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うつ病と向き合い、立ち止まる事

うつ病になって3年が経つのかな。実際、心に異常を感じるようになったのは3年よりもっと早いような気がする。目眩や動悸、不眠に苦しめられて本当に辛かった。最初の症状は、ただの疲れだって自分の中で処理していたけど、夜眠れなくなった事がきっかけで内科へ受診しパニック障害と診断された。
その時まで、パニック障害なんて病名すら何なのか知らない私は、必死で病状を調べてた。
悪化すればうつ病とあって、まさか私がなるわけない…と軽い気持ちで働いていた。
段々と内科の薬も効かなくなってきて、不眠が悪化して、人生初の精神科へ受診。凄く勇気を出して精神科へ向かったのを覚えている。
そこで、泣きながら経緯を話して、うつ病だと診断。先生から、「もっと早く来てくれれば良かったのに」と言われて、後悔しかしなかった。


何となく、自分の身体の不調サインには気付いてはいたものの、仕事は休めない、休んだら周りからよく休む人だって思われる、そんな周りの目を怖がって休む事が出来なかった。
だけど、心と身体は繋がっているから無理だなって感じると身体も動くわけない。そんな無理な状態を毎日続けながら仕事をしていたのが良くなかった原因の一つでもあると思う。


あの頃は、自分の好きな物や趣味の為にお金を稼ぎ、幸せの為にはとにかく働く事が人生だと思っていた。働く事は生きること。それは間違いない。
働く事が出来て、自分という存在価値も上がり、自分という人間を育てられる。他者との関わりがあるからこそ、人は日々成長出来る。
だけど、仕事は出来ても自分の心の土台が安定していない事を気付かないでいると、将来の自分に大きく影響するし、ブレーキをかけながら前に進んでいるのと同じだという事を過去の自分の経験を得て学んだ。


ただ、辛いのを我慢して一瞬一瞬乗り越える事だけを頑張って、夜も寝ないで仕事に行っていた自分。それじゃあ当たり前に体調崩すよなぁと、振り返る度にダメだった自分にムチを打ちたくなる。


頑張る事自体は凄く素晴らしい事だし、人の為に動く事も自分の自信に大きく繋がる事だと思うけど、他人の為に自分を犠牲にするのは違うな、と今だから思える。
振り返れば、人に認められたい欲求や他人との比較で落ち込む毎に、自分はまだまだだと追い詰めていた日々だった。さらに、自分で決めた幸せルールの中の在り方や価値観に縛られて、動きたくても思うように動けなくなってしまった自分に対しての自己否定感を更に上乗せしてしまった。


どんな時でも必ず限界は来る。
そんな時に、立ち止まる勇気があるのと無いのとでは、心の負担の差が違ってくる。
辛いと思う事は、それだけ自分が頑張って来た証だし、人の為に精一杯努力した何よりの証拠で自分は何も悪くない。
欠けてる所なんて何もない。自分がそれだけ周りに気を配れたり、会社に貢献しようとした行動の積み重ねなんだ。
自分を責めず、自分の努力の証なんだと前向きに捉えていく事が大切だと思った。

そう気づけた今は、もう誰にどう思われようと構わないし、他人の評価なんて少しも当てにならないという事に気づけた。
他人の決めた価値基準で自分の価値基準を決めるのは、自分の人生を他人の人生に委ねているのと同じ。
もっと自分の意見や行動に自信を持てれば、他人重視な思考から抜け出せると思う。
あくまで、他人からの評価や批判は、「参考資料」と捉えて、次なる目標に向かう為の原動力に繋げていければいいんじゃないかと思う。
人からどう思われるかが怖くて、一歩が踏み出せなかったりする事は誰にでもあると思うけど、他人が決めるんじゃない、自分が決める。
自分だけの自由な人生だから。

病気になった今だからこそ、自分にはない価値観や物事の捉え方、肯定的な思考から学んだ事も多く、自分の認知の歪みに気づけて、徐々にだけど前向きな自分になれている。
こうなるまでの道のりは本当に辛くて苦しかったけど、その繰り返しが逆に自分のネガティブ思考の癖に気づく事ができたんだと思う。
辛い思考の元を沢山ノートに書き出したり、自分の心の中を整理する事で、少しづつ自分の思考癖を受け容れつつ、ポジティブな言葉へと変換できた。



立ち止まるという事自体に最初は間違っているのかな…と不安でいっぱいだった。
過去の行動をほじくり回して罪悪感でいっぱいだった毎日だったけど、今の自分は昔の自分にはなかった思考が身についたせいか、「むしろ良かった」と素直に受け容れる事ができる。
今の自分を大切にする事は、未来の自分を幸せにするという事。
自分に素直で居られなかった時は、自分で自分を苦しめていた事にも気づきかなかったから、どんどん負のループへ墜ちていったけど、それは本当に大切な事が何なのか気付いていなかっただけだったんだと思っている。

自分に素直な人は、人にも信頼されると思う。
昔の自分が素直になれなかった事もあったから、無理をして自信がない仕事を人の視線に耐えながらやっていたから、はっきり言える人に憧れていた。

出来ない事は「出来ない」とキッパリ言えた方が潔良いし「この人には無理」と判断基準になるから他人からの負荷な扱いからも解放される。
他人からの承認欲求を捨てて、広々と、しなやかな心を養っていけるよう、私も日々研究していこうと思う。笑

まだまだ復職まで時間をもらった今、あらゆる自己啓発本を読み勉強しています。
人には色んな価値観がありますが、ポジティブ思考というのは、本当に広い心じゃないと浮かび上がらないものなんだなと、つくづく自分の心の狭さをしみじみ痛感しました。
自分の心の有り様によっては生活する習慣にまで変化があるんだなと知りました。

最近、「ツレがうつになりまして」という映画を見ました。
これは、本当に泣きました。
うつ病というのは、家族や他人にあまり心の悩みを言えない中で、孤独感と喪失感の中必死に生きているという悩み、その辛い気持ちを分かって貰えず、家族には急かされ、他人には「頑張れ」と言われ、周りからのプレッシャーを浴びながら本来の自分ではなくなってしまった自分の苦痛を受け容れていかなければならない、うつ病になった人にしかわからない苦しみが描かれていて、涙が止まらなかった。
うつ病は、治りがけが一番気をつけなきゃいけないって言葉もあったけど、本当にそうだなと思った。
うつ病は焦ってしまう事が一番良くなくて、家族や周りからの言葉に本当に左右されてしまう。
だから、良くなってきた頃に、周りから「いつ働くの?」とか言われたり、「しっかりしなきゃね」と癇に障るような事を言われてしまい、自分の将来に不安と焦りで混乱してしまう事になりがち。
私自身がそうだから、すごく共感出来たこともあって、涙で前が見えなかった。
皆様も、一度観てみたらきっと共感できる部分沢山あると思います。
うつ病は、心の風邪っていう表現があったけど、本当に誰にでもなりうる病気だという事を知り、少しだけ安心した。自分だけが弱い生き物じゃないんだって思ったし、休職のせいで家族からの言葉や周りの反応もいちいち気に触るようになって、なんで分かってくれないの?って家族にすら敵意識でいる自分がいつも嫌だった。
この世の終わりが来て、地球もろとも消えてしまえばいいとすら思う事も少なくなかった。

この映画に出会えて、ほんのちょっとした心の傷が少しだけいつもより癒された気分だった。
何より姉と一緒に観れた事で、姉に、少しはうつ病という本当の苦しさを知って貰えるきっかけになって良かったと思う。
うつ病って、辛さを言葉で表現するの難しい…
苦しさの裏に更にまた別の苦しさがある、みたいな。本当に、うつ病じゃない健全な人にも知って貰いたい病気だなって改めて思う。

最後まで読んで頂きありがとうございました。
最近、寒くなりすぎて運動する事が億劫になって来た気がしますが、サボってもいいのです。
自分の判断で、自分に優しくあることが、自分を大切にしている事に繋がっていると思うから。

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