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小ぎたない恋のはなしEx:20話「いちにんまえのえいぎょう」

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僕は欲求をコントロールする意志こそが必要だと思った。顕在化するニーズをコントロールすれば無駄に傷つかずに済むからだ。余計な出費だってしないだろう。

企業に所属するとニーズをコントロールする術を得なければならない。とはいえ、これは自身の意志なるものではなく不特定多数の消費者をして欲求を操る行為を指す。

つまり企業はその辺で暮らしている何の罪もない人々の財布から常に金を抜き取ることしか考えていない。僕は一度どうすれば一般の生活者たちに脚立が売れるのか考えさせられたことがあった。もちろん僕にはそんなことわからなかった。要らない脚立なんて売りたくもなんともない。

しかし世間はそのような僕の偽善とは真反対の感情しか持っていない。世間とは消費者たちのことではなく、僕をそれなりに使える奴に育てようとするだけのトレーナーたちのことだ。

脚立を売るには顧客のニーズを顕在化しなければならない。ニーズの顕在化とはつまり欲求を深く掘ってしまい、何らかの僕らにとっての財宝を掘り当てることらしかった。

するとニーズはニーズとして顕在化する前になんらかの根源的欲求から生み出されるものらしいとわかる。脚立が欲しいのは(欲しくなるのは)なぜだ?

それは家の中で高いところに接触する必要があるからだ。普段家にいて、高いところには接触できないという情報も得られるが、過程で得られるそういった情報事態はあまり関係ないことも多い。

高いところへのアプローチが必要な理由はその壁なんかに穴を開けて、何かを飾ったりするからかも知れない。あるいはしまい棚かなんかを設置したいのかも知れない。

いま言った例では結局どちらからも、家にいながらにしてもう少し生活水準を上げたい、という意図が見えてくるはずだ。高い壁になんらかのアート性の高い物を飾りたい、あるいはもっと家の中をがらんと片付けられるように者がしまえる場所が欲しい。このどちらを達成しても、得られるものは生活水準の上昇、つまりQoL向上であり、これが目的だ。

すると別アプローチでもこの根源的欲求はかなえられることが理解できるだろう。ばからしいけど極端な例を出すと、もし壁に何をかけるか以前にもっと豪華な家がたった10000円で買えるよ、とその人の眼前に見せれば(その売りつけの怪しさを無視するものとすれば)飛びつくかも知れない。

無難なところだと脚立を使わなくても物がかけられるテープか何か……あるいは片付けたいなら横棒とかだろうか。横棒の場合は脚立が向こう岸にも必要かもしれなくて何か矛盾してしまうかも知れないが、とにかく顧客のニーズを顕在化して根源的欲求を掘り起こすとはこういうことだったと思う。

根源的欲求がわかれば、脚立を売る意味すら失われるかも知れない。本当に欲しいものはその粘着性だったり棒かも知れないのだから。

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