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不登校ライフスタート

◎何も言えない日々

メンタルからくる頻尿だと分かった息子。
私達家族は「学校行こう」的な話、ワードを出せなくなってしまいました。

この頃に学校からの後押しもあり、長男のメンタルの方の結果も出た為、スクールカウンセラーと担任と面談の機会を同タイミングがありました。

長男についても、これまた聞いてほしいのでまた書きますが…。結果から言うとHSCとの事。

中学進学を控えた長男の事を報告、相談しに出向いたわけですが、長男の話は早々に(前向きに)終了し、話題はやはり次男の今後についてに変わりました。
なんなら次男の担任も呼び、次男の新任の担任を励ます会みたいになりました(笑)

スクールカウンセラーの先生とは何ヶ月か前から息子たちの凸凹について相談していましだが、その渦中で不登校になってしまったので、カウンセラーの先生は親身になって話を聞いて下さいました。

カウンセラー目線だと次男の方が気になっていた様です。それは行き渋る前から言われており「へぇ。そうか、次男の方がヤバいかもなんだ。」とキツネにつままれたような感覚。

私はここまで、長男の子育てに悪戦苦闘しすぎて、次男の子育ての記憶にない様な…むしろいつもニコニコしてて聞き分け良くて手が掛からなかった思いばかり。

そんな次男がグレー味が強いかもと言われて初めて次男の『良い子』というレッテルが無意識に無理させてた事に気づきました。

◎次男の性格

次男は産まれた時からあまり手が掛からなかったんです。

長男はずっと抱っこしてないとサイレンの様に泣く。泣く。泣く。
それに比べたら良く飲む、寝る、すやすやほっといても寝る。寝起き機嫌よし。一人で遊べる。最高。
兄弟でこんなに違うのか!と感動したくらい。

人見知りもなかったので、兄の幼稚園の送り迎えや、イベントの際には周りのママ友や近所の人が次男を抱っこしてくれたり、遊んでくれたり、預かってくれたり。沢山みなさんに愛して貰いました。

次男自身が幼稚園になった時も、多少の眠くて行かれない、寒いから嫌だ。みたいな平均的なイヤイヤはあっても毎日楽しく幼稚園に通いました。

友達関係は良好で毎日、日が暮れるまで遊び倒す元気で尚且つ陽気な次男でした。

ただ、月齢も低かった事、幼稚園がコロナ禍だった事も相まって自主性がないが事が目立ってきたのです。

卒園間近の個人面談では、ついに「小学校に進学したら時間で動く事が苦手で心配すぎる」と指摘されました。



◎小学校入学

入学して幼稚園の仲間とはバラバラになり次男は丸っきり一人でクラスに飛び込みました。

親の心配をよそにいい先生に恵まれて自己肯定感増し増しで一年を終えました。

(↑この時の担任の先生の話を次男は帰宅すると楽しそうに話してくれました。学校に出向けば「〇〇さん、今日こんな事やってくれたんです!めっちゃ僕が元気もらって!」なんてニコニコ話してくれるもんで母親の自己肯定感すら上げてくれる、そんな先生でした。)

でも段々と私の中で次男への「はてな」が増し増しに。
「そういや、先生の話するけど友達の話しないな…」
「幼稚園のお支度全く出来なかったのに、今どうしてんだ?」
「こんな時間にルーズだったか?」
「キャラクターとか熱しやすくて強烈なのに冷めたら早いわ」
などなど。



◎私のパート

次男が一年生の夏、次男の自我が爆発して兄と取っ組み合いの喧嘩をしたり、奇声を発して暴れたりする様に。

私的には「そりゃずっと良い子なわけ無いよな。人間だもんな。」くらいに捉えており、あまり子供らに付きっきりになっても私がイライラするだけだ。とパートに出る決意をしました。

周りのママも働き出して、ちょっと焦ったのもありました。

そのママたちからオススメしてもらったのが給食のおばちゃん。

仕事自体のブランク10年以上だけど、家事の延長ならやれるかも。と。

面接した際にはもぅ採用の決定をして下さり二学期から出勤しました。

仕事を始めても子供達は特に不自由なく安定していので安心して働き始められました。

さぁ、ここから私自身の話です。
また読んで頂ける方がいらっしゃれば幸いです…


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