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発達障害の味方
2024年6月23日 17:51
2024年6月19日 16:38
「なんでこいつこんなことも出来ねぇんだ?」そう思う人は周りにいるだろうか?その相手は、職場の新人、バイト先の教え子、あるいは自分の息子かもしれないし、家事能力がなさすぎる旦那かもしれない。いずれにせよ、仕事力がない原因は本人にも教える側にも言語化できないものがあり解決しにくい事が多々ある。仕事が極度に苦手な人間が困っている事が感じている苦労を言語化したら少しはわかってもらえるだろう
2024年6月19日 16:24
私、落ちこぼれなの?
2024年6月19日 16:18
知的能力には支障がないと言われる障害だが、ここまで記憶力がないとなると受験勉強に関してはとても苦労をした。そこで、団飛ばしではなく一つ一つ思考のプロセスを説明してくれるような講義を受講した。色ペンを使って、文を構造的に読み解いていった。こうしなければ、さっきまで、何をしていたのか忘れる気がする。自分の中に決まったルール、決まったイメージを作り(副詞は〈〉で囲むなどルールを決めて文の構造
2024年6月19日 16:08
2024年6月19日 12:55
思ばいつだって私は傍観者だった。友達が部活に入って仲間割れしたり、涙を流したり、青春したりしても自分は何も参戦せず、傍観者だった。苦労も楽しさも感動もない。高校時代友人たちが何やかんや男子と遊んだりしてもそんなの恥ずかしいと傍観して当事者になりたがらなかった。恋バナの渦中にもいたくもなかった。学校の委員会なんかもくだらなく思たし、集団でやる何もかもがくだらなく興味が湧かなかった。
2024年6月12日 15:26
私は不注意障害という言葉から世間の人が長年理解しなかった原因があるのではないかと思っている。不注意という言葉は、たるんでいるというイメージを彷彿させるのだと思う。しかし、ADHDの人は生活に支障をきたさないように必死すぎて、真面目にならざる負えない人もいる。私も真面目過ぎる生活だった。時間が守れないといけないので、友人と遊ぶこともないし、人と出かけるときは体調が万全な日しかえらばな
2024年6月12日 15:13
私は価値の低い、大切に扱われなくて当然の人間なんだ。これは被害妄想とかではなくて実際にそうだった。周りが動き回る中、ただ何もせず、ぼーっと傍観しているだけのまま何年も経っていくのがわかった。そんな事を相談したって「そんな事ないよー何言ってるのよー」と言われて終わるだけで、親は何も見えてなかった。私がただ止まっている事も周りが動いている事も親からちぁんと注意してないからーと言われ
2024年6月12日 14:21
学校は刑務所だと感じていた私が、不登校にはなりたくなかったのには理由がある。発達障害傾向が生活に支障をきたしているレベルの人は、学校生活も会社生活も好奇の目に晒され苦痛を伴うものになってしまうだろう。私自身も自尊心はズタボロになったし、自分が輝ける場所ではないとことに長時間拘束されている生活は刑務所のように感じていた。学校には行きたくない。しかし、当時不登校には絶対になりたくなかった。
2024年6月9日 21:30
TMSの効果をまだかまだかと待っていた頃にはきがつかなかったが、ふと気づくと「普通」に過ごせていると感じる事が多々あるのだ。そういえば、物語のように、語りたい事が頭に浮かんでいくのをメモに走らせるという事がなくなった。前は重い浮かんで仕方がなかったのに。これが発想が浮かばなくなったという事なのだろうか。前まではやるべき事が目の前にあっても、他のアイデア(例えば小説のストーリーや服のデ
2024年6月9日 19:56
私の脳は飛蚊症に侵されていていつか気が狂う日が来るのではないか。子供の頃からそんな恐怖心に見舞われる事があった。時間にも場所にも構わず、私の頭にはめちゃくちゃにアイデアがさく裂して、爆発が起きていた。ピアノのレッスン中でも、朝礼中でも、家でトイレにいるときでも、お風呂にはいっている時は、その脳内と格闘し、永遠と一人で脳内の誰かと議論を戦わせていた。いつだっている場所、やっている事は
2024年6月9日 19:44
2024年6月8日 21:14
子供の時はどこへ行ってもいじめられたり、段差のない所で転んでばかりの心が傷だらけの私だったけれど、それを克服したくて真剣に成長しようとしていた。私はなぜ事あるごとにトラブルになるのかと小学校の頃はよく分析していた。何がいけないのかわからないまま、時間の経過とともに卒業して人生が年齢だけ更新されていくけれど、そうはいかない時期がやってきた。大学受験だ。はじめて自力で突破しないといけな