終わり、新たに生まれる時
雪の降り始めるところもポツポツ、
夜の冷え込みが増し増しになり
湯たんぽが手放せなくなってきた
絵本作家のまつしたゆうりです。
12月22日から二十四節気の冬至!
「冬に至る」と書くとおり
1年で1番、昼の長さが短く
夜の長さの長い日。
言い換えると
「ここからまた昼の方が長くなり始める」ので
「一陽来復」の日、古くは新しい1年の始まりの日とも
されていた特別な日です。
七十二候でも、初候は乃東生(なつかれくさ しょうず)、
26日からの次候は麋角解(びかく げす)、
31日の末候は雪下出麦(ゆきわりて むぎ のびる)
と、ここから「新しい始まり」のような印が
続いていくのも、増す寒さと反比例するように
新たな「春」に向かっていく気配を感じて
ふふふっと嬉しくなります。
冬至のあれこれ
陰が過多の時期なので
陽のものを摂ってバランスを取りたいところ。
冬至には、カボチャと小豆を一緒に煮た
「カボチャのいとこ煮」を食べるといい、や
柚子湯に入るといい、など
ちょっとしたイベント感があるのも嬉しいところ。
カボチャは、ブランデーで甘く香り高く煮たり、
スライスしてオリーブオイルで焼いたり、
米粉のクッキーやケーキにしたりも!
コトコト煮た小豆はお善哉っぽくしたり、
焼いたお餅に挟んで食べるのも好きだったりします*
皆さんはどんなカボチャや小豆料理を
楽しまれていますか?
冬至の歌
ちょうど冬至の朝の空の景色を詠んだ
壮大な雰囲気の万葉集のお歌があります。
私の敬愛する柿本人麻呂様こと
“ヒトサマ”作のお歌がこちら!
一度は耳にしたことがあると思うこのお歌。
声に出して読んだときの
音のカッコよさもさることながら、
原文も
と、視覚的にも「東」と「西」、
「炎(太陽)」と「月」の対比が鮮やかで
一面の野原から見える景色の広さを感じさせてくれます。
これは宮廷歌人のヒトサマがお仕事で、
軽皇子に付いて奈良の安騎野へ行き詠んだ歌。
ものすごーく簡単にいうと、
亡くなった軽皇子のお父様の御霊が「沈みゆく月」、
「東のかぎろひ」=「新しい太陽」が
今から即位する軽皇子のことを表している、
言祝ぎのお歌だと言われています。
冬至の日は、新しい1年の始まりでもある日。
古い力が消えゆき、新しい命が生まれる、
そんな日に詠むことで、特別な意味が加わったようです。
この日はちょうど満月を少し過ぎた頃。
太陽と月が真逆にあるこの時だからこそ、
昇る陽に押されるように
月が沈んでいくのが見えるのも
陰陽の対比のようで面白いですよね!
心も満ち欠け
同じ場所に居ることで
重なり、共感し、生まれるものがありますが、
絶対に交わらない、真向かいに居るからこそ
気付き、発見し、生まれるものもあるなと、
自分とは全く違うものを持つ人と出会うたびに
年々、強く感じています。
全く違う人との交わりは、
時には驚き、拒絶し、受け止めきれない摩擦に
磨り減ったり、腹を立ててしまったり、
涙を流したり…
深く関われば関わるほど、
必ずしもプラスだけでは納まりきらない
衝撃が加わってきます。
けれど、必ずしもマイナスだけということはなく
それで得る気付きは、ぶつからないと
得られないものだったりもするなと思うのです。
失うことで、やっと知れるものもある。
それは決して、目に見えるマイナスだけでは
はかれないものがある。
同じ位置に居たらずっと欠けたままだったところも、
少し離れて、角度を変えるだけで
見えてくる景色が変わり、自分の形も変わり、
まるく輝くことができる。
まるで自分の心の在りようのようだなあと、
今夜も昇る月を見ながら、重なるように感じます。
太陽と同じ場所に在るときに新月となり、
太陽と真向かいに在るときに満月となる。
人の心も、そんな風に
いろんな人といろんな角度を取りながら
欠けたり、満ちたりを繰り返しているのかもですよね。
新しい年まであと少し。
心がまるく在れるよう、
自分の夜空で輝けるよう、
ゆるゆる楽しく動いてゆけますよう*
よいお年を!
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