、関西に帰り電車に乗るたびに、駅名に懐かしさを感じていたので、関西への憧れみたいなものは学生時代から継続して存在していたように思います。


閉塞感を感じた関西

 関西で働き始めて、はや2か月ちょっとで、体調を崩しました。散々検査はしましたが、数値上は健康体。原因不明なので、おそらく精神面からくる体調不良だと思います。体調不良から1年以上経ってから、休職しました。結局、復職するタイミンクでも、現在でも完治はしていません。
 体調不良のいちばんの原因は仕事内容と考えており、プログラミングが本当に受け付けられませんでした。今は、プロジェクトマネジメントがメインで、プログラミングはエクセルのマクロを作成するぐらい。マクロ作成でも、若干の体調の悪さを感じてしまうので、相当、プログラミングがダメです。というか、ITには本当に興味がないのです。SE不適合者です。
 ただ、仕事内容以外にも、生きづらさはあり、閉塞感を感じていたように今になって思います。市街地では全然、車は動かない。車は私にとって生き甲斐です。運転が思うようにできないもどかしさがありました。
 職場の雰囲気も体調不良の原因かと思います。嫌な人はいませんでした。ただ、関西の部署は在籍人数も多く、新人の私にかまってくれる人はいません。そんな職場の雰囲気に孤独感を感じていたのかもしれません。正直、冷酷な雰囲気だと感じていました。いざ、かかわってみるとちゃんとしている人たちが大半なのですが。
 改めて、仕事内容以外にも、関西に引っ越してきて、閉塞感をずっと感じながら、生きていたように思います。


暮らしやすい広島

 広島の部署に異動になりました。薄々、広島に異動になる予感はしていたので、驚きは特になく。広島に引っ越して、家が広くなりました。駐車場がマンションの敷地内にあります。道が混まないです、混んでても大したことないです。あと、やっぱり、人が多くない。広島に引っ越して、仕事面では関西にいたときとは比べ物にならないほど、忙しくなりましたが、私生活面では満足感が非常に高いです。
 広島の人たちも基本的に温かい傾向にあると思います。それも暮らしやすい要因の一つかと思います。


上司からの言葉

 大阪出張時、夜は懇親会に参加しました。懇親会では、関西時代の上司とたくさん話しました。今回、話した上司とは、初対面が私の復職タイミングでした。上司は今の私を見て、
 「元気そうで本当に良かった。関西にいた頃より、ずいぶん元気に見える。最初、会ったときは元気なさそうで、不安しかなかった。」と言っていました。本当にそうだと思います。関西にいたときは常にしんどかったです。逆に広島に引っ越してからは、仕事面では、高負荷の状態が続いているのにも関わらず、関西にいた頃より元気です。
 また、上司からは次のようにも言われました。
 「関西が肌に合っていなかったんだろうな。広島で次のフェーズにチャレンジしてもらえるようになって、結果的に広島に異動してもらったのは正解だったように思える。」
 後半部分はさておき、関西が肌に合っていなかったというのは、自分ではあまり自覚していませんでした。ただ、言い得て妙だと感じました。ただ、関西が肌に合っていないという事実を素直に受け止めてよいのか、そんな葛藤もあります。だって、一応、地元ですから。
 こんな会話をしたことから、もう関西には帰らないほうがよいのではないか、関西に帰ったら、またしんどい生活になってしまうのではないかと感じるようになりました。

コーヒー屋

 大阪のホテル宿泊時、モーニングに訪れたのはこちらのカフェ。


なにわ筋沿いに立地。シックな外観。


フレンチトーストのモーニング。

 スペシャルティコーヒーのお店でモーニングを注文しては、提供が少し遅いお店が多い印象を感じています。モーニングを提供するオペレーションは、昔ながらの喫茶店や、大手コーヒーチェーンに学べば、改善できるのでしょうか。
 もちろん、コーヒー、料理ともに美味しかったので、味には文句はありません。

 その後、もう一店、スペシャルティコーヒー店を訪れました。それがこちら。

 豆購入が主目的ですが、この日も暑く、アイスコーヒーを可能であれば、店内で飲んでいきたいと考え、訪れました。しかし、店内は開店直後にもかかわらず、数少ない席が埋まっていました。結果的には、豆を購入したのみで退店しました。
 モーニングで訪れたお店は席数も多く、モーニング時の座席確保は容易でしたが、アオマコーヒーさんやまた別のスペシャルティコーヒー店では朝から満席状態となっていました。やはり、都会大阪だからコーヒー店にもたくさんの人が朝から来店するのでしょうか。ひっきりなしにお客さんが訪れるのは、ビジネスとしては理想かもしれません。ただ、こういうお店では、バリスタとお客さんとのつながりが希薄になります。
 私はコーヒー屋に行く醍醐味として、バリスタとの会話が重要だと考えています。お客さんはどんな気分なのか、どんな傾向のコーヒーを飲みたいのか、そんなことを会話を通じて、バリスタは解釈し、売る豆、その場で淹れる豆の提案をする、また、淹れ方を考える。このあたりがバリスタの真の実力であり、存在価値だと考えています。
 広島で気に入って通っているコーヒー屋では、バリスタとコーヒー話をして盛り上がります。だからこそ、またこの店に豆を買いにこようと思います。もちろん、こうやって話ができるのは、あまりお客さんが来ないからです。ビジネスとしては理想形ではないかもしれないですが、コーヒー屋としては理想の姿だと私は感じています。究極的な理想像は、より多くの人に、その人に最適なコーヒーを提案し、お客さんが心やすらぐ時間を過ごせるように、コーヒーを通してお手伝いすることです。より多くの人にアプローチできないと、ビジネス的にも立ち行かなくなりますから、どうすれば可能になるのか、これからも旅の先々で、コーヒー屋を訪れて、勉強していきたいと思います。
 コーヒー屋さんの姿としても、広島のほうが私の肌に合っていますし、その点でも、もう関西には戻れないような気がしてしまいました。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?