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Twinkle Twinkle Little Star

 毎年、「過去最高の暑さ」という言葉を聞いているような気がする
 例にもれず、今日も汗がとどまることない一日を過ごした

 7月7日
 「愛逢月《めであいづき》」とも呼ばるが、「七夕」が一般的なのは言わずもがな

 小学生の頃は、母方の祖父母の家の裏庭から伐採した立派な竹をもらってきて、弟と一緒に願い事を書いた短冊を飾ったものだ

 今や弟も大学生になり、都内で一人暮らし
 私といえば、相も変わらず実家暮らしではあるが、「星に願いを」などと絵空事を言う年齢でもなく、22時過ぎに帰宅し、やっと缶ビールを流し込んだところだった

 今何かと話題の、そして移り変えるにはあまりにも慣れてしまったTwitterを開く
 トレンドには#七夕 #織姫と彦星  の文字
 そういえばそうだった、と独り言ちてから思い出す

 再び小学生の頃の話にはなるが、私は4年生で劇的に視力が低下した 
当時最盛期であったDSやWiiなどのゲーム機も買ってもらって遊んではいたが、触っていたのは一日に数十分程度だったと思う

 それよりも私の時間を多く占めていたのは読書だった
 今でこそ始まりを思い出せないが、特に偉人たちの伝記や星座についての本を図書室から借りては家で黙々と読んでいた(とは言うものの、放課後友人たちと校庭で走り回ったりバスケをして汗を流してもいたから、「文武両道」をしていたのは間違いない)

 本好きが祟ってか、前述したように視力が低下した あまり自覚はなかったのだが、学年初めの視力検査後に通達された「眼科にて再検査受診」の知らせ(渡された紙がピンク色だったことが印象的だ)が決定打だった
 ひどく憂鬱だった なにせ両親はそろって視力が2.0あった ゲームや勉強をしている際も「時々目を休めるように」と耳にタコができるくらい注意され、そのような環境で自分がこんなものを持ち帰っては怒られる、と当時の私はおびえていたのだ

 帰宅してから、恐る恐る手紙を母に見せると予想通りがっかりはされた
しかし、「○○は本が好きだからね。この家の誰よりもたくさんの文字を見てる。だからその代わりにできるだけ目を休める時間を作ろう」と優しく言ってくれたのを覚えている
 その日から私は天体観測を始めた 星座の知識は既に本で知っている
そして、理科の授業で星座について学習し始めた時期でもあったので、好きなものを見ながら視力が良くなるのなら、と星座早見表を片手に観測日記をつけ始めた
 曇りだろうが、次の日朝が早かろうが遥か遠くの夜空を見て、毎日毎日担任の先生にその日記を提出していた 面倒だったろうに先生は毎日コメントを書いてくれていた

 天体観測を続けて一年、つまり5年生になった時には「再検査」の紙が渡されることはなかった


 すっかり缶ビールを飲み干し、二杯目のレモンサワーで喉を潤す
ふと今日の空はどうだろう、と思い立った せっかくなのだ 天の川でも見られたら、なんて

 グラスの中の氷をカラカラ、と鳴らしながら、サンダルをつっかけて外に出る
 家の中の光が届かないところまで歩き、期待の中空を見上げる

 まごうことなき曇天だった
 これはまたなんとも、と一人苦笑したが、見渡すと唯一光る星が一つ
思わず「君の名は」と心で唱えつつ、星座観測アプリを開く

 曇りきった空にただ一つ光る星の名は「ベガ」
「こと座」に輝く一等星でもあり、七夕の主役の一人でもある「織姫星」だった

 天の川はもちろん、他の星々は一切見えない中、偶然にも織姫だけは私の前に姿を現した
 一年に一度、天の川を越え、愛する人との逢瀬の日とも呼ばれる七夕に彦星、つまりアルタイルが見られなかったことは残念でもあったが、天空では二人は無事に再会できているのだろう

 明日の天気は雨と天気予報は告げていた 一日ずれてよかった、と少しばかりの安堵をおぼえる

 既に日付を越した時計を確認してから二階へ上がる 自室横の本棚から、4年生の時に買ってもらった星座の図鑑を取り出すと、その場で座り込んで「夏の星座」のページを開く 少しめくるとすぐに「こと座」と「わし座」が見つかった ギリシャ神話の説明はもちろん、七夕伝説についても書かれている
「はた織りの織女星と牛飼いの牽牛星は、とても働き者でしたが、新婚のあまく楽しい生活に入ると遊び暮らすようになってしまいました。怒った天帝は、二人をもとの天の川の両岸にもどし、1年に1度、7月7日の七夕の夜だけ会えるようにしてしまいました。七夕は二人の年に一度のデートの日なのです。」

伝説のわりになかなかシビアな理由かつ、手厳しい天帝様だなと遠い目をしながら重い図鑑を閉じて、またレモンサワーを作りに一階へ向かった






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