あばよ涙、よろしく勇気
先日、こんな記事を見た。
まずはこちらをご覧いただきたい。
こちらは、年齢を題材にした記事であるが、注目すべきはここ。
「おじさん・おばさんって何歳から?」
大変おせっかいな話ではなかろうか。
世の中、おじさんっぽい若者もいるのだ。
例えばここに。(どひゃー)
その人がおじさんorおばさんかどうかは、年齢ではなくその人のポテンシャルでもあるのではないかと思うのだ。
統計だけ見ると、まだ拙者はおじさんではないらしい。
確かに老け顔ではあるし、格好も若々しさはない。昔から実年齢より上に見られることが必然だった。
16歳の時に、10歳の妹と7歳の弟と一緒に携帯ショップで試供品のiPadを触っていたら、店員さんが寄ってきて、「娘さんの為にiPadお探しですか?」と聞かれるくらいには実年齢より年上に見られてきた。
19歳の時、当時一緒に仕事をしてた職人さんに、
「山田くん、27くらいかと思った」
と言われてきた。
22歳の時、23歳の人に、
「山田さん、33歳くらいと思ってました」
と言われてきた。
今もその屈辱は忘れられない。
枕を濡らした夜もある。
『貫禄があるね』の言葉だけでは癒えない傷もあった。
けれど心は永遠の16歳。
いつまでも、ティーンエイジャーでいたいのじゃー。
以前、現場職をしていた頃の話を思い出した。
蝉のコンクールでもやりよんのかと思うくらい騒がしい、バカみたいに暑い夏の日だった。
すれ違った小学生にこう言われた。
「ねえ、おじさん。」
はて?
私はおじさんではないのだが?
この子はなにを言ってるんだ?
冗談はよし子さんなのだが?
辺りを見渡すが、恐らく該当者はおれしかおらん。
ショックで目の前が真っ白になる。
さながら白銀の世界とでも言おうか。
キャンバスの様に白い雪原、誰も何もない雪の上にポツンと立たされ、その場で「言葉の槍」で突かれ、白が赤に変わってしまった様な感覚。
なんと悲しい。
坊や、言葉の重みとは計り知れんのだよ。
老け顔のお兄さんにも『心』はある。
その子には拙者が、先ほどの記事でいくところの「平均49,0歳」顔に見えたのだろうか。
全く、親の顔を見てみたいものだ。
その前に自分のその老け顔を確認しなければならないのだが。
まあしかし、致し方ないのかもしれない。
こちらは薄汚れた作業着なので、おじさんに見えてもおかしくはない。
あのね、おれはおじさんじゃないんだよ
と、言いかけたところで目の前の純粋無垢な小学生が一言。
「おじさん、お仕事がんばってね!」
浄化。
おじさん、御霊が洗われたよ。
成仏ギリギリだったよ。
三途の川をバタフライで泳ぎ切るとこだったよ。
あの真っ直ぐな瞳。
キラキラしていた。
なにも疑ってない、気持ちが良いほど、突き抜けるほど真っ直ぐな瞳。
ほんの少しでも、この子に対して
「どこがおじさんじゃい!」
と心で思ってしまったことを猛省した。
出来るならこんな大人になってほしくない。
汗だくになり疲れ、人の目を盗み、やっとの思いで現場を出て、なけなしの100円で買ったBO○Sの缶コーヒーをすすりながら、「どこがおじさんじゃい!」などと思ってしまうような大人には、絶対になってほしくない。
ありがとう、気をつけて帰るんよ
汗か涙か分からない顔の横の水分を拭い、そう坊やに声をかけて見送る。
まだブラックコーヒーに慣れてなかったのかな。
いつもより少し苦く感じた。
思えば20代も後半に差しかかってきた。
ここ数年は、実年齢と見た目年齢が近づいてきた。
たまに実年齢より下に見られることもある。
これは嬉しい。
今までなかったことなのだ。
たまに嬉しすぎて小躍りしてしまうことがある。
その時点でもうおじさんなのだが。
いつまでも、若くいたい。
これは宇宙刑事ギャバンのOPテーマ、「宇宙刑事ギャバン」の1番のサビ歌詞である。
若さとは、ふりむかないことなのだ。
(ちなみに2番は「あきらめないことさ」)
過去はふりむかないぞ、そう自分に言い聞かせる。
しかし油断は出来ない。
なぜならこの前、バイト先の常連さんに、1年以上付き合いがあるのにこう言われたのだ。
「え?35くらいかと思ってた。」
見た目年齢最高齢、更新中。
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