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習慣の反発とエッセイの強み

「今日投稿すれば14日連続!続けられることは才能!」
noteの投稿ボタンを押したら、こんな表示がされていた。
しかし、聞いてほしい。
めんどくさいのだ。

乗り気がしない。
今すぐ手を止めてダラダラしたい。
温かいコーヒーを飲んで心を休ませるのもいいだろう。
まだ見れていない新作アニメがある、これを見ても良いだろう。
読みたい本だって積んである。
他のことでも構わない、何をしたって良い。
エッセイを書くこと以外のすべてであれば。

ビジネス書でよく耳にする言葉、習慣化。
自分も例に倣ってエッセイを書くことを習慣にしている。
おかげで継続できている。達成感もある。
しかし、今日でちょうど2週間。
自分は2週間で巨大な反発がやってくる。
以前にも同様のことはあった。

頭ではわかっているんだ。
今日を乗り越えると楽になるって。
でも、心が拒否している。
もう書きたくないって、今日ぐらい休んで良いじゃんって。
筆が進まない。
いや、PCで作業しているからキーボードが打てないが正しいだろう。

しかし、これは不思議なことなのだが頭だけは異常に冴えている。
めんどくさい、書きたくないと思えば思うほどエッセイが頭の中で形になっていく。
現に、ここまでノーストップで打っている。
なぜだろう。
他のことを習慣化する際にはこんなことはなかった。
何とか自分を誤魔化したり、報酬を用意することで継続してきた。
だがエッセイだけは何かが違う。
では何が違うのか。

それはエッセイではネガティブな感情が最も良いネタになるからである。
ネガティブとはそれだけ強い感情である。
言いたいことさえ決まれば、話の構成はとんとん拍子で出来上がっていく。
残りはもうキーボードを打つだけ。
これくらいの作業であればどんなにやる気がなくてもできてしまう。
あぁ、手が止まることを知らない。最悪だ。

心とは裏腹に最後まで来てしまった。
こんな自分を褒めてあげたい。でも悔しいからしない。
これではまるで自分がエッセイの虜になっているようではないか。

エッセイを書いても別に良いことなんてない。
あるとするならば、嫌なことがあった際に
「エッセイのネタになるじゃん。ラッキー」
と思えるぐらいだろう。たったそれだけだ。
本当にめんどくさい。あぁ、めんどくさい。


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