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晩酌の流儀(#シロクマ文芸部)

 金色に輝くグラスタンブラーを手に入れた。
 日頃は家飲みをする方ではないが、匠が手掛けた逸品を手に入れたのだ。
 これはバッカス神に献杯をしなければなるまい。
「まずは日本酒にしますか?」
 妻がふざけた口振りでいつも晩酌を促す。
「そうだな、では獺祭をいただこうか」
 獺祭とは山口県の銘酒だ。主原料は山田錦。アルコール度数は16%と程よく楽しませてくれそうだ。
 最近では海外での日本酒ブームの煽りを受けすっかり高級酒になってしまった。
 ひと口飲んでみる。なめらかな口当たりとフルーティーな香りがいっぱいに広がり鼻孔にまで抜けてくる。雑味が全くなく透明感が潔い。
 妻が作ったカレイの煮つけの塩味とのバランスも絶妙だ。
「やっぱり最初は軽めのお酒が良かったんじゃないですか?」
 これもお決まりの妻のセリフだ。
 隣でお酌をする妻も「お相伴に預かりますね」と頬を少し赤く染めていた。
 思えば長い付き合いだった。30年以上前になるのか。
 
 俺は当時ギターリストを目指す大学生で、淀川の河川敷でひとりで練習をしていた。壁の薄い安アパートでは迷惑になってしまう。
 スタジオで仲間と練習した後は、決まって河川敷で自主練をしていた。
 妻の陽子はその時高校生で、ダンサーを夢見てダンススクールの帰りに、河川敷で菓子パンを食べて火照った体を冷ましていたのだそうだ。
 ギターでジャズを弾き出すと、陽子がアドリブでステップを踏んでリズムを刻んでいることに途中から気が付いた。
 何曲弾いたかな、思い切って声を掛けた。
 そのあとは成り行き任せ。言葉は必要なかった。俺のギターと陽子のダンスで、呼吸が合って血が通い合う快感を味わっていた。
 陽子はダンスで、俺はギターで成り上がりを夢見たが、俺の安アパートとは違って壁は厚かった。
 二人とも見事に夢破れ、俺はギターリストになれずしがないサラリーマン。陽子もダンサーを諦め、二人の息子の母になった。

「日本酒なのだから、バッカス神は変じゃない?」
「日本にも酒の神様がいるのか?」
「いるんじゃない? 日本は八百万の神様がいるんですもの」
「そうか、それじゃその神様にも酒を捧げようか」
 この会話をしたのは2年前だ。もう2年も経ったのか。

 若い頃は仲間と闇雲にコップ酒を交わしていたが、もうそんな無茶はやめだ。
 我が家でうまい酒と肴と、陽子のお酌でじっくり味わう晩酌が良い。
 思い出話には事欠かない、なんといっても30年分の二人の記憶がある。
 そう決めたばかりだったのに。
「なあ、陽子。そこからの眺めはどうだ?」
 君はいつも微笑んでこちらを見ている。
 愚痴をこぼしても、弱気な泣きことを言っても表情も変えず、キラキラした瞳で慰めてくれる。
「たまには付き合えよ、匠が作った逸品だぞ。バッカス神の次に君とも乾杯しよう」
 金色に輝くグラスに酒を注ぎ、遺影の前に置いた。
 
 俺たちの軌跡に乾杯! 
 


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