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回顧と退屈と未来【エッセイ】

自分はこの十数年間、自堕落な人生を歩んできた。
性格的にもそれで問題ないと思ってきた。
実際のところ順風満帆とまでは行かないが過不足のない人生を歩んできたと思う。
しかし、ここ数年で気づいてしまった。退屈であると。
この人生のままだと数年後、数十年後の自分の姿が当たり前のように想像できる。
これで良いのかもしれない。これが正解なのかもしれない。
でも自分は受け入れられなかった。
だから変わることにした。これが数ヶ月前の決心である。

まずは生活習慣を見直した。
今までは起床と就寝の時間を決めていなかった。眠くなったら布団に入り、仕事ギリギリになって起きる。平日は仕事での疲れを言い訳にし何もしない。ずっとSNSや動画を漁って時間を潰す。
土日は何かしようとは思うが結局何もしない。そして日曜日の夜に後悔する。
この繰り返しだった。まさに自堕落。
だから、起床と就寝の時間を決めた。5時起き、22時就寝だ。
睡眠時間は7時間でしっかり取る。

でも起きるだけじゃダメだ。結局SNSと動画漁りをするだけになってしまう。
次にやることを決めることにした。方法は読書を選んだ。
ネット検索でも良かったが娯楽の誘惑に負けそうだったので読書を選んだ。
結果としては成功だった。おかげで数年ぶりに本を読む楽しさを再確認できた。
そして何をやるかも決めた。モーニングページとエッセイの2つだ。

なぜこの2つにしたのか。
理由としては初期コストが少ないと感じたからだ。
特定の知識や技能を持たなくても始められる。できるだけ躓きたくなかったのでリスクを考慮しての判断だった。
あとは読書も継続した。知識は多くて困ることもないと思ったのとエッセイについての理解を深めたかったからだ。

ちゃんと調べ・考えた結果か分からないが上手く行った。
おかげでモーニングページ、エッセイ、読書は今でも継続していて習慣化されている。変わるという目標は達成された。

しかし、そこまでだった。目標は達成されてしまった。
そのため急にやる気が出なくなってしまった。
そして、ここ数ヶ月感じていなかった疲労感がどっと押し寄せてきた。
正直いうとめんどくさい。全てがめんどくさい。
変わったところで別に得られるものはなかった。
あったのは多少の満足感だけだった。

だから、原点に振り返ることにした。
元々なぜ変わろうとしたのか。これを考え直すことにした。
そして気づいた。それは「退屈な人生からの脱却」だ。

ではなぜ今ままでの変化に満足できなくなってしまったのか?
それは習慣化されたことで退屈の一部になってしまったからだと思う。
モーニングページもエッセイも読書も手段でしかなく、「退屈な人生からの脱却」という目的ではないのだ。
そして今までの変化は目標でしかない。このことに気づけた。
だから次の目標を設ける必要がある。

次の目標はまだ見つかってはいない。
だが、これでまた前に進める。目的を達成するために。



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