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夏休みの思い出

幼いころから両親は共稼ぎで、小学校に入学と同時に鍵っ子になった。
学校から帰ってきても誰もいない。
姉が一人いるけど7歳も離れているから、私が小学1年生の時はすでに中学1年生で、部活とかで帰りが遅い。
近所の友だちと遊んだりもしたのだろうけど、記憶にあまり残っていない。
多分、学校の図書室から借りて帰った本を読んだり宿題をしたりしながら母の帰りを待っていたんだと思う。
学校がある時期は留守番の時間が短いからそれでも良かっただろうけど、夏休みとか長期の休みに入るとそうはいかなくなる。

そこで島根県の海辺の町にある母の実家に、毎年夏休みになると預けられていた。
母の実家には祖母が一人暮らし。当時1匹の犬が番犬として飼われていた。

年齢も近い従弟たちも夏休みになると預けられるので、祖母は一人で寮母のように孫たちの世話をしてくれていた。
朝は近所の空き地で地元の子どもたちに混じってラジオ体操をした。
そして朝食の後は、祖母の監視のもと夏休みの宿題を午前10時までする。
宿題をする部屋の窓からは、徒歩2分でたどり着く日本海が見えていた。
波が穏やかだと祖母の許しがでて、みんな水着に着替え水中眼鏡と浮き輪を持って走って海岸までまっしぐら。
祖母が海岸まで「お昼よ~」と呼びに来てくれるまで無心で遊んだ。
その頃はまだハマグリが取れたり、岩場にはサザエやアワビも取れた。
祖母の家に戻ると薪で焚いたお風呂にレディファーストで入る。
日焼けした肌が痛くて水で行水するのがやっと。
お昼ご飯は祖母手作りのきな粉にまぶしたお団子だったり、素麵だったり簡単なもの。デザートは祖母が畑で育てたスイカや瓜で、縁側で従弟たちと並んで食べた。
食べ終わると強制的にお昼寝タイム。
夜は花火をしたり、山につながる道沿いの街灯に集まるカブトムシとかクワガタムシを捕まえに行ったりと、楽しみがいっぱいで退屈しなかった。
お盆になると両親も帰省してくるので、両親のお盆休みが終わると一緒に自宅へ帰るのだが、従弟たちと別れるのが辛くて、毎年泣いて別れを惜しんでいたのを覚えている。

今だったら小学生の子どもたちだけで海水浴なんて考えられないだろうし、大人の引率者がいないのに、子どもたちだけで夜に山へ虫取りに行かせたりしたら非難の的になることだろう。
時代といえばそれまでだけど、心底楽しかった夏休みだった。
毎日が冒険で、遊び疲れて毎晩蚊帳の中でぐっすり眠った。

我が子にも同じような経験をさせたくて、子どもたちが幼い頃は友だち親子とキャンプに出掛けたりもしたけど、大人のいない子どもたちだけの冒険はリスクが怖くてさせてあげられなかった。

海水浴に行ったってハマグリやサザエは取れないだろうし、カブトムシやクワガタムシだって、ホームセンターで結構な値段で売れる時代だ。
オオクワガタは絶滅危惧II類に指定されているほど、自然の中では滅多に出会えない虫になっている。

これが次世代、その次の世代の子どもたちになるとどんな夏休みを過ごすのだろう?
私のような夏休みを過ごす子どもたちは、絶滅危惧どころか絶滅しているのではないだろうか。
そう考えると、私は案外幸せな子供時代を過ごしていたのかも知れないな。




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