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「気づいたら越境してた」ー隠岐ならではの学びの価値とは? 【中学生の島留学ふりかえりトーク】

9/14(土)〜9/16(月)の2泊3日、全国からあつまった16人の中学生と、隠岐を訪れていた東京学芸大学の学生さんとともにつくった『中学生の島留学〜中学生夢ゼミ@島前』スタッフ5名がプログラムを振り返りながら、隠岐での学びとその価値について話してみました。(2024/9/19収録)


参加した中学生にとっての価値


竹内:
中学生が帰って3日が経ちますけど、参加した中学生にとって中学生の島留学はどんな時間だったと感じていますか?

うらら:
印象深かったのは、来島前にすごく緊張して母親に「もう行きたくない」って相談していた子が、帰ったあとに「生きててよかった」って言ってくれたことかな。

澤:
「生きててよかった」ってすごいね

うらら:
アンケートにも「あの小さな島には面白い人やモノばっかり集まっていて、そういう人やモノがまた新しい面白いモノを連れてくるっていう素敵な循環があると思った。 自分も将来は、隠岐の人みたいなおもしろいことをする愉快な大人になりたい。」って書いてた。

ほっしー:
「愉快な大人になりたい」ってめっちゃいいですね。私もなりたい。

竹内:
2日目の車の中で、15分以上ずっとハイテンションでラップやってたり、3日間で中学生がどんどん解放されていったのがすごかったよね。

あとは、小学生でもなく、高校生でもない、中学生ならではのプログラムだと思った。

澤:
具体的に言うとどういうことですか?

竹内:
3月にアーバン探究というプログラムで、島の中学生と一緒に1週間東京に行った時にも感じたんです。最初はすごい緊張している中学生が3日目くらいからだんだんテンションが上がって、素が出てくる。今回は島外の子が島に来るという違いはあったけど、同じだなと思ったんです。新しい環境と新しい関係性の中で、普段と違う自分が出てくる感じ。

新しい自分を獲得するというよりは、元々あったんだけど、普段出せてなかったものが表出してくる…みたいな変化は、社会性を身につけ始める時期でもある中学生ならではと感じました。

うらら:
西ノ島で過ごしたチームが「いかあや(西ノ島の図書館)に行って、ボードゲームをしたい」と言ったときに、チームに入っていた学芸大生が「せっかく隠岐に来たのにボードゲームなの?」と思って、どう関わろうか悩んだというのも印象に残っている。

知らない土地を歩きながら楽しさに出会えるかわからない不安がある中で、絶対に楽しいとわかっているボードゲーム。でも、本当は外に出てみたい気持ちもある。けどちょっと怖い…みたいなところを、学芸大生がうまくほぐしてくれた。外に出てみたら楽しかったっていうのを感じさせてくれたなと思いました。

澤:
何かに迷ったときって、安心できる場に戻ることもできるし、そこから抜け出して新しい発見や出会いにたどり着くこともできる。その2つを揺れ動く瞬間が2泊3日の中にたくさんあった。
今回は比較的多くの子たちが、抜け出る瞬間を持つことができて、それが満足度や、感想の多様性につながっていたと思う。中学生がどの瞬間にどう抜け出て、それがどう他の人に伝播していったのか。僕らの意図はどこまで影響していて、どこが偶然だったのか。冷静に振り返ってみたいなあ。

竹内:
さっきの話で。西ノ島のチームが「これからどうする?」と迷ったとき、安心感に戻るのか、非日常に一歩踏み出すのかという葛藤が起きていたんだと思う。でも、迷ったら新しい方に踏み込むんだよって言い過ぎちゃうと、なんかちょっと面白さに欠ける感覚がある。プログラムをデザインするか、し過ぎないか。難しいけど、面白い。

澤:
そうそう。一人ひとりが自力でそっち側(一歩踏み込む)に行ってみたくなるように、どうデザインするか。環境やプログラムは、企画側が意図と願いを持ってデザインするけれど、どのタイミングでどの子からそうなっていくかはコントロールしない。

竹内:
そうですよね。今回のプログラムで自分は『参加者に迷子になって欲しい』と期待していたことに気づいた。だから、あまんぼうハウスに集合する時に、半分くらいのグループが時間までに辿り着かなかったときに嬉しかったんですよね。

集合時間に間に合わなかったけれど楽しそうに戻ってきた中学生たち

迷子ってアクシデントなんだけど、意図せず自分の想像を超えた未知の領域に行ってしまうっていうことでもある。「意図する・意図しないにかかわらず中学生が一歩踏み出す機会があるといいな」という想いが、迷子になって欲しいという願いにつながった気がしている。

「何グループくらいが迷子になって欲しい」と意図して設計したわけではないけれど、結果としてイメージしていたくらいのグループが、ちゃんと集合時間に遅れてきたのがすごい嬉しかった(笑)

意志がある・ないは関係なく、2泊3日で「気がついたらこんなところまで越境しちゃってました」ということを中学生が感じられるかどうかを、我々は大事にしてたんだろうなと思いました。

仲間の越境が伝播していく


澤:
最初は緊張していたり、元々持っている自己イメージがあったりして、日常の自分から飛び出すことに躊躇する状態だったと思う。徐々に友達が増えたり「この場所なら出せるかも」と自分に許可することが増えたりして、一人ひとりが少しずつ動き始める。

動き始めた子を横目で見ながら「自分もうずうずしてきたぞ」となりつつ、でもまだ「自分はそっち側に行けるのか」「行って大丈夫なのか?」みたいな葛藤もある。でも、少しずつやってみる。すると、そういう自分を喜んでいる自分にも気づく。そういうプロセスを経て、最終的には車の中でラップで大盛り上がりになる(笑)

竹内:
中学生一人ひとりの踏み込みと変容がいろいろな形で他の子に伝播していく様子は、見ていて面白かったですよね。

BBQで積極的な女子に「こっちに来て」って呼ばれて席を移動してみる男子がいたり。きっかけは迷子になったことや、ほかの子に誘われたことだったとしても、最終的に自分の枠を超えたところに行ってみて、やってみたら思ったより全然大丈夫だったという経験が大事なのかもしれない。

女子に呼ばれたり、大学生のテーブルに行ったり、
BBQでもさまざまな越境が起きていました

うらら:
最終日の朝に、私が外でボーっとしながら朝ご飯を食べていたら、中学生3人が「牛の声がする!!行ってみよう!!」って、牛の声を頼りに歩き始めたんですよね。

澤:
もう立派な冒険家だよね。

うらら:
2日目の朝は「今からなにするの?」と受け身な姿勢を感じる場面が多かったのが、3日目にして、100%自分たちの意志で進んでいってたのが印象的でした。

初日と関係づくり


ほっしー:
プログラムとしては、2日目の午前中がポイントになったと感じてます。初日、周りを気にし過ぎている中学生の様子を見て「個にもどる時間」「隠岐という場所にチェックインする時間」を作りたくて、予定していたプログラムを変えたんですよね。少し落ち着いて自分と自然、周りの環境に意識を向けて、スイッチを入れる時間になったんじゃないかなって。

それを後押ししてくれたのが、学芸大生。茂みに入っていったり、立ち止まったりしながら、自分の興味に素直に過ごすお手本を見せてくれたことによって「そうやってもいいんだ」と中学生にも自分のリズムで行動する許可が生まれたと思った。

2日目は学芸大生と金光寺でとっておきの◯◯さがし

逆に初日は結構固かった。夜に人狼ゲームをしてほぐれたというのはあるけど、 1日目に「ほぐす」とか「関係性を作る」ことにもう少し時間を費やしてもよかったのかなと思いました。

澤:
僕らが、ほぐすことをどこまでちゃんとデザインするのがいいのか。緊張したまま1日目が終わることも承知で、その時間を中学生にゆだねるのか。「デザインする」と「ゆだねる」の間をどうつくるかということについて、ほっしーはどう思う?

ほっしー:
夜、部屋に戻ってからが割とほぐれたから、もっと中学生にゆだねて、スタッフが見ていない余白の時間を増やしたらよかったかなって思います。

澤:
それ面白いね。もうちょっとほぐれた方が良かったけど、プログラムの中で意図的にやるというよりは、そうなるような時間とか空間とか、余白を意識的に取りながら、中学生が自分たちで関係性を作っていけるようなデザインがいいんじゃないかと。

ほっしー:
今回の中学生に関しては、自分たちで関係性がつくれる子たちだったなと思います。しぜんむらに着いた瞬間に、勝手に輪になって自己紹介してたぐらいだから。逆にもうちょっと余白を与えてあげたら、自分たちでより安心な状況をつくって2日目に入れたかもしれない。

初日の夜はまだ緊張気味

ひなた:
僕は、ある程度のデザインをしないと深めることは難しいと思ってる。中学生だけで自己紹介して関係性づくりするのは、どうしても浅くなりそうな感じがする。

時間をかけて一緒にご飯食べたり、ゲームしたりしながら関係性がつくられていくと思うんですけど、深くやるためには仕掛けは欲しいなって思ってます。

うらら:
中学生が勝手に自己紹介していたけれど、スタッフもそこに入れば、参加した理由なんかを紹介し合いながら、お互いをちょっと深く知るみたいな時間にはできたかも。

とはいえ全国から集まって、初めましての人と初めての場所で「この人誰なんだろう?」というソワソワ感が起きることは自然なことだとも思うし、どっちがよかったのかはわからないけど。

自発的に生まれた自己紹介

竹内:
ひなたが言っている「もうちょっと深く」っていうのは、どういう状態をイメージしているのか聴いておきたいな。

ひなた:
せっかく全国から集まってくるから、もう少し自分の内面についても話しながら、深い関係性をつくって欲しいと思っているのかなあ。

澤:
学芸大の小西先生も言っていたね。「あなたは今隠岐に来て、普段と違う場所にいて、違う振る舞いを期待されてるんだよ」ということを、最初にみんなで共有する時間を取ったりすることはできるよね。

「ここは隠岐です。だから普段だったらすぐスマホを見ちゃったりするかもしれないけど、ここでは違うんですよ。隠岐のお作法というか、こういう動きをぜひしてほしくて、そうした方が隠岐っていう場所を一緒に味わえるから、それを体験したいんだよね。」みたいな前置きはできたかもしれない。

島にチェックインする


竹内:
そういう話を聞くと、隠岐という場所に来ること、隠岐で学ぶということについてもう少し考えてみたいですね。企画段階から澤さんが投げかけてくれた「隠岐(場所)へのチェックイン」をもう少し言語化したいな。

うらら:
私は今回の企画のコンセプトにもなっている「今ここ」という感覚が整うことかな、と思った。今の自分が感じていることを自覚するとか、周りにあるものに興味を持ったり、没頭したりすること。

澤:
本当にそうだよね。

ほっしー:
中学生の意識を島に向けさせるってすごい難しいと感じた。中学生って話し始めると周りを見ないんですよね。バスの中でも金光寺山を登っている時もすごく楽しそうなんだけど、多分景色は目に入ってない。

バスの中はいい雰囲気だったんでそっとしておいたんですけど、島なのに田んぼがあるとか、島らしい地形のこととかそういう話をしたら「あ、田んぼじゃん!」ってなると思うし「あ、隠岐ってこういう島なんだ」って、中学生の視点や興味がちょっと変わったかもしれない。

初日はバスで宿泊場所へ

うらら:
2日目の午前中にスタッフから島の紹介をする予定だったんですけど、朝、金光寺を歩いてノートを書いている中学生を見て、紹介することを手放したんですよね。「島前にはこんなものがある」と紹介するより、一人ひとりが「島前って面白そう」とか「これからの時間をどう過ごそう」という感覚を持ってほしいという願いがあったので。

私としては1日目じゃなくて、2日目の朝に島にチェックインするのでよかったんじゃないかなと思います。

ひなた:
僕は島へのチェックインって、これをしたからチェックインというのではなくて、なんか緩やかに島に入っていったなと感じています。崎で商店のおばちゃんの話を聞いたり、地区のおじいちゃんと話してたりするのを見て、いい感じにフィールドワークしてるなと感じていた。

面白がるっていうのも「わーすげー面白そう!」って始まるもんじゃないなと思う。なんとなくそこら辺に棒があって、突っついてたら夢中になってた…みたいな。すごい緩やかに面白さの種に入り込んでいって、気がついたら没頭してた、みたいな場面が多かったなというのは感じました。

竹内:
スタッフとしては「せっかく隠岐に来たんだから隠岐に意識を向けてほしいな」っていう願いはある。でも最初は一緒に過ごす人に興味関心が向きがち。その集団の中に自分が存在していいのかどうかっていう確認が取れるまでは、景色とかを見ている余裕はないんだなと思った。

澤:
僕は2パターンあるんじゃないかと思っている。人間関係で安心すると外に目が行く人と、土地(場所)に安心してから他人に意識が向く人。僕はどっちかっていうと先に「場所」なんですよ。「あぁ、これから3日間ここで過ごすのか」の次に「で、どんな人たちと一緒なんだろう」っていう順番なんです。

順番は人によって違うんだけど、場所よし・関係よしみたいな、場所と人両方にチェックインできると全体に意識が向いて、自分に矢印を向けたり楽しんだりする余裕ができてくる。

竹内:
人によって順序は違うけど、関わる人と場所、両方に対して安心できることが大事ということですね。

学芸大生の存在


竹内:
今回は東京学芸大学の学生さんが、中学生と一緒に2日目のフィールドワークに参加してくれましたね。

澤:
学芸大生の存在は大きかったよね。スタッフと学芸大生との振り返りの時も、誠実に素直に何を感じてたか教えてくれて本当によかった。「よかったです」「最高でした」だけじゃなくて「困りました」とか「スタンス迷いました」と伝えてくれて。素直でいてくれてありがとうっていう感謝がありますね。

振り返りだけじゃなく、さっきほっしーも言ってたけど、中学生にとってお手本や真似してみたくなる存在でいてくれてありがとうっていうのもあるな。

竹内:
振り返りでは、どういうスタンスで中学生と関わればいいか困ったという声が結構ありましたね。

澤:
こういうプログラムは、学芸大生ポジションの人の自己変容も生まれるものだと思っている。中学生のサポート役として安全圏にいるのではなくて、学芸大生の中にも揺らぎが起こることがポイントなんだよね。相互に揺らぎながら一緒に楽しむ存在でいてくれたことがすごく有難かった。

学芸大生のシェアハウスで実施した振り返り

竹内:
学芸大生がいてくれなかったら全然違う場になってましたよね。振り返りで一人ひとりの感覚を聴きながら、ちょっと困らせちゃったかもなとか、もう少しできることがあったなとか、反省モードになりかけたんですけど、あれはあれでよかったんじゃないかなと。

小西先生含め学芸のみなさんは「せっかく隠岐に来たんだから、自然や風土に注目してほしい」と考えるところがあったと思うんですけど、企画した我々の「せっかく隠岐に来たんだから」は少し違った気がするんですよね。

いろんな人を受け容れてくれる包容力や優しさと、一方で素の自分を出す必要性やごまかせない厳しさを感じることに、隠岐に来る意味を置いていたように思う。

澤:
もうひとつのポイントは、プログラム設計の固さかなと思った。どれぐらい設計して作りこむのか。良し悪しの話ではなく今回どのくらいの準備をして作りこむとお互いが心地いいですかね?っていうチューニングの問題。

ひなた:
もう少し手放したプログラムですよって事前に共有しておいてもよかったかもしれないですね。「正解はないし、モヤモヤするかもしれません」みたいなことを事前に言っておくのもありだなと思いました。モヤモヤ予報みたいな。

ほっしー:
モヤモヤ予報、いいと思います。大学生もモヤモヤしてるなって中学生が感じたからこそ「あ、この人引率の人じゃない」と肌で感じ取れた。行く場所に大学生が引っ張っていったり、プログラムの意図をすごいわかってる感じで学芸大生がいたら、大学生を頼ればいいってなったと思う。でも学芸大生の「どうしたらいいかわかんない」が、自然に出てたから、中学生も「自分たちで考えなきゃ」みたいになった。

「 えっ!?みんな何するかわかんないの?」みたいな時間がちょっとあって、「じゃあもう好きにしよう、海行こうよ」「神社に栗拾いに行こうよ」みたいなことが、自然と生まれてきたかな?

そんな場面を近くで見ていたので、今回の学芸大生のスタンスはとてもよかったと思いました。

澤:
それは絶妙だよね。この感じは高校生では出せないかもしれない。

竹内:
どういう違いがありそうですか?

澤:
多分学芸大生は、フィールドワークという部分では知識と経験があるけど、隠岐については初めてで素人だったわけじゃない。それがすごくよくて、学芸大生がフィールドワークのお手本になっていたし、隠岐を知らないからこそ一緒に迷うところもお手本になってくれていたということだったかもね。

高校生の場合は逆に隠岐については知っていて先輩なんだけど、フィールドワークに関しては専門家ではない。だから、高校生の場合は期待する役割が変わる。違いを踏まえて依頼することが大事だと思った。

竹内:
ほっしーは7月にチームにジョインして、このプログラムにも途中から関わったと思うんだけど、困ったりモヤモヤしたりはしなかった?

ほっしー:
私が入った当初は、しっかり設計しようという雰囲気だったと思うんです。でも行き詰まって、スタッフ4人で金光寺に下見に行ったじゃないですか。

で、4人ともが「難しく考えるより遊んでもらえばいいんだ!」と一致した感覚があった。自分は性格的にも放任主義で、自分で自分の楽しみを見つけてほしいと思っていたので、そこから自分ごとになって当日も楽しくやれたと思ってます。

下見での一コマ

竹内:
隠岐という場所をあまり知らない中で、プログラムをつくっていくのは難しくなかった?

ほっしー:
1ヶ月目の自分と今の自分じゃ隠岐っていう言葉の解像度が違うので、最初はわからなかったです。本当に中学生の島留学が滞在期間の最後の方でよかった。スタッフと学芸大生の間の、多少は隠岐のことも知ってるけど初めて来た中学生と同じ視点で普通にわちゃわちゃもできるポジションでいられたのは、自分にとってよかったなと思います。

澤:
いやでも、改めていろんな状態の人がいたっていうのはすごい奇跡だね。知らない人もいて、ちょっと知ってる人もいて、結構知ってる人もいて、みたいなさ。いろんな段階の人がいて、それを表に出すわけじゃないけど、多様な受け止め方とか関わり方をしてる人がいたことは、プログラムの豊かさに確実に作用している気はするな。

ほっしー:
多様な人がいたことがいろいろな垣根を取ってくれた気もします。大学生と中学生が並んだ時に「じゃあ大学生についていけばいいか」ではなくて、「みんな初めてだからみんなで考えようね」みたいな。

澤:
アマチュアって大事なんだよな。

竹内:
専門性が発揮されることはいいんだけど、ある一部の人の専門性だけに寄りかかりすぎると面白くなくなるんでしょうね。正解を教える教えられる関係になったり。

澤:
意図が強すぎると、意図を超えた面白さと出会えなくなるよね。

竹内:
プログラムの中でも、期待や予想を裏切られる場面がたくさんありましたよね。知夫に行ったグループは自転車に乗って漕ぎ出そうと思ったら雨降ってくるし。

澤:
いやー、そう。まあだから隠岐はどんなに人が設計しようが、必ず自然が裏切ってくれる。そこは隠岐の良さだよね。

竹内:
自分で全然コントロールできない範疇があるんだっていうことを受け容れて手放すと楽になりますよね。

澤:
隠岐に来て多くの人が経験するのって、どうしようもなさを受け容れるっていうことなんじゃないかな。

竹内:
良くも悪くも自然が関わってくるから、思い通りにすることをあきらめざるを得ない。自分の力でどうしようもないことを悩んでてもしょうがないと、隠岐という場所が思わせてくれるというのはありますね。

澤:
思い通りにするのをあきらめるってことは、むしろ希望だよね。

竹内:
それが隠岐に来るひとつの価値であることは間違いなさそうですね。日常を飛び出すことで変容が起きるのはどこに行っても同じ。わざわざ隠岐に来る意味は、意図しない想定外の越境が起きやすいことと、隠岐で暮らしてきた人の強さに触れられることだと思いました。

(この文章を書いた人:竹内俊博)

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