「自分を知る」ということの大切さ
最近、ファッションにも興味が湧いてきて様々なファッションYouTuberの動画を観て勉強している。MBさんとかSPUチャンネルとかKODONAチャンネルとかRyoTakashimaとかまあいろんな人がいて、特に動画というのはファッションと相性がいい分野じゃないかと思う。ただひとつ残念なのは、欲しい情報を全部入れていてくれなかったり、欲しい情報が伝わらなかったりすることだ。……ひとつじゃなかったな。
前者に関しては、人によって目指す方向が違うからだ。その人がどのくらいの身長や体重なのか、という基本的な情報だけでなく腰回り腹回り腕回り首回りなどいろいろな情報が抜けていたり、人によっては無視できないけどその人にとっては意識したことすらない情報もある。たとえばラグビーやアメフトのような人が意外と気になるのは首元のつまり具合。私自身もそうであるが、コンタクトスポーツの影響で首回りが太くなるため、首が詰まって気持ち悪いと感じることがよくある。だからといって全員そうかというわけでもなく、首が太くてもそれは気にしないという人もいる。
これは結局のところ、その人がどういう方向感でファッションを捉えているのか、ということがそもそも伝わっていない、もしくは観ている側が意識していないということである。自分がどういうファッションのカテゴリに属するのか、どういう体型で、どういうファッションを目指しているのか、最近の全体のトレンドではなく個人の状態を把握していないとここに認識のレベルで相違が起きてしまう。よく「集団間のばらつきよりも集団内における個人間のバラつきのほうが大きい」と言われるが、まさにそうである。多種多様な人々がいて、膨大なデータの中から自分にとって最適な情報を手にするためには「敵を知り、己を知る」ことが欠かせない。
私も半年前よりも20kg近く減量してしまったため、自分に合うサイズや着心地などが変わっている。最近になってようやくインナーのサイズ感やアウターのサイズ感についてこのくらいがちょうどいいかなという見当が固まってきた。
後者の情報が伝わらないということに関しては、テクノロジーや制度の限界と言える。
たとえば動画では匂いや生地の手触りまでは伝えることが出来ない。人によってはザラザラとした風合いと表現する人もいればこれはもうゴワゴワなんじゃないかということもあるだろう。サイズ、光沢、色味が違っていたというのもネットショッピングではよく聞く話だ。こういうものはやはり現実で実物を見てみないことには分からないものがある。
だが、現実でも一目見てどうこう言えるわけでもない。私の友人なんかはリアルで見て購入したにもかかわらず、そのお店の独特な照明のせいでベージュだと思っていたものがパープルだった、なんて話をしていた。何か月か経って風合いが変わる革製品もあるし、そもそも耐久性に難があったという商品も少なくない。
こういった諸問題に関しては、テクノロジーや制度が整うにつれて改善はされていくものだ。ネットショッピングでは1ヵ月間試着して合わなければ返品ということも可能である。ARの技術を駆使して、実際には来ていないけれど試着感を試すことができるお店もあると聞く。もっと技術が進歩すれば、ドラえもんの着せ替えカメラのようにいろいろと形を変えられる服も出てくるかもしれない。素材だけがあればそこから服を自由自在に変えられる、毎日のおしゃれもカタログから選ぶだけでいい。そんな未来が本当に来るなら楽しそうだ。
結局のところ、後者の問題はテクノロジーによってカバーできる部分であるが、前者の「どういう方向感で」という部分に関しては自分で見つけるほかにない。いずれは後者の問題はテクノロジーが解決する。そうなれば差別化はやはり個人の特性に依存する。
誰かに勧められるままでいいという人もいるだろうが、ファッションというのはそのほかの趣味同様に、やはり似ていても人の個性というのは少なからず現れてくるものだ。自分がどういう人間かということを早めに知るクセをつけるのは、これからの世界を生き抜くには大切なことだと改めて思う。
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