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「セルフ・ブラック」ができる人とできない人で、おそろしいほど差がついてしまう残酷なホワイト社会
「セルフ・ブラック」ができる人とできない人で、おそろしいほど差がついてしまう残酷なホワイト社会。それが現代日本だと思っています(海外は知らない)。
民間企業や役所に限っての話にはなりますが、昭和、平成に比べれば、今は働く人の権利がしっかりと守られています。もちろん「うちの職場はまだまだだよ」と思う人もいるでしょうが、それでも傾向としては改善の方向に向かっているはずです。正面切って「残業代はつかないけど、仕事が終わるまで帰るなよ」とか「新人が有給とろうなんてずうずうしいんだよ」とか言われることは無いでしょう。
このように社会が健全化することを指して「ホワイト化」と言います。良い時代だな、と私は思うわけですが、この流れの中では表だって言えるのは「コンプラ的にも非の打ち所のない正しき事」だけになってしまう、という弊害もあります。
学芸員という仕事で説明しましょう。たとえば私(中堅学芸員)が新人学芸員に対して「いま、遠方でやっているあの展覧会は、○○さん(新人)の専門に近いから見ておいた方が後々役にたつだろうな」と思ったとします。
でも、軽い気持ちで「ぜひ見てきなよ」とは言えません。なぜなら、仕事の一環として遠方の展覧会に行かせるのであれば、出張扱いで交通費、宿泊費をきちんと出す必要があるからです。そうなってくると、必ずしも直近の仕事に必須なわけではないので、無理に勧めることもないかと考えてしまうわけです。
もちろん作品調査とか出品交渉とか作品借用とかで、どうしても出張しなくてはいけない時は問題ないのですが、「できれば見ておいた方がいい展覧会」ぐらいの理由で自由に遠方まで出張させてあげられる職場はなかなかありません。
というわけで、せいぜい「○○っていう展覧会がやってるみたいだけど、知ってる?」と伝えるぐらいが関の山です。
そう伝えたとして、大抵の人は「へーそうなんですか(でも、命令じゃないし、仕事じゃないから知らんわ)」となるわけですが、中にはまれに「おすすめの展覧会、先週末に行ってきました」という人が現れます。
業務時間外に身銭を切って経験を積む。まさにかつては当たり前のように上司から強要されていたブラック的な行動様式です。こちらからは、そうしろとは口が裂けても言えません。でも、それをできる人だけがたどり着けるステージがあることもまた事実なのです。それを伝えたい。けど、そんなことを言ったら「は、ブラックですか?」と冷たい目で見られてしまう。
なので、結局世間話的に匂わせることしかできず、「あとはニュアンスで伝われー!」と念じています。
一見、おろかで非合理なセルフ・ブラックな働き方をする人は、気づけば30代、40代になる頃には相当な経験値を積んで、一角の人物になっているでしょう。
対して、徹底してホワイトな思考法、ホワイトな働き方をしてきた人は、だいぶ水をあけられてしまいます。その時に「だってそんな風に指導してくれなかったから」と嘆いても取り返しがつかないんですよねぇ。という事もやはり言えないのですが(笑)。
【追記】
以上の内容をかいつまんでXでポストしたら、意外にもかなり反響がありました。
ただ、「セルフ・ブラック」という言葉を(あえて)使ったので、「ブラックな働き方を自ら率先しておこなう愚か者」というニュアンスでとらえてしまった人が中にはいたようです。「そんなのは、やりがい搾取をしようとする経営陣や管理職にとって都合がいいだけの存在だ!」と苦言を呈したくなる気持ちもわかります。
また、自腹で遠方にいかせるなんてひどい。予算をつけるよう交渉するべき。文化にお金を出さない体質を変えるべき。懐に余裕がある人しかできないなんて不公平だ。そんな意見も散見されました。
そうですよね。どんな展覧会も自由に見に行けるような予算編成ができればいいですよね。私もそう思います。
でも、これって実はどこまでいっても切りが無い話なのです。