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INFJ | MBTI が好きな理由 ③


どうして MBTI が好きなのか、その理由について好きなように好きなだけ書いてみました。

思いが溢れて MBTI とは直接関係ない話も多くなってしまいましたが……笑

ちなみに私は、INFJ を自認しています。

めちゃくちゃ長くなってしまったので、気になるところだけでも覗いてもらえると嬉しいです💐

(初めてみんなのフォトギャラリーから画像をお借りしました。とっても優しくて素敵なイラストをありがとうございます!)


よければ ①② も覗いてみてください🌼

いつものように、ネットの海に投げ入れるメッセージボトルのようなイメージで書きました。もしもどなたかの目に留まり、共有できる何かがあれば嬉しいです。


凸や凹、歪さのなかに美しさは宿る


そういうことを、最近よく考えます。

誰かを心から愛しい、美しいと感じるのは、完璧さよりむしろ、欠けたところや足りないもの、傷や弱さを垣間見たときだと思うのです。

あるいはその人の個性が爆発して、思いっきりユニークでオリジナルに見えたとき。


いくつか個人的な例をあげてみます。

私たち家族の愛するふうちゃんです

わが家の愛犬は、知り合いの家で生まれました。

母と一緒に、生まれたての赤ちゃんの中から引き取る子を選ぶため、知り合い宅を訪ねました。

みんなちっちゃくて可愛くてどの子も選べないねと話していたとき、周りのきょうだいがすやすや眠っているなか、ひとりだけ泣いている子がいるのに気がつきました。それがふうちゃんでした。

身体は他のきょうだいより大きいのに、なぜかひとりだけぶるぶる震えながら泣いていたふうちゃん。私と同じように気づいた母と、「この子にしよう☺️」と決めました。

母親やきょうだいと離れ、わが家に来てくれた日のことも憶えています。大雨の夜でした。

まだ手のひらに載るくらい小さくて、やっぱりぶるぶる震えていたふうちゃんを、大丈夫だよ、大丈夫だよと撫でながら、愛しくてたまらない気持ちが溢れるのを感じました。

一度、きょうだいが再会する機会があったのですが、やっぱりひとりだけ臆病で、元気いっぱいのきょうだいたちに囲まれ、必死になって逃げていました。笑

元気いっぱいな子、クールな子にもそれぞれの可愛さがありますが、私たち家族は、今でもちょっぴり神経質で、だっこ虫で、トイプードルなのに人見知りなふうちゃんのことが大好きです。


他にも。

あるアイドルを好きになったときのこと。

その中のひとり、みんな素敵だけど特別気になっていたわけでもないメンバーが、生放送中に盛大にげっぷしちゃったんですね。しかも本人は「しかたないだろ!」とちょっぴり逆ギレ。笑

それを見て、なんて可愛いんだ……! と一気に気になる存在になりました。

Instagram では、ある自撮り写真で鼻からちょろっと毛がのぞいていて、ファンにも指摘されていたり(でも写真は消さない)。もう、大好きになってしまいました。笑


思えば(これはまた別のグループのメンバーですが)激しいダンスの最中に靴が脱げ、中からぽろっと背を高く見せるための中敷きが飛び出したのを見て、愛しくなったこともありました。


人は案外、完璧な姿より、そういう瞬間に誰かを好きになるのかもしれないと思いました。


家族や友人、周りの人たちのことを思い浮かべてみてもそうです。その人らしくて愛おしいと感じるのは、やっぱりどこかヘンテコで、歪みを感じる部分なんですね。

私自身、「どうして普通のことを普通にできないんだろう」と自分を責めていたとき、周りの人の「あなたのユニークなところが好きなんだよ」という言葉に救われました。


思い出したのは、喜多川泰さんの『君と会えたから……』より「あらゆる欠点を魅力に変える光」の話です。

ハルカという女の子が、「僕」にこう話します。

「小学生のときの夏休みの工作の宿題で、私、ログハウスを作ろうって思ったの。折り紙を筒状に丸めたものを一本ずつ丸谷して(中略)ところが、作っていくうちにどんどん汚くなっていくの。ただ丸太として丸めたときはきれいな円柱形になったんだけど、そのあと、長さを測ってハサミで切ったり、窓用にくりぬいたり、のりで貼ったり、セロテープで補強したりとやっていくうちに、だんだんしわだらけのクシャクシャになってしまって。ようやくできあがったときには、あまりにひどい見た目で、『これじゃあ、学校に持っていけない』って泣き出しちゃったの」

100頁

「そのときに、パパが話してくれたの。(中略)残念ながら、失敗した隙間や汚れは、隠そうとしても隠しきることはできないの。それどころか、下手に小細工しようとすると、かえって余計にあらが目立っちゃう(中略)でね、隠そうとするんじゃなくて、活かそうとするって決めたんだって。それがその作品にとってなくてはならないものにしちゃうってわけ」

100頁

ハルカの父は言います。そういうときは「中に明かりを」灯せばいいのだと。

どんなにたくさん失敗によってできた隙間や傷があっても、そこから漏れる明かりのすべてが、その作品を美しく引き立たせる個性になる。内側に明かりを灯すことによって」。

人間も、同じです。

人間は完璧じゃないってよく言われるけれども、パパは一人ひとりがそのままで唯一の素晴らしい存在だっていつも言っているわ。ところが多くの人は人と違うという理由だけで見た目にコンプレックスを抱いたり、内面的に傷を抱えているせいで自分は価値のない人間だと思ったりしている。 でも自分の内側に明かりを灯すだけで、それらすべてのコンプレックスや、今日の自分をつくりあげるためにできた傷は、その人の魅力を引き出す個性になるの」

102頁

大切なのは傷や欠点を隠すことではなく、外側に漏れるくらいの光を自分の内側に灯すこと。

著者は、その光をただ強くイメージするだけでも大きな変化があると言っています。


——— と、ここまで MBTI という言葉が一切出てきていませんが笑、こうした考え方と、人と人との違いを見つめる MBTI には、どこか通ずるものを感じるのです。


たとえば、

16Personalities それぞれを絵文字にあてはめて紹介しているこちらの動画。

なんだかこれを見たとき、すごく愛しいなあと思ったんです。みんなとってもユニークでオリジナルで、かわいい。

人は本来、こんなふうに凸凹で、それぞれ歪な存在なのだと再認識しました。


だから、どうしてそんなふうに違っているのか、心的機能という観点から考えていく MBTI が好きだし、その違いを理解して尊重し合おうというスタンスもとても好きです。

もちろん人の多様さは MBTI だけでは説明しきれません。 MBTI はあくまで骨組み。そこに個々の違いを押し込んだり、誰かをジャッジしたりするのは間違っています。

ただ、それぞれにそれぞれの見方や個性がある、そういう前提から始まる理論は、私にとってとても信頼できて素敵なものです。


このトピックの最後に、大好きな曲の歌詞を書いておきます。

誰かの人生に似せようと
辛い一日を送ったあなた
眠る時に幸せじゃないなら

みんなが目指す夢を追いかけてみても
合わない服のように徐々に小さくなる
自分のせいだ これだけだと
諦めないでください 

夜になると光を放つ星も
夕焼けだけ残して沈むあの太陽も
みんなそれぞれ独特な色を持つ
Beautiful

世界のすべてが居場所を探す時
より美しく輝くのはなぜだろう
その姿そのままで十分です
Beautiful, beautiful you are

NCT2021「Beautiful」より

* * *


No one left behind の世界


小さい頃から、ハッピーエンドが大好きです。

note のホームにも書いてある、And they all lived happily ever after(そしてみんないつまでも幸せに暮らしました)にとても安心します。

大人になって、人が生きているかぎりハッピーエンドなんて訪れないと知ってからは、より祈りに近いような気持ちでそういう物語を愛しました。


今、パッと思い浮かぶものでいうと、


このあたり(偶然ですがどっちもザック・エフロンですね☺️)。主人公と仲間たちが幸せになるだけでなく、みんなに居場所が与えられ、誰も置き去りにしない世界、No one left behind の世界が私にとっての理想です。


思えばこれまでメンバー同士の仲の良さをきっかけに、アイドルやお笑い芸人、YouTuberのファンになりました。

物語とは違い、ファンに見せる姿と生身の姿にはどうしたって乖離がある人間のことは、実際にはわかりません。その本当のところは。

ただ、好きになるのはいつも、互いを尊重し、それぞれがそれぞれの居場所でいきいきと輝いている(ように見える)グループばかりでした。

あるとき、それは仲間はずれのいない空間を見ていたいからなんだと気がつきました。ハッピーエンドが好きな理由と同じなのだと。

大好きなドラマ作品にも、そういう世界観が共通しているように思います。逃げ恥とか、カルテットとか、ひよっことか、おっさんずラブとか……

ただただ、みんなに居場所がある空間に私は惹かれるのだと気がつきました。


そうした理想がより現実的にイメージできたきっかけの文章があります。

少し長いですが、引用させてもらいます。

 ムーミン谷では、さまざまな変わった個性を持つキャラクターが、つかずはなれずで暮らしています。
 みんな奇妙なクセを持っていたり、迷惑な性格だったりもするのですが、それらが否定されたり抑圧されたりすることはありません。
 おのおのが自由に、でも、集まって生きていられるのです。

 最近、『鬼滅の刃』というマンガが大変人気を集めています。
 あの作品にも、ムーミン谷に少しだけ似たところがあります。というのも、キャラクターたちは、あまり人の話を聞かないのです。敵味方関係なく、かなり多くの対話が「投げっぱなし」で流れていきます。
 それでも、ストーリーも人間関係も、ちゃんとハートフルなかたちで成立しているのです。彼らがやりとりしているのは、本当は「言葉」ではないようです。
 非常に強い個性の持ち主たちが、それぞれの個性を受け入れ合う、というよりは、ある意味「スルーする」ようにして集っている様子は、ムーミン谷の関係性によく似たところがあるなと思いました。

 自由に、自分の好きなように生きるには、孤独を受け入れなければならない。
 自由と孤独は引き換えである、という考え方を、多くの人が信じています。
 でも、もしかすると、自由でありながらよりそって生きることは、非現実的な夢ではないのかもしれません。

石井ゆかり著『3年の星占い 2021-2023 蟹座』52頁


互いに「スルー」し合いながら、それでも一緒にいる。「自由でありながらよりそって生きる」これは、私にとって目から鱗の考え方でした。

それまで完璧なハッピーエンドからは思い描けなかった、より実現可能な理想をイメージできた気がしました。


たしかに、苦手な人というのはどうしたっています。合わない人だって必ずいます。だって世界にはこんなにもたくさんの人がいるのだから。

だけど、苦手な人とは適度な距離を保てばいいのです。合わない人とは無理に一緒にいなくてもいい。みんなが手と手を繋いで、仲良く輪になる世界だけが理想なのではありません。

一人で部屋の隅で本を読んでいたいのであれば、そうすればいい。みんなの輪から離れたところにいたいのなら、それでいい。

ただ、一人でいたとしても、本人が独りぼっちだと感じずにすむ世界が理想なのです。部屋の隅であったとしても、そこが居場所であるような。

苦手な人、合わない人とはお互い上手にスルーし合いながら、けれど誰のことも置き去りにはしない。少なくともみんなに居場所があって、誰も抑圧されたり排除されたりしない。そういう世界が私にとって本当の理想です。


そして、そんなふうに誰のことも排除しない世界というのは、尊重や寛容さのまえに、理解が先立つのだと思います。

自分と他者がどう違っているのか。まずは違いをしっかり知る。認め合ったり受け入れ合ったりスルーし合ったりするのは、その後です。

思うに、私たちはまだまだお互いのことを本当には知らないのだと思います。少なくとも、私自身はそうです。もっともっと知っていかなければならない、知りたいと思っています。


 MBTI を知り、これまでにないほど他人と自分の違いがクリアに見える気がしました(くり返すようですが、 MBTI だけですべてを説明できるとは思ってません)。

そして MBTI の根底にある考えは、私の理想にとてもマッチするものだと思っています。

本当に心理学的タイプ論が適切に活用されたときに、互いの壁が取り払われます。心理学的タイプ論は、互いを異質なものとして分類し、分離し、切り離して考えるような決めつけや恐れといったものなしに、共通していることや補い合うことについての対話へといざなう道筋を与えてくれるのです。

R.R.ペアマン&S.C.アルブリットン著、園田由紀訳
『MBTIへのいざない』
「はじめに」より

自分のなかと人のなかにある“贈り物”に気づき、その贈り物たちのそれぞれの働きや役割や、そしてそれぞれにとっての自然な表現を知り、それぞれの贈り物を自分の会話や人間関係のなかに招き入れることで違う者同士の間に橋がかかり、人の多様性への価値観を互いに喜びあえるであろう。

同上、242頁

私たちは、このタイプの考えがかけ橋となり、自分自身の個性と固有の表現方法はそのままに、国籍や人種、性別などの違いを超えて、わかり合えることに気づき、お互いを尊重しあい、個人の、そして人類全体の成長につながっていくように、心から願っている。

同上、279頁

* * *


「自分を最大限に生かす」


① でも同じようなことを書きましたが、 INFJ という性格タイプを知り、自分のことがこれまで以上にわかった気がしました。

必要以上に自分をタイプにはめ込むこと、隠れ蓑に使うことは間違っています。ただ、すごくほっとしたんです。私が「おかしい」わけではなかったんだって。

これまで漠然とあった「生きづらさ」が言語化されたような。宙ぶらりんの状態からふわっと解放されたような。濃い霧が少し晴れたような。

自分という乗り物の特性やスペックがようやくわかり、これなら少しは工夫して運転できるようになるかも……!という感覚です。

自分の個性に対して、こんなにも前向きになれたのは本当に久しぶりのことでした。

自分を最大限に生かしてみたい!とわくわくしたのは、ほとんど初めてのことです。

自分自身を最大限に生かすということは、(中略)自分自身の使えるすべての力をもとに、より意識的に選択し意識的に行動がとれるということである。自分への気づきをできる限り深めて自分のもてるすべてのスキルに気づき、使うことができ、同時に今の自分の限界にも気づいているということである。それは、自分の行く手に何がこようとも、順応し、適応し、対応策を見つけられることが信じられるということでもある。つまりタイプ発達の究極の目的は、(中略)自分のもてるすべての力を最大限に生かすことなのである。

R.R.ペアマン&S.C.アルブリットン著、園田由紀訳
『MBTIへのいざない』111頁


しつこいくらい繰り返していますが笑、 MBTI はあくまできっかけ。私や誰かの説明がすべてなされるわけありません。

また、「自分らしさ」というのはどんどん変わっていくもの。別に決めつけなくていいと思っています。その方がずっと自然です。

ただ、「自分を最大限に生かすこと」を目的とした旅において、 MBTI はコンパスのような心強い役割を果たしてくれるような気がしています。

* * *


世界と戦うことをやめる


それから ———

誰も仲間はずれじゃない世界が私の理想だと書きましたが(それは本心です)、本当の本当は、私自身がまだ、自分はこのままでいいのだと信じきれていないのかもしれません。


先日、ミュージカル「ファインディング・ネバーランド」という作品を観たときに、「世界と戦うのはやめなければならないわ」という台詞に打たれました。本当にその通りだと思いました。


こんなにも MBTI に惹かれるのは、学ぼうとしているのは、もしかしたら私がもっと私のことを許してあげたいからなのかもしれません。

世界は恐ろしいところなんかじゃない、他人は怖い存在なんかじゃないと、もっと深く理解したいのかもしれません。


自分を救うことができるのは、自分だけです。

「ここにいていいよ。そのままでいいからね」と言ってあげたいのは、きっと誰より自分自身に対してなのだと思います。

今もどこかで泣いたままの私がいるから。過去のいろんな場所に、怖くて震えたままの私がいるから。はやく迎えにいってあげたいんです。もう大丈夫だよ、何も心配いらないからねって。


もう無闇に自分をいじめるのはやめて、広い視野を持ち、本当の意味で自他を尊重できるようになりたいです。心を開き、怖れを手放したいです。

「そこに居続けたら、明日も、世界も、ずっとこわいまんまだよ。こわくなくしてくれるすばらしいものに、会う機会すらないんだよ」

角田光代著『ひそやかな花園』372頁


人を知り、世界を知り、そうして少しずつでいいから成熟していきながら、いつかすべての人や物事をどっしりと受け止められるような、そこにいるだけで「大丈夫だよ」と誰かを包み込めるような、そんなおばあちゃんになりたいです。

それが今の私の目標です。

* * *


「すべての人は、例外である」


ユングの言葉です。

すべての人に当てはまる、完璧なタイプ論などあり得ない。タイプによって類似するのはその人の一面でしかなく、誰もがもう一方に独自性を備えている、という意味です。

なによりも、「心理学的タイプ論は、人々をタイプに分類することを目的にしているわけではなく、そうすることは、むしろ意味のないことである」とユングは明言していることを忘れてはならない。

R.R.ペアマン&S.C.アルブリットン著、園田由紀訳
『MBTIへのいざない』275頁

また、タイプを学びに使っていこうとする人たちは、タイプ絶対賛成派とタイプ絶対反対派の両方の主張に警戒することも大切である。それは、どちらの側も、タイプ論を表面的にしか理解していないことが多いからである。

同上、289頁

これは自戒です。 MBTI に魅せられ、この一年すっかりハマっている自分自身への戒めです。笑

つい周囲の人のタイプを勝手に分析したり、こういうタイプはこうだと決めつけたり、INFJ という自分のタイプへの愛着から他タイプとの差別化を図ったり……そういう危うさを感じています。

その魅力の分だけ、気をつけなければならないことも大きいです。


また、以下のことも忘れずにいたいです。

誰もがこれら8つの心の働きすべてをもっており、それぞれをある程度まで発達させているのである。何度でもいうが、誰もがどれもを使っている。

同上、33頁

 INFJ だからといって「Se(外向的感覚)がダメすぎる」というわけではありません(これは Se に苦手意識を持つ自分に言い聞かせています笑)。もちろん Ne、Fi、Te、Si が機能していないわけでもありません。

 MBTI を自分や他者へのレッテルに使ってしまわないよう(私は MBTI による相性もあまり信じていません)「すべての人は例外である」という言葉を肝に命じておきます。

* * *


さいごに


世の中はきっと、I 型ばかりでも E 型ばかりでも、S 型ばかりでも N 型ばかりでも…… 上手く回っていきません。ふと、その人口比含め、なんだかとてもバランスが取れているように感じました。

そう考えると(私は創造主としての神さまの存在を信じているわけではありませんが)ものすごく神秘的で、やっぱりみんなが本来の姿で生きてこそ世界の調和は保たれるのかもしないなあと、勝手に感動してしまいました。笑


また、これまで生きてきて、苦手だな合わないなと感じる人は正直たくさんいても、いざ一対一でしっかりと会話して、それでも心底嫌いだった人なんて誰もいないことに気がつきました。

大好きなこの言葉のように、人は多面的です。

怒ってばかりの部長さんも
手帳の中には 家族の写真

奥華子「Happy Days」より

そう信じていられるのは、私が恵まれた環境を生き、本当の暴力にあったことがない証しなのかもしれません。たしかに私が直接遭遇したことがないような圧倒的な悪意も世の中には存在します。

ただ、すべての人にいろんな側面や事情がある。そのことを忘れずに、それぞれの違いや共通点について理解を深めていければ、と願っています。

* * *


本当に、めちゃくちゃ長くなってしまいました。

①から③まで、言葉を替えて何度も同じようなことをくり返しただけなのかもしれません……笑

また、INFJ が理想家だといわれる所以をものすごく体現したようにも思います。笑

誰かにとっては、ここに書いたすべてが世間知らずの甘い綺麗事に映るかもしれません。そしてそれはある意味で正しいです。

でも、思いを文字にして解いていく作業はとても楽しかったし、それを読んでいただけるのはこんなにも嬉しいことなのかと改めて思いました。

もし、もしも、ここまですべて読んでくださった方がいたのなら、本当に本当にありがとうございました!とっても嬉しいです😭🤝🏻

ここまで語っておいて、プロのセッションを受けたら INFJ ではなかったというオチもあるかもしれませんが🤣、これからも少しずつ勉強を続けていきたいです。


私は、ほとんどの「悪役」は愛の不足から生まれると考えています。

どうか少しでも、みんなが尊重し合い、孤独を感じず、共存していける世の中になりますように。


最後に、大切にしている言葉を残しておきます。

果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける

覚和歌子作詞『いつも何度でも』より




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